第11話 妻の実家で息子の拓海が

 亡くなった妻と同じ高校に行きたいと言った息子は勉強を頑張っている。ただ、学校や家での勉強だけでは理解出来る範囲も狭いという事で、今週から塾に通うことになった。

 私は息子が決めた事であるし悪いことでもないので反対はしないのだが、小さい時から勉強よりも体を動かすのが好きだった子供が今から勉強をして間に合うのかと不安になっていた。しかし、私の不安は杞憂に終わることとなったのだ。

 頭の良い妻の影響なのか、はたまた優秀な講師陣のお陰なのかはわからないが、拓海は一学期の終わりには主要科目は全て満点をとれるようになっていた。今の調子で頑張ることが出来れば夢で終わりそうだった合格も現実のものになると知り、拓海は夏休みに行われる勉強合宿でも躓くことも無く学習意欲も日に日に高まっていっているようであった。

「拓海はママさんと同じ高校に入るために必死に勉強してるみたいだけど、あんなに頑張らないとダメなの?」

「どうなんだろうね。私は別の高校だったんであそこまで勉強漬けにはならなかったけれど、今の拓海は学ぶことが楽しくて仕方ないんじゃないかな」

「そうなんだ。あんまり邪魔しないようにしないといけないね」

「邪魔はしない方が良いと思うけど、ミクは拓海と同じ部屋にいても大丈夫だと思うよ。だって、ミクの事が邪魔だと思ったら自分の部屋で勉強してるはずだからね。拓海もミクがそばにいた方が安心して勉強出来ると思うんだよ」

「じゃあ、私はパパさんと一緒に大人しくしとくよ」

 拓海は自室ではなくリビングで勉強をする事が多い。一人で勉強していても集中力が持続しないからと本人は言っているのだが、私は拓海が一人で勉強するのが寂しくて近くにミクがいて欲しいからだと思っている。拓海が生まれる前からミクは我が家の一員だったのだが、妻がいなくなった今は拓海にとって姉のような存在で頼りにしているのかもしれない。ミクが人間になれたのも妻や拓海の思いが届いたからなのかもしれないな。

 もちろん、私もミクを大切な家族の一員だと思っていることには変わりないのだ。


 夏休み中にしたことと言えば、ミクを連れて妻の実家に挨拶に行ったことくらいだろう。どことなく犬だったころの面影が残るミクは妻にも似ている部分が多くあったので義理の両親も驚いていたのだが、それ以上に拓海が妻と同じ高校を受験するという事に驚いていたのだ。お世辞にも拓海は勉強が出来る方ではなかったので枡花学園を受けるとはこの場にいる誰もが思ってもみなかったのだが、拓海の真剣な表情を見た義理の両親は妻が使っていたノートや参考書を拓海にプレゼントしてくれたのだ。

 参考書やノート類は拓海が学んでいるところと微妙に異なるようなのだが、拓海は縁側に移動して真剣にノートを眺めては自分のノートと見比べていた。私もミクも義理の両親も拓海の邪魔をしてはいけないと仏間で思い出話に花を咲かせていたのだが、そろそろ晩御飯の支度でもしようかという時に凄く慌てた様子の拓海が飛び込んできたのだ。

 私達はあまりにも慌てている拓海の様子を見て何があったのかと不安になってしまったのだが、拓海の表情は慌ててやってきたわりには笑顔であったしいつになく興奮している割には冷静なようであり私達が落ち着くのを待っているようにも見えた。

「あのさ、俺はずっと躓いてるか所があったんだよ。先生たちの説明を聞いても何となく腑に落ちなくてさ、そうなるって事は理解は出来ているんだけどどうしてそうなってるのかがわからなくて困ってたんだよ。そこに拘らなくても何の問題も無いから先生たちも気にするなって言ってくれてたんだけど、どうしてもそれが気になって気になってスッキリしなかったんだよね。それで、母さんのノートを見てたんだよ。細かくいっぱい書いてあるのに丁寧に読みやすい字で書いてるんだなって思ってたんだけど、俺が受験勉強でやってるところと範囲が違うからあんまり内容自体は役に立たなかったんだけどね。でもさ、その後もずっとノートを見てたらさ、母さんも俺と同じようにずっと答えは分かってるのにそうなる理由が納得できない問題があったみたいなんだよ。どうやってそれを解決したのかなってノートをめくってみたんだけどさ、他の問題を解いてるのにノートのどこかでその問題を改めて解いてたりしてるんだよ。俺も似たような事やってたからわかるんだけど、他の問題を解いてる時もそれが気になっちゃって余計な時間を使ってたりしてるって書いてあってさ、俺もそうなんだよなって思ってまた読み進めてるとさ、母さんがその問題を理解するのを諦めたって書いてあったんだよ。そういう時は変にこだわらないんで諦めた方がいいんだなって思いながら続きを読んでいたらさ、諦めたはずの母さんがさっきまでと変わらずにノートの隅の方でしつこく理解しようと努力してたんだよ。俺はそれを見て面白くなっちゃってさ、他の事はどうでもいいからその問題をどうやって納得したんだろうって思ってどんどんページをめくっていったんだ。最終的には母さんは諦めてしまってたんだけどさ、それを見たら俺も変なこだわりは捨てて出来ることをしっかりやっていこうって思うようになったんだよ。何も解決してないのにさ、頑張ってる母さんのノートを見たらなんでか知らないけど、俺の中で理屈がわからなくても納得出来ることがあるって思えたんだよね。これってさ、俺も母さんも変なところで拘るのが悪い癖だって事なのかな」

「そうだね。あの子は昔から変なところで頑固だったからね。普段は何でも良いって言ってるような子だったのにさ、絶対に譲れないものがあったからね。近所のお蕎麦屋さんに行った時は夏でも冬でも冷たい蕎麦ばかり食べていたんだよ。別にそれは変な事じゃないと思うんだけどさ、体の芯から冷えるような寒さの日くらいは温かいモノ食べればいいのになって思っちゃったよ」

 そう言えば、妻は蕎麦屋では必ず冷たい蕎麦を食べていたな。気分によって食べる物は違っていたのかもしれないけど、今になって思えば暖かいそばを食べているところを見た記憶はないな。うどんやラーメンは逆に温かいものしか食べているところを見たことが無かったし、彼女なりのこだわりというやつなんだろうな。私はそんなこだわりなんて何も無く、美味しそうと思ったものをその時の気分で選んで食べているのだ。

「ママさんと拓海って似てる部分たくさんあるよね。二人とも目が一緒だしご飯を食べている時の顔も一緒だからね。特に、パパさんが作ったカレーを食べている時は二人とも本当に美味しそうに食べてるもんね」

「へえ、美奈も拓海も真一さんの作ったカレーが好きなのか。そんなに美味しいんだったらいつか私達も食べてみたいですね。おじいさんも食べてみたいんじゃないですか」

「そうだね。あの子の作るカレーは普通だったと思うけど、真一さんのカレーがそんなに美味しいんだったら食べてみたもんだな」

「カレーだけは母さんより父さんの作ったやつの方が美味しいんだよ。今は母さんのレシピ帳が出てきたから二人で母さんの味に近付けようと頑張ってるんだけど、カレーだけはレシピ帳に無かったんだよね。きっと母さんも父さんのカレーが好きだから何も書かなかったのかもね。そうだ、じいちゃんとばあちゃんにも父さんのカレーを食べさせてあげようよ。俺はもう少し母さんの使ってたノートとか参考書を見ていたいしミクもじいちゃんとばあちゃんと遊びたいって言ってるしさ、父さんはやる事なさそうだしカレーくらい作ってあげなよ」

「別に父さんだって暇なわけじゃないんだけどな。でも、そんなに食べたいって言うんだったら作ってやってもいいんだぞ。その為には買い物に行かないといけないんだけど、お前も買い物についてくるか?」

「うーん、俺はやめとくよ。今はもう少しここで勉強しておきたいしさ、なんとなくだけど、母さんと一緒に勉強してるような気分になれるんだよね。俺はここで残ってるから四人で行ってきていいよ」

「一人で残るって、別に父さん一人で買い物に行ったっていいんだけど」

「というか、俺は一人で集中したいんだよね。だから、俺の事は気にせずに四人で行ってきてよ。ミクに似合う服とかあるかもしれないしな。ミクもじいちゃんとばあちゃんと仲良くなりたそうだし、親睦を深めてきてよ」

 私達は拓海に押し切られるような形で買い物に出かけることになった。

 義理の両親が住んでいる場所はそれなりに栄えてはいるのだがミクが着れるような服が売っている場所となると車で少し行ったところになる。拓海を一人家に残していくのは少し不安ではあったが、小さな子供というわけでもないのでそこまで心配する事でもないだろう。


 妻も拓海もいない状況で義理の両親と一緒の車に乗るのは少し気まずく感じていたのだが、そこはミクが上手いこと仲を取り持ってくれたという事もあって楽しい時間を過ごすことが出来た。こういうところもミクは妻に似ているんだなと車内の全員が感じていたと思う。

 店員さんの勧めもあってミクに似合いそうな洋服を三着買ってあげたのだが、私も義理の父も義理の母も自分の選んだ服をミクに一番喜んでもらいたいという思いがあったのだが、三者三様で個性的な服を選んでしまっていたにもかかわらず、ミクは私達が選んだ服が個性的だというのに喜んでくれていたのだ。

「ミクは誰が選んだ服が一番好きなのかな?」

「うーん、選べないかも。どれも良いとは思うんだけど、次は拓海にも選んで欲しいって私は思うよ」

 明確に差を付けない辺りにも妻に似た優しさを感じてしまっていた。それは義理の両親も同じように感じていたと思う。

 帰りにカレーの材料を買っていったのだが、いつも使っているスパイスが無いという事だったのでソレも買うことになってしまった。義実家で使わないなら持って帰るつもりで購入したのだが、私の作ったカレーを二人ともえらく気に入ってくれたようで作り方を義理の母に教えると義弟家族が遊びに来た時に振舞ってみると意気込んでいたのだ。

 スパイスを効かせているので万人受けするようなカレーではないと思ってはいるのだが、妻と似ている味覚なのか義理の両親も喜んでくれていたのだ。

 拓海もいつもよりカレーが美味しいと喜んでくれていたのだが、それは久しぶりに賑やかな食卓になったからなのかもしれない。もしかしたら、妻も一緒にこのカレーを食べてくれているのかもしれないなと仏壇に供えたカレーを見ながら感じていたのだ。

 ミクはそんな私達の様子を嬉しそうに見ていたのだけれど、時々妻の遺影を見つめていたりしたので、私達と一緒に妻もカレーを食べているのではないかと感じていたのだった。

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