第40話 別れの挨拶

 カイ先生と話をした栞は、歩いてルイーダの家に戻った。カイ先生に抱きしめられて、温かくてモフッとしていて優しい彼そのものだった。

 最後にまた会えるかもねって言われて、その気持ちが嬉しかった。きっと、寂しさを紛らわす為に冗談を言ったのだと思う。


 ルイーダの家に戻ると、彼女は居間でお茶を飲んでいた。帰ってきた栞を見ると、心配そうな顔をして訊ねられた。


「栞、どうしたんだい? 目が真っ赤だよ」


 栞は、さっき泣いたことを思い出して焦る。でも、ルイーダさんにも話をしないといけないし丁度いい。


「ルイーダさん、お話があります」


 栞は、思い切って宣言をした。


「じゃあ、お茶でも入れようかね。座って待ってな」


 ルイーダが、栞が好きなハーブティーを淹れてくれた。ルイーダと居間で向かい合って座る。


「で、どうしたんだい?」


 ルイーダが、ティーカップを手に取り栞に訊ねる。栞は、姿勢を正して彼女の顔を見た。


「ルイーダさん。私、ここに来てもうすぐ一年です。きっと、もうすぐお別れです」


 栞は、また涙が零れそうだった。でもちゃんと話をしたくて、奥歯を噛みしめる。ルイーダは、少し考えるような顔をすると静かに言った。


「そうかい。もう一年か……。早いもんだね。この世界は、楽しかったかい?」


 ルイーダが、テーブルに肘をついて手に顎を乗せて聞いてくる。栞は、この一年のことを思い浮かべた。大変なことも沢山あったけど、だけど楽しかった。きっと、栞が生きて来た中で一番楽しい一年だった。


「とっても楽しかったです。最初は、どうしようってそればっかりでしたけど」


 栞は、笑って答える。


「そうだね。栞は、臆病だった。それが今は、目がキラキラしてる。私が、少しでもお手伝いできたなら良かったよ」


 ルイーダが、優しい顔を零す。


「ルイーダさん。私、ピピンを見ていて思いました。まるで来たばかりの私だなって。ピピンにも、自分に自信を持ってもらいたくて頑張りました。支える方も、難しいって知りました。ルイーダさんが根気よく教えてくれて、見守ってくれたから私、色んなことを楽しめました。本当にありがとうございました」


 栞は、椅子から立ち上がって頭を下げた。


「止めとくれよ。私だって、楽しかったんだ。お互い様さ」


 ルイーダが、栞をバシバシと叩く。もしかしたら少し照れているのかもしれない。


「他にも誰かに、居なくなることは話したのかい?」


 ルイーダは、何かを思いついたように訊ねた。


「はい。実はカイ先生にさっき会ってきて話をしてきました」


 栞は、泣いたのがわかってしまっただろうなと少々恥ずかしい。


「なるほど。だから目が赤かったのか。あいつは不思議な男だよ。人に心を開かせるのが上手いからね。カイみたいな奴がいて良かった」


 ルイーダは、納得がいったように頷いている。かと思ったら、パッと顔を上げて一番大切なことを聞かなくてはと栞に訊ねる。


「んで、いつどうやって帰るんだい?」


 栞は、自分の考えを言った。


「聖女の活動記録によると、星の木の花が散る頃、創造主に呼ばれて帰って行くって書いてあるんです。具体的な日付はわからなくて。多分、創造主のことだから突然だと思うんです。最後に会えないかもしれません」


 栞は、その瞬間のことを思うと気が重い。一気に落ち込んでしまう。


「星の木の花って今が満開だからね。確かに、散り始めるまでにあと一週間ってところか……。栞、どこにいても応援しているよ。私を頼ってきてくれてありがとう」


 ルイーダが、今まで見た中で一番の笑顔を向けてくれる。栞は、その笑顔を自分の胸に焼き付けた。


 ルイーダに話をしてから二日が経った。明日は、栞のお休みの日。お昼からケイと会う約束をしている。

 だから今日は、ユーインに話をしなくてはと思っている。


 ユーインは、恐らくもうすぐ栞が元の世界に帰ることは分かっているはずだ。なのに、特に何も言ってこない。

 だから栞も、中々それにふれることができなかった。この世界で色々な人に出会って、きっと栞の人生の中で一番人とコミュニケーションを取った一年だった。


 その中でもユーインは、一番長い時間を過ごした。栞の中で、特別な存在であることは間違いない。

 だからって、異性に対する恋愛感情とは違う。ユーインのことは、もう家族みたいな存在だった。いるのが当たり前で、怒っても喧嘩しても情けないところを見せても、でも一緒にいる人になっていた。


 ルイーダさんと同じくらい感謝の気持ちがある。ユーインが、理想とする聖女じゃなくて申し訳なかったという気持ちもある。

 いつも小言ばかり言われていたけど、いざ会えなくなったらきっと寂しいだろうと思う。


 栞とユーインは、今日の分の配達を終えてルイーダの家に戻っていた。いつものように、二人で森の小道を歩いている。

 冬の時の肌寒さはなくなり、ポカポカしていて温かい。この森でよく見かける赤い鳥が、ピーピー楽しそうに歌を歌っている。

 虹色に光る蝶が、道端に咲く花の近くをひらひらと舞っていた。栞が、いつも目にする風景。この風景は、何も変わらないはずだけどユーインとのお別れはもうきっとすぐそこまで来ていた。


「ユーイン!」


 栞は、立ち止まって勇気を出してユーインを呼んだ。先を歩いていたユーインは、立ち止まり後ろを振り返る。


「なんだ? また何かやらかしたのか?」


 ユーインが、いつもの憎まれ口を言う。


「もう! ユーインはそればっかり。流石の私も、もうやらかすことはないよ。ユーインも分かってるよね? 私、もういつ元の世界に戻ってもおかしくないでしょ?」


 栞は、手を握りしめて一生懸命話す。ユーインは、一瞬空を仰ぎ見る。だけど、すぐに栞に視線を戻した。


「ああ、その通りだ。栞は一年間よくやったと思う。傷つけるようなことばかり言って悪かったな」


 ユーインは、そう言うとフッと視線を栞から外した。とても言いづらそうにしている。ユーインのそんな表情を見たことがなくてびっくりする。

 栞だってわかっていた。ユーインが損な役回りをしてくれていたこと。ちゃんと厳しいことを言ってくれるユーインだったから、無事に聖女の役目を終えられたのだと。


「ユーイン。それを言うなら私の方こそごめんだよ。理想の聖女じゃなくて、こんな情けない子が召喚されちゃって。沢山、迷惑かけたもん」


 栞は、本当のことだけどどんどん情けなくなってきて虚しくなってくる。


「なあ、住吉。僕の聖女は、住吉だった。住吉じゃないと駄目だった。だからありがとうだ」


 ユーインが、栞の前に歩いて来て右手を差し出す。栞が、俯いていた顔を上げてユーインの顔を見上げる。

 この一年一緒に生活してきて初めて見る、ユーインの優しい笑顔だった。メガネの奥にある瞳が、栞を優しくとらえている。

 そんなユーインを見るのが初めてで、何だか知らない人を見てるみたいだった。


「うん、私も一杯ありがとう。ユーインが記録係で良かったって、私ちゃんと思ってるよ」


 栞は、冗談交じりで笑顔を溢す。そして、ユーインの右手に自分の手を添えて握る。ユーインが、栞の手をギュっと握って自分の方に引き寄せた。

 そして、栞の耳元で囁く。


「絶対に、僕のこと忘れるなよ」


 栞はびっくりして、ユーインの手を離して後ろに後ずさる。


「もう、何? ユーイン、びっくりするから!」


 栞は、ユーインが囁いた耳を手で覆って抗議する。そんな至近距離で異性の声を聞いたことがないから、ドキドキして顔が赤くなる。


「あはは。宣戦布告みたいなもんだ」


 ユーインが、見たことがない無邪気な笑顔で笑って言った。栞は、何が何だかわからなくて、その後は気づいたらルイーダの家に着いていた。

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