第66輝 挨拶

「今日は体験入学生が来ていま〜す。入って〜」


 教室の中から聞こえてきた俺を呼ぶ声と共に、担任が教室に入るまで聞こえていたざわつきが再燃する。


「よしっ」


 気合を入れるためと、見た目相応の少女らしい行動をとるためのスイッチを入れるために軽く両頬を張る。───軽く叩いた程度に留めたつもりだったか、思ったより力が入っていたらしく両頬がヒリヒリと痛む。

 大きな音を出しすぎない程度に教室の扉を開くと、一瞬にして視線がこちらに集まり、その瞬間だけ教室の中の混沌がぴたりと収まる。

 蛇に睨まれた蛙の気持ちはこんな感じなのだろうか。まさに話題性の塊であり、閉鎖された教室の中の人間関係にとっての刺激剤。

 獲物を吟味するような少女たちの視線を一身に受けながら、教卓の隣まで歩みを進める。

 俺の横では、黒板に担任の先生───アスカベ先生であってるっけ? まだうる覚えだ───が何かを書き始めた。……桜、木、星。あぁ、俺の名前か。

 先生が黒板に俺の名前を書き終えた時を見計らって、俺は教室の中を見回してからその口を開く。


「体験入学生の桜木 星です。今日1日、皆さんと一緒に学ばせていただきます。よろしくお願いします」


 悩んだ結果の至ってシンプルで平々凡々な挨拶。───ただ、その時笑顔は忘れずに。真顔でこれだけの文字数だと流石に引かれるだろう。コミュニケーションにおいて笑顔は大事なのだ。

 何を喋るか特に思いつかなかった結果なのだが、多くを言わなかったのが余計に少女達の興味を刺激したのか、「わぁ~!かわいい~!」「どこから来たのー?」「お人形さんみたい!」と各々口々に言葉を飛ばしてくる。

 そんな少女達の元気さと好奇心に、俺は聞こえないように泣き言を零すのだった。


「何で……こんなことに」


 ───と。


「はぁい、みんな〜。星さんが困ってるから、質問は後でね〜」


 この数の質問を後から投げ掛けられるのだと思うととても憂鬱だが、これ以上朝の会の時間を取る訳にはいかない。


「じゃあ星さん、刄田さんの隣の窓側1番後ろの席についてくれるかしら~?」

「分かりました、ありがとうございます」


 ハタ……確かリーテの本名がハタ カレンだと学園長から聞いている。まさかとは思うが……

 今日1日のこれからあることを考えて、また気鬱になりながら、相変わらずぽやぽやした雰囲気の先生から割り当てられた席へと向かう。


「───よろしくね、刄田さん」


 ハタ、なんてどちらかと言えば珍しい発音の苗字を持つ人間がクラスに何人もいるなんてことはないんだ。机の上に置かれたノートの名前欄に書かれた『刄田 加蓮』の文字は、間違いようもなくそれを証明していた。


「……よろしく」


 席に着いた俺に、刄田は無表情で短く挨拶を返してくる。───同じクラスとは聞いていたが、まさか隣の席になるとは。

 ぶっきらぼうな「よろしく」を返してきた彼女はすぐに前を向いてしまっていて、朝の会の締めに入っていた先生の話に耳を傾けていた。


「桜木さんは一般校からの体験入学ですから、みなさん積極的にサポートしてあげてくださいね〜」


 「はーい!」と元気よく返事をする1日限定クラスメイト達と、俺にいい感情を持っていないであろう隣人に、俺はこの姿になってから何度目かの嘆声たんせいを漏らした。

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