5月10日(水)ウンノアタック再び
昼休みは夏の兆しがほのかに香るうららかな春の午後だった。こんな日は昼寝に限る。春眠暁を覚えずとも言うし。
というわけで、俺は昼食をさっと済ませた後、ベストプレイスに行ってすぐに横になった。
見上げれば頭上は雲も、霞すら無い綺麗に晴れ渡った青空が広がり、木々から漏れる木漏れ日が切なげにキラキラしている。良い日だ。全く本当に良い日だ。そうしているうちに俺は、ものの一分ほどで睡魔に襲われ、心地よい眠りに落ちた。
眠りの深淵の中にありながら、このままずっと眠っていたい、いや、せめて予鈴が鳴るまでぐっすりと眠りたい、うっすらとした意識の中で、かすかにそう願っていたのだが、その願いは虚しく、その上唐突に破られた。
何かそこそこ重量感のあるものが、何の前触れもなく結構な勢いで俺の腹の上に乗ってきた。
「うぐぅっ」
衝撃に意識が急激に覚醒させられる。心地よい眠りから急転直下、不快な感覚で無理矢理現実に引き戻された気分だった。
「んだよ……」
目を開けると、そこには俺の腹の上に乗り、あのいつもの鋭い微笑を浮かべた美少女の姿があった。
ウンノだ。
俺と目が合うと、ウンノは俺を見下ろしながら、フッと鼻で軽く笑った。
「おい、何してる?」
俺は尋ねた。今の気分からいって、これでも丁寧に言ってやったつもりだ。
「騎乗位」
ウンノはそんな俺の言葉に、さっきよりも強めにニヤリと、やや妖しげに笑って言った。
「へぇ、近頃じゃ腹の上に乗ることを騎乗位って言うんだな?」
「なかなか言うじゃない。本当の騎乗位のなんたるかも知らないドーテーのくせに」
口を尖らせて言う、その声音も動作も、なぜかやけに色っぽく見える。これが年上の、あまつさえ教師とイチャコラしてる女だけが為せる
さらに、最初は不快な衝撃だったのが、今でもまだ多少は重いものの、腹のシャツとインナー越しに伝わるウンノのお尻の感触がかなり危険だった。女子の際どい部分が密着しているという事実だけで、思春期ボーイにはあらゆる意味で危険だった。その危険のうちの一つとして、寝起きということも相まって俺のリトルリョースケが目覚めようとしている。
これはイカン、別のことを考えねば。心頭滅却し、意識を宇宙の彼方へと飛ばすしかない。そのためにはまず空を見よう。雲ひとつ無い青い空。美しい木漏れ日。うららかな午後。そう、性的な事象とは似つかわしくない世界が広がる時間帯じゃないか。そうだ、ウンノのケツがなんだってんだ。そんなもの、世界に比べればちっぽけな存在さ。そこにある穴なんかもっとちっぽけな……あ、イカンイカン! 馬鹿なことを考えるなリョースケ! お前はできる子だろ! めっ! こら! そんな思春期が陥りやすい穴の罠にかかってる場合か! リョースケ、ファイトだ!
「どーしたの? そんな難しい顔しちゃって」
ウンノが上体をこっちに向かって倒してきた。今度は体全体が触れ合ってしまいそうな体勢だった。だが、ウンノは俺の顔の両サイドに手をついて、そこで頭の位置を固定した。わずかに15センチほどの距離にウンノの整いすぎてキレのある顔があった。
「あ、わかった。今エッチなこと考えてたんでしょ? エッチなマツザキくん」
鋭い目を細めてウンノが笑った。綺麗だけど、それがかえってキツイ印象を与えるウンノの目だが、笑うとそれが恐ろしいほど艷やかになる。俺はもうさっきから胸のドキドキが止まらない。別にウンノのことを恋愛的に好きってわけじゃないけど、綺麗な女の子にこれだけ近づかれたら誰だってこうなるだろ? 俺だってただの思春期高校生なんだからしょうがないだろ。
「いたいけなドーテーをからかうのはやめてくれないかな? 俺は百戦錬磨のウンノさんと違って、まだまだ純真純粋純朴な男の子なんで」
艷やかな目から逃れるように俺はウンノから目をそらした。こんな距離で女の子と見つめ合うなんて恥ずかしくってとてもできない。
「あら、そうなの? ボクぅ? お姉さんはね、そういうの好きよ? じゃ、お姉さんが大人にしてあげよっか? 安心して、男の子の方は初めてでも決して痛くないんだから……」
「お、お、お、おいおいおい! ちょ、ちょっと待て待て待て! お前、昼間っから何を――」
ウンノは俺の下腹部に向かって移動し始めた自らの腰をピタッと止め、
「プッ、ジョーダンに決まってるじゃん! こんなトコでそんなコト致すほどイカレてないんだから」
ウンノは上体を起こし、顎にかかるかかからないかの長さのショートヘアをさっとかきあげた。あらやだ、心外ね、といった素振りがやけに板についていて、それでやっぱり色っぽかった。ウンノほどの美少女なら、そんな大げさな身振り手振りも絵になってしまうし、そんでもってやっぱり艶があるから不思議だ。
「いーや、お前ならやりかねん」
校舎で教師とイチャコラしてた前科もあるし。
「マツザキくん、私のことどんな女だと思ってるの?」
「色ボケ」
「こんないたいけで野菊のような少女を捕まえて酷い言い草ね」
「いたいけの意味を辞書で調べたほうがいいぞ? あと、この状況で捕まっているのは俺の方な?」
「ふーん、じゃあ、マツザキくんのイメージ通りの女になってやろっかな?」
そんなことを言ったかと思うと、直後、ウンノの手が俺のズボンのベルトをがっちりと掴んだ。
「お、おい! やめろ!」
「いいじゃない、減るもんじゃないんだし」
「いや、減るだろ! 色々と! 尊厳とか! それに付随する種々様々なたくさんのアレが!」
「なんのことかわかんないなー。わからなかったら、試してみるのが早いわよね?」
ウンノが片手で器用にベルトを外した。凄いテクニックだが、そんなことに関心している場合じゃない。
「だあああ! 馬鹿! やめろ!」
すると、急にウンノの手が止まった。そしてウンノはにっこり笑うと、すみやかに俺の上からどいて、代わりに俺の頭の上側に腰掛けた。それから俺の顔を覗き込むようにして、
「じょーだんに決まってるじゃない」
ニヤリと笑った。
なるほど、どうやらウンノは俺をからかっていたらしい。いや、そんなことは最初からずっとわかっていたけどね、わかっていたけども、結構長い時間このやりとりをしていたせいで、どこかマジなんじゃないかと思ってしまった部分もあったのは否めない。
俺ははーっと長く深いため息をついた。安堵感と途方もない疲労感のためだ。
「ウンノ、お前さぁ、俺だからまだいいけど、他のヤツ相手だと冗談じゃ済まなくなるぞ?」
逆さにこちらを見下ろすウンノの悪びれない顔を、俺は寝転んだまま見上げて言った。
「それは大丈夫。マツザキくんにしかしないから」
「たしかに俺は紳士だ。俺は絶対に変なことをしない。それは間違いなく確かなことだ。だけど、万に一つ、いや、億、いや、兆に一つ、俺がその気になってしまったら、なんて思わないのか? 思春期ボーイの欲望をあんまり舐めないほうがいいぜ? 火傷しちまうぞ?」
冗談めかして言ったが、これはれっきとした忠告だ。火遊びは火傷の危険性がある、それは優しい男として、ちゃんと教えて挙やらないといけない。男は狼なのよ、気をつけなさいってこと。
「それならそれでいいけどね。私、マツザキくんのことも好きだし」
悪びれることもなく、またこだわることもなくウンノはあっさりと、普通のことみたいに言ってのけた。
あまりにも自然な言い方だったので、俺はその真意を測りかねた。ただ一つハッキリしていることは、女の子って奥が深くて俺にはまだまだ理解できない、ってことくらいだ。
「
「ふふっ、ごめんね~。ほら、私ってモテるでしょ?」
「忙しそうでなによりだな」
とりあえず一件落着したところで、
「マツザキくん、ウンノさん、お待たせ~」
唐突にタツミがやってきた。いつものように素敵で優しい笑顔を浮かべながらお待たせ~、とか言ってるが、約束した覚えはない。その手には学食で買ったと思われるパンの袋があった。
しかしタツミの笑顔には癒される。さっきウンノと変な応酬をしただけに、タツミの笑顔は一服の清涼剤だった。
「あれ、マツザキくん、ウンノさんに膝枕してもらってるの? 羨ましいね~」
「おいおい、ちゃんとよく見ろ。膝に乗ってるどころか触れてもないだろ。強いて言うなら
「ふふ、冗談だよ。膝枕なんてしてたら、いくら私でも空気読んで黙って帰るよ」
「膝枕はしてないけど、さっきはもっと凄いことしてたけどね?」
ウンノが意地悪気な微笑を浮かべてとんでもないことを言いやがった。そのおかげでタツミの笑顔が急激に曇り、代わりに軽蔑の視線が送られてきた。
「おいおいおい! 変なこと言うな! タツミが本気にしたらどうするんだ!」
「でも、その証拠に、ほら、そのベルト」
ウンノが俺のまだ外れたままになっているベルトを指差す。タツミの目がますます厳しくなる。俺はいよいよ焦る。
「こ、これは違っ! これは、その、昼食食べたから! 昼食でお腹いっぱいになったから!」
「私が外してあげんたんだけどね」
タツミの目がマジで厳しくなってきた。
「ふぅん、マツザキくんってやっぱりエロいことばっかりなんだね……」
タツミがプイとそっぽを向きつつ、じとっとした横目でこっちを睨む。タツミはウンノと違って、こういうときでもなぜか可愛らしい。そう思ってしまうのは不謹慎だろうか? いや、今はそんなことより、タツミへの説明が先だ。
「聞いてくれ、タツミ! 俺は決してそんなことはしていない! 神に誓って絶対に! これはだな……」
俺は懇切丁寧にタツミに対して誠心誠意の説明をした。おかげで誤解なのか疑惑なのかわからないとにかく問題は解決したが、おかげで俺の平穏な昼休みはなくなってしまった。
おのれ、ウンノ! と思わないでもないが、どこか憎みきれないところがある。
それは多分あのときの感触のせいだ。
あのウンノのスレンダーなくせに意外にも柔らかなお尻の感覚が今も腹部に残っていることは、さすがにタツミにも正直に話すなんてできなかった。できるわけがなかった。また、する必要も断然なかった。
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