第24話 チビタと慎太郎が同じベッドで

 晩御飯を食べ終えていつも通りに勉強をしようかと思っていたのだけれど、今日は珍しくチビタが僕の隣から離れようとしなかった。

 洗い物をしている時も食後の歯磨きをしている時もチビタは僕の隣にピッタリと寄りそうにくっついて離れようとはしなかった。

「今日はずいぶんと距離が近いけどさ、何かあったのかな?」

「何かってさ、学校にいる時に言ったじゃない。僕と慎太郎で恋人の練習をしようって言ったのに」

「そう言えば、そんな事も言ってたね」

 僕はてっきりその場の思い付きだと思って流していたのだけれど、チビタにとっては本気だったようだ。ただ、恋人同士と言っても僕は理沙としか付き合ったことが無かったのでどんな風に過ごすのが一般的なのかわからないのだ。

 チビタは僕がいつも通りに勉強するのを邪魔することも無くいつものクッションを抱きかかえて寝るのではなく、僕の隣に椅子を持ってきてそこに座って僕の様子を見ているのだ。いつものように寝ているのではなく隣にいられるというのは思っていたよりも気になってしまっていて、僕は全く勉強に集中出来ず不本意ではあるが勉強を途中で切り上げることにしたのだ。

「あれ、慎太郎は猛勉強終わりなの?」

「うん、今日はこれくらいにしておこうかなと思ってね」

「そうなんだ。僕は勉強の事は全然わからないけど、慎太郎が終わりって言うんだったらそこで終わりなんだね。ねえねえ、これからどうする?」

「どうすると言われてもな。恋愛映画でも見て一緒に恋人がどういうモノか調べてみるか?」

「そうしようよ。恋人の練習って言っても僕は何をすればいいかわかってないんだよね。だから、そう言うのを見て勉強するってのもいいかもしれないね」

 どの映画を見ようかと悩んでいると、チビタが珍しく見たい映画があると言って僕にそれが何か教えてくれたのだ。なんでも、双葉から面白い映画があるから一緒に見るといいと勧められたようなのだ。少しだけ嫌な予感はしたのだけれど、チビタが楽しみにしているので一緒に見るのは構わないんだけど、タイトルからして恋愛物ではないような気もしていた。


 予想通りと言うか、双葉がこんな映画を僕とチビタに見せるとは思わなかった。確かに感動的でいい話だとは思ったのだけれど、老犬と飼い主の愛情物語を見せられるというのは狙い過ぎだとは思ってしまった。

 チビタはまだまだ小さな子供であるし、映画に出てきたような老犬とは違って健康そのものであるのだが、チビタは映画の老犬に自分を重ねてしまって明らかに落ち着かない様子なのだ。

「ねえ、僕の方が信太郎よりも先に死んじゃうと思うんだけど、慎太郎も映画の人みたいに最後まで僕の事を見ててくれるのかな?」

「そんな先の事はわからないけどさ、僕はチビタの事を見捨てたりはしないよ。最後までちゃんと面倒みるつもりだけど」

「良かった。そうだとは思ってたけどさ、ちゃんと聞けて良かったよ。僕は慎太郎の事を好きだからそう言ってもらえて嬉しいな」

 チビタはいつも甘えん坊ではあるけれど、今日はいつもよりずっと甘えてきていると思う。それ自体は別にイヤな気持ちにはならないのだけれど、何となく男同士でこういう事をするのは良くないんじゃないかと思ってしまっていたのだ。

「慎太郎は今日も疲れたでしょ。僕は映画を見てちょっとだけ疲れちゃったんで寝ようかと思うんだけど、慎太郎はまだ寝ないよね?」

「うん、寝る前にお風呂に入ってこようかと思うよ。チビタは僕に気にせずに眠かったら寝てていいからね」

「ごめんね。恋人の練習とか全然出来なかったけどさ、また今度元気な時に練習しようね」

 チビタはお気に入りの毛布をソファから持っていつものように寝室へと入っていった。犬だった時から変わらない行動なのだが、こうしてヒトになったチビタが毛布をもって寝室に入っていく姿は幼児のようで可愛らしくも見えていた。

 僕はそんなチビタを見送った後にお風呂に入って今日あった事を考えてみることにした。僕が公太と話している時に双葉がチビタに何か吹き込んでいたんだと思うけど、今度会ったら何を言っていたのか問いただしてやらないとな。悪いことは何も教えてないと思うのだけれど、何となく今日のチビタは元気がないように見えたので少しだけ心配になってしまっていたのだ。双葉に限ってはチビタを傷付けるような事は言わないと思うのだが、双葉の事を信じているからこそ聞かなくちゃいけないという事もあるのだ。


 お風呂から上がってボーっとしていた。明日は午後の講義しか受ける予定が無いのでもう少し起きていても平気なのだけれど、何かをやるには少し時間が遅いような気もしていたので僕もチビタと一緒に寝ることにした。

 一緒に寝ると言ってもチビタは僕のベッドの横に置いてあるクッションの中で小さく丸くなって毛布に包まれているので隣同士で寝るという事なのだ。

 だが、僕が寝室に入るといつもの場所にチビタは寝ておらず、僕が寝るベッドの端の方で毛布にくるまって寝ていたのだ。

 別に一緒のベッドで寝ても子犬じゃないので潰してしまうという問題はないと思うのだが、布団の上ではなく布団の中に入ってもらいたいと思ってみていたのだ。寝ているチビタは毛布に包まっているので寒くは無いようなのだが、あの位置で寝られると僕が布団からはみ出てしまうような気もしていたのだ。

 なるべく起こさないようにと慎重に僕はベッドの中に入ろうとしたのだが、僕がベッドに乗った瞬間にチビタは目を覚ましてしまってばっちり目が合ってしまった。

「ごめん、起こしちゃったかな」

「大丈夫。すぐ寝れるから」

「今日はどうしてこっちのベッドで寝てるの?」

「双葉から聞いたんだけど、恋人同士なら一緒のベッドで寝た方が良いって」

「まあ、そういう人もいるんだろうな。でも、それだったら布団の中に入った方が良いと思うよ。布団の上だと寝づらいでしょ」

 チビタは僕が言っている意味を理解していないようなので一度ベッドの上からおろして布団をめくることにしたのだ。僕はそのままベッドに横になったのだけれど、チビタはベッドの横に立ったままで入ってこようとはしなかった。

「どうした、一緒に寝るんじゃないの?」

「一緒に寝たいけど、どうしたらいいのかな?」

「どうしたらって、僕の横に来ればいいよ。ちょっと狭いかもしれないけどチビタくらいなら大丈夫だと思うよ」

「僕が隣で寝ても大丈夫かな。慎太郎は嫌じゃないの?」

「嫌なわけないでしょ。少し寒くなってきたから布団の中に早く入ろうね」

 僕はいつもよりも少しだけ端によってチビタが寝るスペースをあけていた。ベッドで一緒に寝た事は今まで無かったのだけれど、僕が昼寝をしている時にいつの間にか僕の上でチビタが寝ていたことはあったのだ。ヒトになったチビタではなく子犬だったころの話ではあるのだけれど。

 布団の中でも毛布に包まっているチビタは僕に遠慮してベッドから落ちそうなくらいに端によっていたのだ。寝相が悪くないとはいえ、その一で少しでも寝返りを打ってしまえば下に落ちるような気もしたので、僕は手を伸ばして腕枕の体勢にしてチビタの体を無理やり引き寄せたのだ。

「え、どうしたの?」

「どうしたのって、そんなに端っこにいたら落ちるかもしれないだろ」

「僕なら大丈夫だと思うよ。あっちのベッドでも落ちた事ないから」

「そうかもしれないけどさ、このベッドは高さがあるから落ちたら大変だよ。それに、離れてると隙間が出来て寒いからね」

「そうだね。隙間があったら寒いかもしれないね。でもさ、本当にここで僕も寝ていいの?」

「べつに問題無いよ。それとも、いつもの方が良いのかな?」

「ううん、こっちで寝てみたかったから嬉しい。あっちのベッドも好きだけどさ、こっちのベッドの方が信太郎が近くにいるみたいで嬉しいかも」

「近くにいるみたいって、すぐ近くにいるだろ。寝ぼけてるのか?」

「そうじゃなくて、いつも慎太郎が使ってるベッドだから慎太郎の匂いがして嬉しいなって思ってるの。僕の使ってる毛布も慎太郎の匂いはするんだけど、こっちのベッドの方がいい匂いかも。毛布は僕の匂いもついちゃってるからね」

 僕にはよくわからないのだけれど、ヒトになってもチビタは犬だったころのように嗅覚が鋭いんだな。変な匂いとか臭いって思われてなくて良かったけど、僕の匂いが嬉しいというのは少し気恥しいものがあった。

「あのね、もう少しだけ近くに行っても良いかな?」

「ああ、こっちに来て良いよ。寒くなってきたのかな?」

「寒くはないんだけどさ、慎太郎の事をもう少し近くで見たいなって思ったの」

 チビタは小さな顔の割には大きな目を潤ませながら僕の事を見つめていた。間接照明でぼんやりとしか見え何のだけれど、チビタは僕の事を嬉しそうな目で見ていたのだ。

 いつも丸くなって寝ているチビタが普通にベッドに横になっているのは少し違和感があったのだけれど、チビタは僕の手を枕にしたまま膝を抱えるような形になって少しだけ丸くなっていた。

 僕は自由に動かすことの出来る左手でチビタの頭を軽く撫でてみたのだけれど、チビタのふわふわの綿みたいに柔らかく触っていて気持ちの良いモノであった。毎日寝癖を直すためにブラシをかけてあげているのだけれど、その甲斐もあってとても綺麗な毛並みと言ってもいいだろう。

「ねえ、慎太郎にもう一つお願いがあるんだけど、聞いてもらっても良いかな?」

「お願いって何かな?」

「あのね、双葉から聞いたんだけど、恋人同士は寝る前にキスをするって言ってたんだ。キスって口と口を合わせるやつだよね?」

「そうだけど、さすがに男同士ではそういう事はしない方が良いと思うんだけど」

「僕もそうだと思ったんだけどさ、双葉は好きだったら性別とか気にしなくていいよって言ってたんだよね。でも、慎太郎はそう言うの気にするよね?」

 やはりと言うべきか、双葉は余計な事をチビタに教えていたのだ。完全にこれは双葉の趣味の話になると思うのだが、双葉はそう言ったジャンルも大好きなのである。自分の欲望に素直なのは良いのだけれど、それに僕とチビタを巻き込むのはやめていただきたいと心から思ってしまった。

「気にするとかしないとかじゃなくてさ、そう言うのは本当の恋人にしかしちゃダメだと思うんだよ。だからね、今度双葉にちゃんと言わないとね」

「やっぱりそうだよね。うん、僕もおかしいなって思ったからさ。だって、テレビでもキスをしてるのは男の人と女の人だもんね。僕と慎太郎は男同士だし、そういうのって違うもんね」

 何だろう。こうも落ち込んでいるチビタを見ていると僕の方が間違っているように思えてきた。チビタは犬だったころは僕の顔や手を良く舐めてきたと思う。それがチビタなりの愛情表現だという事は分かっていて僕も受け入れていたのだけれど、こうしてヒトの姿になったチビタが同じことをしても受け取り方が変わってしまうように思えた。

 でも、こうして悲しそうな顔をしているチビタを見ると、キスくらいならしてあげてもいいんじゃないかと思えてきた。

 本当にそれが正しい事なのかはわからないけれど、してみてダメだったらもうしなければいいというだけの話ではないだろうか。キスくらいならいいような気もするのだけれど、それをしてしまうとどこで線引きをしたらいいのかわからなくなってしまうように思えてならない。

 だが、悲しそうなチビタをこんな間近で見ていられるわけもないのだ。

「じゃあ、一回だけならキスしても良いよ」

「本当に?」

「ああ、一回だけだぞ」

「うん、ありがとうね。僕の初めてのキスだね」

「犬だった時に何度も顔は舐められてたけどな」

「もう、そんな昔の事思い出させないでよ。恥ずかしいから」

 チビタはそう言いながらも僕の方を真っすぐにむいてキスを待っているようだった。だが、さすがに目を見開いたままでは僕から行きにくい。

「あのさ、目は閉じてもらっても良いかな?」

「そうだった。テレビで見た人も目は閉じてたと思う。でも、閉じてたらわかんなくなってしまいそうだな」

「大丈夫だよ。チビタはそのまま目を閉じるだけでいいからさ」

 僕は少しだけ体の位置を動かしてチビタとの距離を詰めてみた。そのまま目を閉じているチビタの口に僕の唇を重ねたのだが、チビタの唇は思っていたよりも弾力があって少し硬いような気がしていた。そして、いつもよりもチビタの鼻息が荒くなっていたのだ。

「慎太郎、ありがとうね。少しだけ恋人の気持ちが理解出来たかも。キスってさ、幸せな気持ちになれるんだね」

 僕は嬉しそうに微笑んでいるチビタを抱きしめていた。チビタの事が可愛いとは前から思っていたのだけれど、今は前よりも可愛いと思えていた。


 そして、僕の気持ち悪いにやけ顔がチビタに見えないようにずっと抱きしめていたのだった。

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