春田慎太郎の物語

第21話 春田君は彼女に捨てられてしまった

「慎太郎は私よりもその犬の方が大事なんでしょ。そんなに犬が大事なら私じゃなくてその犬と付き合えばいいじゃない」

 彼女の理沙は知り合う前から独占欲が強いとは思っていたのだが、僕はそんな彼女に嫌われないようにと人付き合いを極力避けて交友関係も生きていくうえで必要最低限の範囲で構成していた。

 それでも、彼女の要求はエスカレートしていき、最終的には僕が飼っているチワワのチビタにまで嫉妬するようになっていた。雌犬だったら嫉妬する気持ちも何となく理解出来るような気がするのだけれど、チビタは人懐っこいだけで雄なのだ。彼女が嫉妬する理由も僕にはわからなかった。

 それに、こんなことを言ってくるような人は将来僕が仕事をするようになっても文句を言うようになるんだろうな。兄さんの奥さんも理沙と同じように独占欲が強くて嫉妬心の塊みたいな人なのだけれど、マゾ気質の兄さんとはそんなところも相性が良いのかもしれない。僕には兄さん夫婦のように嫉妬の中にも愛情を見出せるような付き合い方は出来そうにないのだ。


「お前はさ、チビタがお前に甘えてくるって理由だけで振られたって事か?」

「まあ、そうなるな。他の理由で喧嘩したこととかも無いし」

「なんだよ。それって絶対おかしいよ。普通はそんな理由じゃ別れないだろ」

 昼休みに学食でいつものように公太とカレーを食べているのだが、今日に限っては僕が話題の中心だった。僕というよりも別れた彼女の理沙の話題ではあるのだけれど。

「それってさ、他に男が出来たから適当な理由つけて別れたんじゃないか。お前なら真面目で一途だからうまく行くと思ったんだけどな。そうもうまく行かないもんだよな」

「別にそんな事はどうでもいいさ。もう終わったことだしね」

「お前って一つの事にしか目が向かないよな。昨日までは理沙の事しか考えてないみたいだったのにさ、今日になったらその事もすっかり忘れてるんだもん。お前のそういうところってさ、逆に尊敬しちゃうよ」

「逆にってなんだよ。好きなモノなんて二つもいらないだろ。一つで十分だよ。僕は公太みたいに器用じゃないから一つのものしか相手に出来ないって事なんだよ」

「で、どうする?」

「どうするって、何の話?」

「理沙だよ。理沙。お前が気になるならあいつが何してるか調べてやるけど、もちろんお前からは金はとらないよ。修行の一環として俺が個人的に調べてやるって」

「そんな事しなくていいよ。もう興味も無いし」

「そっか、それはそれで残念だな。でも、お前がそれでいいならいいや」

 公太は昔から探偵ものが好きで、将来はスパイか探偵になりたいと公言していた。大学に入ったのも色々と資格を取りつつ起業資金を貯めるために条件の良いところに就職するためだそうだ。さすがにスパイにはならないと思うのだが、将来的には自分で調査会社を立ち上げて探偵業を行いたいと毎日のように夢を語っているのだが、そんな夢を持っている公太の方が僕よりもよほど一途なのではないかと思ってしまう。

「ま、気が変わったら言ってくれよな。お前に理沙を紹介したのは俺だし、俺なりの責任はとりたいって思うからさ」

「別に公太の責任じゃないしさ。そんなに気にしなくていいって」


 初めてできた彼女という事で別れた後はもっと落ち込むのかと思っていたのだけれど、僕の性格なのかあまり落ち込むことも無く今までと変わらない日常がそこにはあった。

 家に帰ると理沙に振られた理由であるチビタが僕に甘えてくるのだけれど、こんなに可愛い姿を見て嫉妬してしまうというのも少しは理解出来る気もする。

 でも、チビタは頭が良いので僕が遊んであげられる時間をちゃんと理解しているのだ。家に帰ってからご飯を食べるまでは一緒に楽しく遊んでいるし、時々お風呂にも一緒に入ったりもしている。チビタは自分がかまって欲しいという思いよりも、僕がチビタをかまえる時を見計らって甘えてくれているのだ。そう考えると、チビタの方が理沙よりも思いやりがあるのではないかと考えてしまっていた。

 チビタは晩御飯を食べると僕のそばで丸くなって寝てしまうのだ。その時間を利用して僕は試験勉強をしているのだが、チビタが起きるまで二時間くらいは集中できていた。理沙と付き合っている時はその時間を作ることも難しかったのだけれど、こうして別れた事で以前のように勉強に集中できる環境を手に入れることが出来たのは良いことだったようにも思えていた。

 僕とチビタの散歩コースには小さな公園がいくつかあるのだけれど、チビタのお気に入りの公園は一番遠い場所にあるのだが、正直に言って他の公園と何が違うのか僕にはわからなかった。ただ、そこに行くということ自体が僕の良い気分転換にもなっていたのでチビタも喜んでくれるし一石二鳥だなとは思っていたのだ。


「理沙の事なんだけどさ、やっぱりお前と付き合ってた時から浮気してたやつがいたみたいだぞ。相手は誰だと思う?」

「さあ、全然思い当たらないけど」

「聞いたらお前でも驚くと思うぞ。凄く意外なやつだからな」

「意外なやつって、公太か?」

「そんなわけないだろ。お前には悪いが、俺は理沙に興味無いんだよ。興味が無いからこそお前を紹介したってのもあるだけどさ、もっと意外なやつだよ。お前も知ってるやつだと思うぜ」

 公太が理沙に興味を持っていないという事は初めて二人とあった時から気付いていた。その当時は理沙が公太の事を好きだとみんな思っていたし、それは公太も感じていた事だろう。言い方は悪いけれど、公太は理沙から逃れるために僕を紹介したという事なのだ。そんな理由で紹介されたというのは理沙も気付いていたと思う。だからこそ、理沙が僕と付き合うということになったのは誰もが思わない出来事だったのだ。

 公太以外は誰もが断ると思っていたし、僕も付き合うことになるなんて微塵も思っていなかったのだ。どういう心境で理沙が僕と付き合っていたのかは今となってはわからないが、最初のうちは僕と仲良くしておくことで公太との距離を縮めようとしていると思っていた。みんなもそうだったと思うのだが、だんだんと理沙の束縛も強くなっていき、最終的に公太以外の人間とは関係を断ち切られるという事態にまで発展してしまったのだ。

 もともと公太以外の人とは授業で話す程度だったので問題はなかったのだが、理沙がそれを友達に自慢気に話していたことで僕に話しかけてくる人もだんだんと減っていったのだ。最初は理沙がいないところでは普通に話しかけてきてくれてた人達もいたのだけれど、今では公太しか僕に話しかけてくれなくなっていたのである。

「それでよ、理沙が付き合ってるって相手ってのは、あいつのバイト先の先輩らしいぜ。何度か一緒に行ったことあるから見たことくらいあると思うけど、なんか感じ悪いやつだったよな。ま、お前を振るような女が良いやつなわけないけどさ。そんな事は気にせずに過ごしていけよ」

「いや、公太が教えてくれなければ僕はその事を知らなかったんだけど。それに、理沙の事なんて気にしてないし」

 別れた彼女が誰かと付き合うという事で嫉妬なり祝福なり思う事があるのが普通だと思うのだけれど、あいにく僕の中にはそう言った感情が生まれることが無かった。人として大事な感情が欠落しているのかとも思ったけれど、公太が調べてくれたのも僕の事を思ってだという事がわかるのでその事に関しては素直に嬉しく思っていた。


 いつものように家に帰って僕の脚に体を摺り寄せてくるはずのチビタがやってこない。体調でも崩したのかと思って心配して部屋の中に入っていくと、そこには見たことのない褐色の肌をした小さな男の子が自分の体を触っていた。何かを確認するように自分の体を触っているのだが、僕に気付いたその男の子は僕に向かって飛びつくと嬉しそうな声で僕の名前を呼んできた。

「慎太郎。慎太郎。僕も慎太郎みたいな人間になれたよ。ねえ、僕も人間になれたんだよ。慎太郎ありがとうね」

「チビタなのか?」

「うん、そうだよ。慎太郎の愛しのチビタだよ。これからもよろしくね」

 理沙と別れて半年ほど経っていたと思うのだが、公太が短期留学でいなくなっているという事もあって僕の話し相手はチビタだけになっていた。僕としては今までと何も変わらないと思っていたのだけれど、チビタにとっては人間になれるくらい愛情を感じていたという事なのだな。

 そう考えると、僕も他の人のように何かを愛することが出来るという事の証明になるのではないか。

「お前はきっと誰も愛せないんだろうな。でも、それがお前らしくていいと思うよ」

 公太の言った言葉だが、それは僕も間違っていないと思っていた。でも、そんな僕でもチビタが人間になるくらいに愛情を注ぐことが出来たのだ。それって、僕が誰かを愛せるという証明になるのではないだろうか。

 とりあえず、チビタと一緒に写真を撮って公太に送り付けてやろう。

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