EP10.5 おべっか
製薬ギルド〈エーワン・エーカー〉。その研究所にて。
「カイルくん、私の部屋に来てくれないかね?」
長期休暇から戻ってきて早々、僕は所長室に呼び出された。
「カイルくん、休暇はどうだった。リフレッシュできたかね」
「はい。お陰様で」
長期休暇を取ったことへの嫌味を身構えていたが、所長の眉毛は穏やかな曲線を描いており、僕はひとまず胸を撫で下ろした。
「君は今、研究課の三年目だったかな?」
「はい。現在は有機溶媒の改良の研究を行なっています。ベンゾジアゼピンの前駆体化合物を用いて——」
説明を始めた途端、所長は興味を失ったように紅茶を啜り始める。研究内容の説明を求められたのかと思ったが、そうではないらしいと察し、慌てて口を噤んだ。
「——まぁ、そのような研究です」
「そうかね」
所長は気難しい人だ。彼の求めている事と違う行動を取ると途端に機嫌を悪くするし、最悪の場合は出世やギルド内での立場にも関わってくる。
「カイルくん。突然だが、ポーション製造課に異動する気はないかね?」
「え!」
その単語を聞いて胸が高鳴った。そこの主任を務めるのは、僕が最も尊敬する薬剤師、ウォルト・ブラック先輩だからだ。
しかし胸の高鳴りは、続く言葉ですぐに掻き消される。
「君に、ポーション製造課の主任を任せたいと思っている」
「……僕が主任? ウォルト先輩は?」
「あぁ、彼は辞めた——というより、クビにした」
その言葉の意味を理解するのに、数秒の時間を要した。
「クビ!? ウォルト先輩を!?」
一体何を考えているんだ。その言葉が喉から出そうになるが、ぐっと我慢。
「あぁ。二週間ほど前かな。我々ギルドの方針について行けないということで、辞めてもらうことにしたよ」
確かに、ウォルト先輩は商品のコストカットを度々提言していて、よく上層部と揉めていた。
だが、向こうから自主退職するのは仕方ないにしても、彼ほどの薬剤師をそう簡単にクビにするなんて。
「ま、彼は無能な平民だったからな。いなくなっても問題なかろう」
ウォルト先輩が無能? この人は何を言っているんだ?
そうか。所長を初めとした上層部は貴族至上主義の人間ばかりで、平民を見下すきらいがある。そのせいか、ウォルト先輩の評価が正しく行えないのだ。
「君もそう思うだろう?」
「え、えぇ。まぁ、はい……」
かと言って、所長の意見に対立する勇気もない。貴族も貴族でしがらみが強くて面倒だ。
「そこで、君にウォルト・ブラックの後任を努めてほしいという訳だ」
ウォルト先輩と一緒に仕事をできないのは残念極まり無いが、所長に反発したくないので、ここは大人しく従うしかなかった。
「……承知しました。チームは何名体制でしょうか?」
「ん? 君一人だが?」
「はい?」
「当然だろう。無能な彼が一人でやっていたのだ。優秀な君なら今の仕事の片手間でできるだろう?」
嫌な予感がし、胸がざわめいた。
「……確認なのですが、生産量の目標は?」
「三百個だ」
「……週、ですか?」
「当然、日だ。無能なヤツでもそれだけ作れたからな。君なら日に五百は作れるか?」
この人は、どれだけ無茶なことを言っているのか理解しているのだろうか。
ウォルダン・ボグネッツ所長。かつては優秀な薬剤師だったらしいが、現場から離れて久しいので、感覚がおかしくなってしまったのか。
「…………お言葉ですが……不可能です」
「なに?」
このままでは尋常ではない仕事量を振られてしまう。所長に反発するのは憚れたが、自身の健康の為には致し方ない。
「日に三百個となると……最低でも十人は必要かと」
「なんだと? 無能なブラックは一人でやっていたのだぞ?」
「それはウォルト先輩が——」
天才だから。
そう言いたかったが、ぐっと言葉を飲み込み。
「——たくさん残業していたからかと」
実際、彼が死ぬほど残業してたのも事実だ。平民の彼には残業させても良いという暗黙の了解があったから。
一方、貴族出身の職員を残業させると、途端に人権問題になる。僕も貴族の端くれ。いくら所長と言えど、残業しろと声を大にして言えないのだ。
「それに、仮に十分な人員があったとしても、その、少々問題が……」
「言ってみなさい」
「ウォルト先輩の品質には、届かないと思います」
「品質?」
「えぇ。僕が作るポーションの純度は平均して72パーセント、運が良くても75パーセントが限界です。でも、ウォルト先輩のは、純度80パーセントなんです」
しかも、品質のバラツキ無く、毎回ジャスト80.00パーセント。
薬品の純度は、素材の状態、気温・湿度などに左右されるため、作る度に必ずバラツキが出る。だがウォルト先輩はそれらを考慮し、寸分の狂いもなく毎回同じ品質に仕上げるのだ。正直、人間業ではない。
「構わない。たかが5パーセントの差だ。誤差の範囲だろう」
その5パーセントがどれほど高い壁か。この人は理解できないほど
恐ろしいのは、ウォルト先輩のポーションは
理由は簡単。あまりに品質が高すぎると、他社の商品が売れなくなってしまうから。他社のポーションの純度はせいぜい70パーセント。そこで、他社と取り決めを交わし、ウォルト先輩はしぶしぶ品質を抑えているのだ。
彼が本気で作れば、純度は90パーセントを超える。
さらに驚愕なことに、彼はポーションの新製法を考案し、品質を一段と向上させた。
その純度は、驚異の99.1パーセント。
恐らく、〈エーワン・エーカー〉製の
結局その新製法は、既存の取引業者の不利益になるという大人の事情でお蔵入りしてしまった。
もし、彼がその新製法と共に他社に転職したら。我々では天地がひっくり返っても勝てない。
控えめに言っても、ウォルト先輩は天才だ。
一度、ポーション生成の指導を直々に請うたことがある。彼は親切に教えてくれたが、しかし僕には一ミリも理解することができなかった。
目を閉じると、あの時のことを昨日の出来事のように思い出すことができる。
『ポーションの品質は薬草選びで決まると言ってもいい』
薬草の山の前に、ウォルト先輩が言う。
『どのような薬草が良いのでしょうか?』
『言語化するのが難しいんだが……一言で言えば「エロい」薬草だ』
『エロい……薬草?』
『例えばこの薬草。そそるだろ?』
『はぁ……?』
ふざけているのかと思ったが、ウォルト先輩の目は本気だった。本気で、うっとりと薬草を眺めていた。
『これとかどうでしょう?』
僕も一つ、薬草を選んでみた。
『あー、それはちょっとエロすぎだな』
『エロすぎ……』
『ドスケベクソビッチ薬草だ』
『ドスケベクソビッチ薬草…… 』
『なんつーか、ほんのりエロいというか、ちょいエロな薬草が一番処理しやすいんだよ。まぁドスケベクソビッチ薬草もちゃんと処理すれば十分使えるけどな』
『えっと……エロさというのは、成長度合いということでしょうか?』
『うーん、ちょっと違うかな。若くてドスケベな薬草もあれば、成熟してて全然エロくない薬草もあるし。ほら、この薬草なんか割りかし葉は若いけど、この若さからは考えられない人妻っぽさを醸し出してるだろ?』
『全く分かりません……』
『まぁ、ここら辺は慣れれば分かると思うよ』
たぶん一生かかっても理解できない。
この時点で講義について行けなくなっていたが、ウォルト先輩は薬草の処理のコツも教えてくれた。
『薬草のすり潰し方も重要だぞ。薬草の状態に合わせて潰し方を変えるんだ。例えば、これくらいのちょいエロ薬草は「ぬぼわぁ」って感じの潰し方だけど……』
『ぬぼわぁ?』
『こっちのドスケベクソビッチ薬草は「ぬるるはぅわぁ!」って感じで潰すんだ。だから、ちょっと大変なんだよね』
『ぬるるはぅわぁ?』
掛け声以外、潰し方に違いは見受けられなかった。
その後も、意味不明な説明は続いた。
煮沸中に攪拌するときは『カーペットに零したサルサソースを拭き取るような感じで』。
薬草を熱湯から上げるタイミングは『薬草が風船人形のようなダンスを始めた時』。
秘訣を教えたくないため適当な事を言ってるのかと思ったが、彼は終始真面目な様子だった。天才と変人は紙一重とは、よく言ったものである。
ウォルト先輩の新製法に関する論文を読ませてもらったこともある。
一見すると簡単そうに見える製法なのだが、『ちょうど良いエロさ』の薬草を見分けて『ぬぼわぁ』と『ぬるるはぅわぁ』を使いこなせることが前提の製法なのだ。到底、常人に扱えるものではなかった。
「——それで、カイルくん。引き受けてくれるのかね」
所長の声で現実に引き戻された。
「ええっと……」
「嫌なら無理にとは言わんよ」
所長が譲歩するなんて意外だ。
後で知ったのだが、僕の前にポーション製造の仕事を任された人が数名いたらしい。しかし、誰も彼もその業務量に耐え切れず、そしてウォルト先輩との圧倒的な差に絶望して、みなギルドを辞めてしまったらしいのだ。
そのせいもあって、所長も強く言えなくなっていたようだった。
「……あの、えっと、できれば、辞退させていただきたく……その、今の研究に集中したいので……」
「そうかね」
がっかりしたような表情。
あ、これ、昇進に響くかな……。しかし、心身共に健康に働き続けるには断るしかない。
「仕方ない。後任が見つかる間、この私が直々にやってやるか。全く、辞めた後にも迷惑をかけおって」
「えぇ!? 所長がですか!?」
つい、驚きの声が漏れてしまった。
「なんだね? 何か問題でも?」
「い、いえ! 所長ほどのお方が作れば、最高品質のポーションが出来るなぁと思いまして!」
「ふむ。そうだろうな。ハハハ」
この人は長らく製薬作業をしていないようだが、大丈夫なのか。たぶん最近の製薬技術や知識も抑えられていないだろう。暗い未来しか想像できない。
しかし面と向かって言えるはずもないので、仕事を断った分の評価を取り戻すべく、僕はできる限りおべっかを使う事しかできなかった。
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