EP11 荒山で四時間


 ソルさんの家にお邪魔した翌朝。

 俺は冒険者ギルドへと足を運んだ。


「ソルさん、おはよう」

「おはようございます。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 チラリと一瞥してくるだけで、目も合わせてくれない。


「なんか他所他所しくない? 同じベッドで一晩明かした仲じゃんか」

「Sランククエストに単独挑戦ですね。今手続きするのですぐに行ってください」

「うそうそ! ごめんなさい!」


 一緒に寝た件は今後触れないでおこう……。


「で? 本当の要件は?」


 声を落とし、ソルさんが顔を近付けてくる。ちょっとドキドキしながら俺も近づく。


「えっと、『作業』を山の中でやろうと思って」

「なるほど。宿でやるよりは賢明だと思います。ですが、山の中は——」

「分かってる。魔獣もいるし、他の冒険者もいるし、危険って言いたいんだろ?」

「ええ。……もしかして、安全な場所を聞きに来たのですか?」

「察しが良くて助かる」


 ソルさんはしばし思案する素振りを見せた後、『保証はできませんが』と前置きして、レイドクエストでトルトゥーガと遭遇した場所を提案してきた。


「元々、あの辺りは魔獣が少ないですし、素材になるような植物も無いので、滅多に誰も寄り付かない場所なんです」


 加えて、トルトゥーガは縄張り意識が強いので、近辺の魔獣を追い払うのだと言う。


「もう二週間経ってるのでマーキングも薄れてるかもしれません。細心の注意を払ってくださいね」

「分かってる」

「一人で行くより、護衛を付けた方がいいのでは?」

「そうだな。じゃあ〈クレイジー・エイト〉にでも頼むか」

「残念。クレイジーさん達は討伐任務に行かれてしまいました」

「なら他の不良冒険者に……」

「信用できる相手ですか?」

「……護衛に対する護衛を付ければ」

「本末転倒ですね」


 人気の無い山の中で二人きりになるのだ。作った商品を丸々奪われる心配もある。

 結局誰にも頼ることができず、ソルさんには止められたが、自分一人で行くことにした。


「本当に気を付けてくださいね」

「大丈夫。魔獣避けの指輪ってのを買ってあるんだ」


 黒い石が嵌め込まれている指輪。子供用だったのか、サイズが合わなくて首から紐でぶら下げている。


「それ、どこで買ったんです?」

「露店」

「……効果があると良いですね」


 ソルさんが大きく溜め息を吐いた。

 ……え? これ偽物? 結構高かったんだけど。


「ま、まぁ最悪、魔獣と遭遇しても自分で戦えばいいさ。回復薬と身体強化の薬があるんだし」

「心配だわ……」


 渋るソルさんを説得し、適当な薬草採取の依頼受注の手続きをしてもらった。


 そうして〈カーキ鉱山〉へ出向く大義名分を得た俺は、馬車に揺られ、山道を登り、くだんの岩場へとやって来た。小川もあるし、作業するには理想的な環境だ。


 足元には爆発の跡が生々しく残っている。あの時ジェシカが助けてくれなければ、こうして裏のクスリ屋に勤しむこともなかったかもしれないし、下手したら死んでいたかもしれない。


 少しだけ感慨深い気分に浸りながら、机代わりに使えそうな岩を見つけ、その上に製薬器具や途中で採取してきた素材を並べた。


 川の水を汲み、石を積み重ねて簡易的な焚き火台を作り、火を起こす。キャンプをしているような気分に浸りながら、さっそく作業開始。


 焚き火の音。川のせせらぎ。野鳥の声。

 大自然の中で製薬作業をするなんて初めての経験だ。筆舌に尽くしがたい開放感に満ち溢れて気分が高まってくる。


 それに、ここなら人目も煙も臭いも気にする必要ない。今まで宿の部屋でちまちま作業していたのが馬鹿らしく思えてきた。


 作業を続けること数時間。材料を全て使い果たした。


 正確に数えていないが、ポーション二百個、強化結晶に関しては千個分ほど作っただろうか。

 岩の上には商品が詰まった麻袋が山積みになっている。捌くのに何日かかるか分からないが、これだけで約70万バックスの価値だ。


 後片付けもそこそこに煙草を取り出して一服。

 岩場はゴツゴツとして寝転ぶには最悪の環境だが、疲労感に抗えず横になった。時刻は正午過ぎだろうか。暖かい日差しが渓谷を照らし、眠気を誘ってくる。


 煙草を吹かしながらウトウトしている時だった。


「グルル……」


 不意に聞こえる、獣の声。

 慌てて飛び起きる。目に入ったのは、巨大な熊だった。

 黒い毛皮。鋭く伸びた爪と牙。体長は優に三メートルを超える。

 Bランク魔獣、〈ハナグマ〉。

 非常に獰猛で小賢しく、犠牲になった冒険者は数知れないと聞く。


 迂闊だった。魔獣の生息しない安全地帯だと思って油断していた。こんなにも接近していたのに気が付かないなんて。というか魔獣避けの指輪ぜんぜん効果ないじゃないか。


 幸いにも、ハナグマの意識は薬品の山に向けられていた。スンスンと鼻を鳴らし、強化結晶が詰められた麻袋を興味深そうに観察している。


 この隙に逃げるしかない。刺激しないようにゆっくりと立ち上がり、腰を屈めた状態で少しずつ後退する。岩の上には薬品が置かれたままだが、持っていく余裕はない。命が最優先だ。


「グゥゥ……」


 余程腹を空かせていたのか、ハナグマは麻袋を一つ咥え上げると、そのまま一口で丸呑みしてしまった。袋の中には五十個ほどの強化結晶が入っている。人間が飲めば間違いなく致死量だが、魔獣の場合は果たして。


「グ、ググゥ……」


 ハナグマは少し苦しそうに顔を歪めた後、突然二本足で立ち上がったかと思うと、


「グォオオオオオン!!」


 耳をつんざくような叫び声を上げる。

 逆立つ毛並み。早くなる呼吸。明らかに興奮している。強化結晶の効果が回ったらしい。魔獣にも興奮作用を与えるのであれば、身体能力の方にも影響を及ぼすのだろうか。そうなればますますヤバイ状況になる。


 ハナグマは興奮を通り越して怒っているようにも見えた。強化結晶の味がお気に召さなかったか。

 苛立ちをぶつけるように薬品の山に巨大な前足を叩きつける。商品の大半が粉々になって飛び散った。


「グウゥ……」


 ヤツの興味が俺に移り変わる。向けられる鋭い眼光。こんな不味い物食わせやがって、とでも言いたげだ。背筋に冷たい物が走る。


「グァァァ!!」


 直後。けたたましい音を発しながら、その巨体からは想像もできぬ速度で迫り来る。もはや悠長に距離を取っている場合ではない。俺は奴に背を向け、一目散に走り出す。

 しかし、障害物の少ない開けた岩場に居たのが仇となった。数十メートルあった距離は一瞬で縮められる。そして、


「がっ!?」


 体の右側に走る強烈な衝撃。

 視界が反転し、体が宙に舞う。

 しばしの浮遊感を感じたのち、今度は背中に衝撃が走る。

 横薙ぎで吹っ飛ばされ、岩に激突したのだとようやく理解した。


「くっ……」


 少し遅れて全身に激痛が走る。立ち上がろうとするが足に力が入らない。痛みのあまり思考がまとまらず、視界がぼやけてくる。


「く、くそ……」


 鋭利な爪で引き裂かれ、右肩から血が滝のように流れ出していた。早くどうにかしないと死んでしまう。

 数メートル先の岩の上には大量のポーションがある。あれを飲めれば助かる。だが、あそこまで移動する力が残されていなかった。


「グアァァ……」


 霞む視界の先には巨大な黒い塊。息絶え絶えな俺を見て、急いで追う必要もないと判断したのか、一歩一歩、あえて恐怖を煽るかのようにゆっくりと近づいてくる。


  このまま俺は死んでしまうのか。呆気ない幕切れだ。回復薬を作る能力があり、数メートル先にそれがあるのに、使えずに死ぬなんて。


 意識が遠くなる。ハナグマは目と鼻の先まで近づいて来ている。失血で死ぬのが先か噛み殺されるのが先か。


 しかし、ハナグマはそれ以上こちらに近づいて来ようとはしなかった。急に俺への興味を失ったように立ち上がると、


「ガァァ! ガァアア!!」


 何やら喚きながら、何もない空中に向けて前足をブンブンと振り回し始めたのだ。

 まるで目に見えない敵と戦っているかのような。もしくは、顔の周りを飛び回るハエを叩き潰そうとしているかのような。強化結晶の過剰摂取で幻覚でも見ているのだろうか。


 いや、違う。誰かがいる。


 黒い影が素早く動き回り、ハナグマと戦っているように見える。その証拠に、ハナグマの体に少しずつ切り傷が生まれていた。


「グォ! グガァ!」


 ハナグマが苛立っている様子が伝わってくる。前足をやたらめったら振り回しているものの、謎の人物を捉える事ができず虚しく空を切るだけだ。徐々にハナグマの呼吸が荒々しくなっていき、腕を振るう速度が目に見えて遅くなってくる。


 謎の人物はその隙を見逃さない。ハナグマの背後に回り込み、背中にしがみ付く。ハナグマの前足は骨格的に背中には届かないようで、バタバタと滑稽にもがいていた。


 魔獣の背後から腕が伸びてくる。白くて細い華奢な腕。その腕の先にあるナイフが勢いよく振り下ろされ、魔獣の首に突き立てられる。そして、そのまま躊躇うことなく首を掻っ切った。


「グギャ」


 ある種間の抜けたような声を漏らし、魔獣の動きが止まる。それは断末魔だった。ナイフが引き抜かれると、一瞬遅れて血飛沫が吹き出す。

 力を失ったハナグマの体がゆっくりと前のめりに揺れ、大きな音を立てて地面に倒れ込んだ。


 絶命していた。確実に急所を捉え、苦しませる間もなく仕留められていた。

 視線を魔獣の背中へと向けると、そこには一人の人間の姿が。


 フード付きの黒いマント。口元にはスカーフを巻き、顔を覆い隠している。小さく華奢な体付き。体格からして、幼い少女に見える。


「かはっ、はぁ、あぁ……」


 助けてくれたお礼をしようとするが、もはや声を発する体力も残されていなかった。掠れた息が漏れるだけだ。

 まずい。意識が途切れる。せっかく助けてくれたというのに、出血多量でもう持ちそうになかった。


 マントの少女が魔獣の背中から飛び降り、俺の方へ近づいてくるのがぼんやりと見える。


 薄れゆく意識の中。フードの隙間から、ぱっちりとした大きな碧眼が見えた。

 その瞳には見覚えがあった。


 レイドクエストの時、俺を爆発から救ってくれた少女。

 俺の違法薬品を目の当たりにしたと言うのに、通報せず協力してくれた少女。


 ——ジェシカだ。

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