EP8 マックスに注(そそ)ぐ
「私が言うことじゃないですが、色々ともう少し気を付けた方がいいのではないでしょうか?」
グラスの酒を飲み干したのを合図にして、ソルさんは堰を切ったように話し始める。
「そもそも、ご自分が取引している客層をきちんと理解していますか?」
「え? 不良冒険者?」
「そうです。喧嘩っ早くて揉め事ばかり起こす方々ですよ? 護衛を付けようとは思わないんですか?」
確かに。全然考えていなかった。腕っ節では絶対に敵わない連中だ。商品や売り上げ金を強奪されてもおかしくなかった。今までトラブルにならなかったのは幸運と言う他ない。
「もしくは、売り子を雇うとか」
それは少し考えていた。顧客が増えてきたので、そろそろ一人じゃ手が回らなくなっていたのだ。
「そうだな。〈クレイジー・エイト〉あたりを雇ってみるか」
「……売り子は、腕力よりも俊敏性を優先した方がいいのでは?」
「なぜ?」
「衛兵に取引現場を見られた時、真っ先に逃げられるように」
「あー、確かにそうだな。客とモメても逃げればいいし」
「隠密行動が得意な人なら尚良いですね。一番大事なのは、信頼できるかどうか、ですけど」
足が速く、隠密行動が得意。そして、信頼できるかどうか……。
とある少女の顔が浮かび上がってきた。が、それを掻き消すように疑問が沸き起こってくる。
「というか、どうしてアドバイスしてくれるんだ? てっきり違法行為を問い詰められるのかと」
「……」
ソルさんは俺から視線を外し、空いたグラスに酒を並々マックスに注(そそ)ぐ。溢れそうになる水面をじっと見つめ、何やら逡巡しているような雰囲気だ。
「見逃してくれるのか?」
「……正直、迷ってます。先ほども言ったように、エンバーグさんの薬のお陰で、全てが良い方向に行っているんですよね」
依頼の達成率が上がった、その一方で怪我人は減ってる、という話か。
「通報するのが受付嬢として正しい行動なのは間違いないのですけど。ですけど、冒険者の方々、そして依頼主の方々のことを考えると、見逃した方が良いんじゃないかって」
法律を優先するか、目の前の人々を優先するか。彼女は頭を悩ませているらしい。
「……あぁ、もう! どうしたらいいの!」
考えるのを放棄したように、ソルさんは酒を一気に煽った。
お前も付き合えとでも言いたげに、俺のグラスにも酒をマックスに注(そそ)ぐ。
「なんか悪いな。気に病ませてしまって」
「ほんとですよ。あなたが麻薬を売っていたのなら即通報して即終了だっのに」
「一応言っておくが、俺は麻薬なんか売ってないからな?」
「分かってます」
「俺が売ってるのは普通の健全な薬だ」
「分かってますって」
「ただ違法なだけなんだ」
「それが問題なんですが?」
それな。
「……まぁ言いたいことは分かりますけどね。実際、商品を鑑定させてもらいましたが、ポーションも強化結晶も安全な代物……どころか、市販品を遥かに凌ぐ品質でしたし。なのに値段は格安」
「だろ? ただ違法なだけなんだよ」
「それが問題なんですが?」
それな。
「市販品といえば、最近〈エーワン・エーカー〉製のポーションの品質がガタ落ちしてるんですよ」
「そうなんだ」
俺が辞めた影響が着々と出始めているようだな。ざまぁみやがれ。
「なんでも、前任者の天才薬剤師が辞めてしまったらしくて」
「そんな、天才だなんて」
「え?」
「え?」
だから急にカマかけるのやめろって。
「やっぱり。あなたが〈エーワン・エーカー〉から追放されたウォルト・ブラックさんなんですね」
「な、なんで追放のことを……」
困惑する俺を一瞥し、呆れたような大きな溜め息。ソルさんは冷たい目で、淡々と言葉を紡ぐ。
「ある日突然、高品質の薬品を売る謎の人物が現れました。真っ先にプロの薬剤師だと疑いますよね? で、試しに製薬ギルド各社に問い合わせてみたところ、いるじゃないですか。追放された人が。しかも、エンバーグさんが冒険者ギルドに初めてやって来た、まさにその日に」
言われてみれば確かに。追放されたその日に裏のクスリ屋を始めたのは浅はかだったか。
「はぁ。不安です。こんな脇の甘い人が裏稼業なんてやっていけるのでしょうか」
「だ、大丈夫だって。普段はもう少ししっかりしてるから」
「じゃあ教えてください。製薬の作業はどこでやってるんですか?」
「どこって……」
「まさかとは思いますけど、泊まってる宿の部屋でやってませんよね?」
「……」
口籠る俺を見て、ソルさんは頭を抱える。
「これ、見てください」
ポケットから一枚の紙切れを取り出し、こちらに差し出してきた。そこには、『室内バーベキュー禁止』という文言が。紙の新しさからして、つい最近貼られたモノのようだ。
「あなたが泊まっている宿に貼ってありました」
「……」
ちょっとくらい煙出ても平気だと思ったんだけどな。というか、バッチリ宿まで把握されていた。
「いや、でも、バーベキューと勘違いされてるワケだし?」
「今はまだ、ですよね?」
「はい……」
まぁ実際、作業場所は悩みの種だった。堂々と作業できる秘密の地下ラボでもあればいいのだが。
ソルさんの追及は止まらない。
「この際だから色々聞かせてください。マネーロンダリングはどうしてるんですか?」
「…………あー、うん、美味しいよな、マネーポンデリング」
「……冗談ですよね? 何も対策してないんですか?」
驚きを通り越して、もはや恐怖すら覚えているかのような表情だ。慎重に言葉を選びながら、愚かな生徒を指導する教師のように、彼女はゆっくりと説明する。
「エンバーグさん。あなたは今、表向きには平均報酬3000バックスのFランク冒険者なんですよ?」
「はい」
「それがどうして、夜のお店に毎日通えるんですか?」
「いや、だから毎日じゃ……」
「論点はそこじゃありません!」
「はい」
「最初の数ヶ月は貯金を切り崩してるとか言えば誤魔化せるでしょう。でも、何ヶ月もそんな生活していれば、いずれお金の出所を怪しまれるのは想像できますよね?」
「はい」
「だから表のビジネスを構えて、合法的なお金の出処を作る必要があるんです」
なるほどなぁ。大金の出所を説明できるようにしないといけないのか。
「冒険者として依頼を達成しまくってる、とかじゃダメか?」
「ダメですね。依頼の管理は冒険者ギルドが徹底しているので。調べれば本当かどうかすぐに分かりますし、空依頼なんかも不可能です」
「そうか……」
「自分でお店を経営するのが良いと思いますよ。例えば、洗馬車場とか」
「洗馬車? なんでまた?」
「馬車を掃除した数なんて、かさ増しし放題だからです。実際は一日十台のところを二十台と記録しても誰にもバレませんよね?」
「なるほど……架空の売り上げを計上しやすいってことか」
「その通りです」
「でも、洗馬車はちょっと……」
製薬ギルド時代に散々やらされたのだ。できればもう関わりたくない。
「例えなので、実際にやれと言ってる訳じゃありません。とにかく、何でもいいので表向きの仕事をして、役人に目を付けられないようにしてください」
ソルさん凄いな。そんなこと、俺ひとりじゃ絶対に思い浮かばなかった。今日まで何も考えずにやってきた事が急に愚かに思えてきた。ほんと、よく捕まらなかったものだ。
「……なぁ。もし良かったら、一緒に組まないか?」
無意識に零れ出た言葉。ソルさんは酒を飲む手を止め、面食らったように目を丸める。
「はい?」
「ソルさん、色々と詳しいし、何より頭が切れるみたいだからさ。相談役になってほしいんだ」
「……本気ですか?」
「もちろん報酬は支払う。それに万が一俺が捕まっても、絶対にソルさんには繋がらないようにするから」
「……」
顎に手を当て少し俯き、ソルさんは考え込むような素振りを見せる。葛藤しているのだろうか。それもそうか。勢いで発してしまった提案だが、良く考えたら犯罪の勧誘だ。
「悪い。犯罪の誘いなんて良くないよな。忘れてくれ」
「いえ、そうではなく……。私のこと、信用できるんですか?」
「え? できるけど?」
「出会ったばかりですよ? こんなに長く話したのも今日が初めてですし」
「いやまぁ、それはそうだけど」
「なのに、少しまくし立てただけで信頼するんですか? どうかしてますよ」
「そう言われてもなぁ。信用できる……いや、信用したいと思ったから信用するんだ。信用ってそういうもんじゃないか?」
能天気な言葉が癪に触ったのだろうか。彼女の語気が荒くなる。
「経歴確認や人物調査は? 私が殺人鬼だったらどうするの? コーヒーにおしっこする変態女かもしれないのよ?」
「え、するの?」
「しないわよ! 物の例えです!」
おほんと咳払い。グラスの酒を飲み干し、ソルさんは乱れた呼吸を整えた。
「……ともかく、裏の仕事をするなら、簡単に人を信用しないでください」
「そうだな。忠告ありがとう」
「だから、そういうところですって」
「やっぱりソルさんは
「……エンバーグさんと話してると調子狂います」
空のグラスをじっと見つめ、ソルさんは呆れたような、しかしどこか照れたような表情を見せる。
なんとなく気まずい雰囲気。続ける言葉を迷っていると、近くの席に団体客が通され、店内が一気に騒がしくなった。
「……混んできましたし、そろそろ帰りましょうか」
「そうだな。ここは俺が出すよ」
懐に手を突っ込んで金貨を取り出そうとするが、ちょっと待ったと制されてしまう。
「もう。さっき言いましたよね? 表向きは駆け出し冒険者なんですから、もっとお金無いように振る舞わないと。ここは私が払います。誘ったの私ですし」
「いやいや。飯を奢ったくらいで誰が疑うんだよ? 俺に払わせてくれ。飯代出してもお釣りが来るくらい価値ある話を聞かせて貰ったからな」
「そういう小さな油断が命取りなんですって」
結局互いに折れず、
店を出た頃にはすっかり日が落ちていた。火照った顔に当たる夜風が気持ち良い。
「口煩く言ってしまいましたが……。どうか、捕まらないよう頑張ってくださいね。応援してます」
「あぁ。色々とありがとう」
強張っていた表情を崩し、優しい微笑みを返してくるソルさん。月明かりに照らされた銀髪がとても綺麗だ。
「もう遅いし、送ってこうか?」
「結構です。私、出会ったばかりのエンバーグさんのこと信用してませんので」
「手厳しいなぁ」
つーん、と顔を背ける彼女だったが、直後にクスクスと笑う。
「んじゃ、ここで解散しようか。帰り道気を付けろよ?」
「大丈夫ですよ。例のアレを飲んでパワーアップして帰りますから。仮に襲われても殴り返します」
「え?」
ソルさんのポケットから取り出される青い結晶。止める間も無く、それは口の中に放り込まれてしまう。
「あー!? 飲んじゃったのか!?」
「え……はい。まずかったですか?」
「いやまぁ、健康に害は無いんだが、酒入ってる時は飲まない方がいい」
「お酒入ってるとどうなる——」
言いかけて、ふらり。ソルさんの足がよろめく。
「酒がめちゃくちゃ回る」
「……さ、さきに言ってくらさいよぉー!」
みるみる顔が赤く鳴っていき、呂律も怪しくなってきた。だいぶ飲んでたので、血流が良くなって一気に酔いが回ったようだ。
彼女は真っ直ぐ立ってられなくなったのか、そのまま俺の方へと倒れ込んでくる。慌てて両肩を支えてやった。
「大丈夫か?」
「わたしのこと酔わせてどうするつもりれすか〜!」
「ど、どうもしないよ」
俯く彼女の表情は見えないが、耳の先まで燃えるように真っ赤だ。体も異常に熱い。肩にしか触れていないのに、どきんどきんと早鐘を打つ鼓動が伝わってくる。その様子は、単に酔っている以上の何かに見えた。
「……あの、これ、本当に強化結晶れすか?」
「そうだけど?」
「…………媚薬じゃないれすよね?」
「はぁ? そんなんじゃ——」
反射的に否定しかけて、一つの可能性に思い至った。
強化結晶には興奮作用がある。通常、それは戦闘意欲へと変換されるはず。しかし戦闘意欲の薄い人間、例えばギルド職員の女性とかは、もしかしたら興奮作用が別の物へと変換されるかもしれない。
そう。例えば、性欲とか。
「ソルさん?」
「なんれすか……?」
「ムラムラしてんの?」
「し、してませんー!」
「あっぶな!?」
物凄い速さのビンタが頬を掠めた。泥酔状態じゃなければ首の骨を持って行かれてかもしれない。そうか、強化結晶の効果で戦闘力は普通に向上してるのか。下手なことしたら殺されるな……。
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