5月
5月7日(日)雨の日は間接キスで
「なんで雨なの?」
机に頭をもたせかけ、ブーっと頬を膨らませたタツミが言った。その目は窓の外の暗い雨空を睨んでいる。
「なんで、って俺に言われてもな……」
「だって、せっかくの
そう、タツミの言う通り、
雨雲に負けないくらい沈んだ顔のタツミが俺の家にやって来たのは、タケウチから本日のBBQが中止になった旨の連絡を貰った約10分後のことだった。
「ねぇ、今空いてる? 部屋、入っていい?」
「ああ、どうぞ……」
タツミは今日のBBQに持っていく予定だった大量のお菓子とジュースの詰まった袋を両手に、俺の部屋へ入ってきた。そしてすぐにヤケお菓子とヤケジュースが始まった。
んで、今に至るというわけ。
「あぁーッ! 忌々しい雨! 皆とBBQしたかったのに! チックショー!」
女の子らしくない言葉遣いと、ややコウメ太夫っぽいチックショー!を放って、タツミは傍らのコーラを手に取ると勢いよく呷った。ゴクリゴクリとCMにも使えそう音を喉から出した。まったくいい飲みっぷりだ。
「プハーッ! コーラはキくねぇ!」
タツミがそっとグラスを置く。氷が、こちらもカランといい音を立てた。
俺はその様子を半ば微笑ましく、半ば呆れて見ていた。
「お客さん、飲み過ぎですぜ」
俺が苦笑交じりに言うと、タツミはこちらに首をぐるりと向けた。コーラの甘さにやや中和された不満顔でこっちを見てきた。まるでわがままな幼児が親にたしなめられたときのような、そんな可愛らしさもあった。
「今マツザキくんのご両親は出かけてるんでしょ? ならいいじゃん。たまにくらい飲ませてよ」
タツミの言う通り、うちの両親は今
「リョースケに弟か妹ができちゃうかもね? ねぇ、パパ?」
「なはははははは! それはママがか~わい~いからだよ。ブチュッ!」
「もうパパったら! こっちからもブチュッ!」
「なははははは!」
「おほほほほほ!」
なんて馬鹿なやり取りを見せられたものだ。親の仲が悪いよりはいいかもしれないが、目の前でイチャつくのもどうかと思う。俺みたいに出来た息子じゃないと教育上よろしくないんじゃなかろうか。
というわけで、今、我が家には俺とタツミだけの二人っきりだった。
つまりかなり良いシチュエーションなわけで、俺はちょっぴりドキドキワクワクしていた。タツミがこの部屋にいるのは慣れつつあったけど、家に親不在の状況はかなりのレアケースだ。その相手が美少女なら、男としては嬉しくも恥ずかしく、ありがたいことこの上ない。
しかしタツミときたら、さっきから飲んだくれよろしくジュースをガブガブやってばかりだ。こんなんでいいムードになるわけない。
「うぃ~。今度はジンジャーエールいきますか!」
タツミは未開封のジンジャーエールを開封した。
「あ゛ぁ゛~~~炭酸の音ぉ~!」
プシュッと炭酸の音に合わせて、タツミがそんなこと言いながらグラスに薄い琥珀色の液体を注いだ。タツミは表面張力ギリギリのなみなみのグラスをそっと手にとって、そっと口づけするように唇を寄せた。あっ、なんか色っぽい感じ。それはちょっとしたキス顔だった。俺はただジンジャーエールを飲んでいるだけのタツミに目が釘付けになってしまった。
「なに? なんか文句でもあるの?」
こっちの視線に気付いたタツミが、ギロッと鋭い目線を投げてきた。その手のグラスはもうほとんどカラになっている。俺の部屋に来てからわずか三時分、もう炭酸ジュースを5杯目だというのに、まだ一気飲みできるとは……恐るべしタツミさん。
「文句なんかないよ。ただ、よくそんなに飲めるなぁって思ってさ」
「だって飲むしかないじゃん! 飲まなきゃやってられないじゃん! ほれ! マツザキくんもどーぞ!」
そう言って、タツミは自分が飲んでいたグラスに再びなみなみとジンジャーエールを注ぐと、それをこっちに突き出してきた。
「おい、それ――」
「なに? 私のジンジャーが飲めないって言うの? 私がせっかくエールを送ってるのに?」
「いや、そうじゃないけど」
それ、間接キスじゃね?
って、俺は言おうとしたんだけど、やめた。タツミが気にしてないならいちいち指摘するのも野暮だと思った。
それに、ある意味チャンスだし……。みすみす逃すのも馬鹿らしい。
俺はグラスを受け取ると、ゆっくり味わうようにジンジャーエールを飲んだ。さっきタツミが飲んだグラスでさっきタツミが飲んだジンジャーエールを喉の奥へと流し込んだ。世間一般に聞く間接キスは、ただのジンジャーエールの味しかしなかった。それでもなぜか、胸の奥が熱くなったような、そんな変な感じもたしかにあった。
「おっ、いい飲みっぷりだね! さすがマツザキくんは男の子!」
ぱちぱち、と何がそんなに嬉しそうなのかわからないが、タツミが拍手してくれた。
「ま、女の子よりはイケるよ」
「それって私よりジンジャーエールのほうが美味しいってこと?」
「そんな意味じゃねーよ。って、わかっててボケてるんだろ?」
「ふふっ、半分はそうだけど、半分は本心……かな?」
「どーゆーことなんだよ……。第一、俺はタツミの味なんて知らないから、そんな比較はありえないんだ」
言って、俺はもう一杯ジンジャーエールを注いで飲んだ。ジンジャーエールは美味い。甘さと辛さの調和がとてもいい塩梅だ。それにこの半透明の琥珀色もなんだかロマンチックでいい。
「え、でも間接キスしてるよね? だから私の味も知ってるってことでいいんじゃない?」
タツミのその言葉に俺は、飲んでいるジンジャーエールを思わずブーッと吐き出しかけた。危ういところで吐き出すことなく飲み込み、自分の部屋をジンジャーエールで汚さずに済んだ。
「い、いきなり何を言い出すんだ……」
「だってそうじゃん? 間接キスでしょ? で、どうだった? 私の味」
「……ジンジャーエールの味がした」
我ながら馬鹿な回答だと思った。
だが、今の俺にはこれが精一杯だった。間接キスで頭がいっぱいなんだからしょうがない。今は冷静な思考なんて不可能だ。
「そうなんだぁ……。私はね、ちょっとドキドキしてる」
「な、なんで?」
「だって、間接キス、だし……」
タツミの頬が真っ赤だった。
それを見つめる俺も顔が熱かった。
やけに照れるし、気恥ずかしいし、それでいてむず痒いけど嬉しいような、そんな不思議な時間が少しだけ流れた。息が止まりそうな、甘く苦しい瞬間。
互いの目線が互いの目に釘付けられてしまっていた。タツミのやや潤んだ目が可愛過ぎた。ジンジャーエールに濡れた唇は艶めかしすぎて、そこはとても直視できなかった。
タツミが小さく口を開けたかと思うと、はぁっと息を吸った。
そして、
「ご、ごめん、は、恥ずかしくなっちゃったから、私、帰るね!」
そう言うと、タツミは脱兎のごとく部屋を飛び出し、そのまま家を出ていってしまった。
タツミに目を奪われ、ワンテンポもツーテンポ、いや、スリーテンポ以上はゆうに遅れてしまった俺はタツミを追いかけることも、さようならを言う事すらできなかった。
あとに残された俺は未だに間接キッスやらタツミの可愛さやらの余韻で抜け殻状態だった。
正気を取り戻したのは、タツミが出ていったから約30分も経ってからだったか。
俺はタツミの去ってしまった部屋を見回し、タツミの残していった色々なものを眺めてから、ため息交じりに天井を見上げた。
「タツミ、お前も恥ずかしかったのかよ。だったら、そんなこと言うなよな。おかげで俺も恥ずかしくなっちゃっただろーが……」
そんなことを一人呟いてから、自分の呟きがおかしくって、俺は思わず笑ってしまった。
やれやれ、ほんと、タツミには振り回されてばかりだ。でも、不思議とそれが全然イヤじゃない。それはきっと、タツミが可愛くて、そんでもって予想もつかない面白いヤツだから、なんだろうな。
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