11月5日(土)
今日はタツミと『デート』の日。午前八時五十分。家の前でタツミを待つ。生憎、微妙な曇り空で風も冷たく、お世辞にもデート日和とはいえなかったが、こればかりはどうしようもない。
そんなことよりも今、俺は猛烈に眠たかった。今日という日が楽しみすぎて、前夜はほとんど眠れなかった。目はしょぼしょぼするし、集中力は散漫で思考も鈍い。気を抜くとあくびも出そうだ。デート中のあくびは禁忌中の禁忌だということは、そっち方面の経験に浅く、疎い俺でも知っている。今日は気が抜けない一日になりそうだ。
五分後に、タツミが来た。いつものチャリに乗ってやってきた。枯れ葉色のロングスカート、濃紺のジャケット、ショートブーツという、ジ・オータムなファッションだった。クリーム色のハンドバッグもよく似合っている。デート用にそんなおしゃれしてきてくれたのかと思うと、思わずにやけてしまいそうだ。少し眠気もふっとんだ気がした。
「おまたせっ! 待った?」
タツミが笑って言った。
「ううん、いま来たところ」
俺は
「いま来たって、自分の家の前じゃん」
「あれ?
タツミは吹き出した。
「フフッ。私はマツザキくんとは違って、そんな面白いことばかり考えてないよ」
いや、どう考えたって、おもしろおかしいことを言ったりやったりするのはタツミだと思うのだが……。
ま、そんなことはどうでもいいので、俺たちは挨拶をそこそこにして、チャリで駅まで向かった。せっかくのデートなのだから、気取ってバスなどを使っていいかもしれないが、そこはやっぱり貧乏高校生、少しでも金の節約はしたい。バスの往復料金も、高校生にとっては馬鹿にならないのだ。
俺たちは冷たい風が吹くなか、テキトーな会話をしながらチャリを漕いだ。走り出して五分もすると、冷たい風がかえって心地よく、眠気もいい感じで吹き飛ばしてくれた。毎日通学でお馴染みのチャリでも、おしゃれなタツミがいるから新鮮な気持ちになる。これこれ、これこそ『デート』って感じ。
「マツザキくん、行きたいところとか決まってる?」
「いや、なにも」
「じゃあさ、私、行きたいところあるんだけど、いいかなぁ?」
「全然いいよ。で、どこに行くんだ?」
「それは着いてからのお楽しみ、ということで!」
なるほど、焦らしってやつですか。なかなかの高等テクの使い手じゃないか。より『デート』が楽しみになってきたぜ。だが、俺を甘く見てもらっちゃあ困るぜ。俺もタツミを楽しませるプランがいくつかあるのさ。ふふふ、見てろよ……。
が、調子良いのはここまでだった。駅の駐輪場にチャリを置いて、さぁ、改札を抜け、駅のホームに立ったとき、急激な眠気に襲われた。チャリといういい運動をした反動だ。心地よい疲れが、凶悪な眠気を催す。
これはイカン、と思ってホームの自販機で強炭酸コーラを買って飲んだ。カフェインと炭酸で目を覚ます作戦だ。これは上手くいった。弾ける炭酸の刺激とカフェインで、俺の目がシャキッと冴えた……のも、一瞬の話だった。
またも、反動が俺を襲う。そういえば眠気とは波のように交互に襲ってくる、そう聞いたことがある。満ちて引く潮のように、目が冴えては、また眠気、という風に。眠いという状況はそのサイクルが短く、また眠気よりにバランスが偏っていることを言うらしい。
その説のとおりに、今の俺は睡魔に完全に魅入られていた。来た電車に乗り、席についた瞬間、もうダメだった。車内の少し暖かな空気と心地良い揺れに、俺はもう完全ノックアウト、不覚にもタツミの隣でウトウトしはじめた。
いや、ダメだ、眠るな。俺は俺に訴えかける。まだうら若き男子高校生がそんなやれて疲れた通勤リーマンのような真似をデート中にしてなるものか。俺はチラリと横目でタツミの横顔を見た。美しく可愛らしいタツミの横顔。これを楽しめるのは今だけなんだぞ。彼女と過ごす素晴らしい時間を、睡眠なんてもので無駄にしていいのか!? 否、断じて否! 良い訳がない! 眠るな! 眠るのは家でできる。今はタツミと一緒に楽しく過ごすんだ……!
「マツザキくん、起きて」
わかってるよ、タツミ。俺は起きる。起きている。君と楽しい時間の最中に眠るわけがないだろう? 俺を侮っちゃいけないぜベイビー。俺は全然元気で平気さ。むしろ心地よくて気持ちも良いんだ。君と一緒にいると、心がふわふわして、落ち着いて、安心できるんだよ。
「終点だよ、起きて」
わかってる、わかってる、わかってる……ん? 終点? どういうことだ? 電車は今走り出したはずなのに?
「ほら、もう、起きて」
俺の世界ががくがくと揺れた。
そこで、目が覚めた……。
「あっ……」
「起きた?」
隣で苦笑するタツミ。正面は知らない駅。正確には、名前は知っているが行ったことのない駅だった。
「俺、寝てたのか……」
「うん、ぐっすりとね」
俺は愕然として落ち込んだ。せっかくの貴重な夢のようなデートの時間を夢で費やしてしまったのだ。なんたる大失態。
「起こしてくれてよかったのに……」
「うん。でも、すっごく気持ちよさそうにしてたから」
「ごめんな、つまらなかっただろ?」
俺が謝ると、タツミは首を振った。そして微笑んだ。
「ううん、楽しかったよ。マツザキくんの可愛らしい寝顔も見れたし」
タツミの言葉と微笑みは、まさに天使だった。寝起きの俺にはあまりにも眩しすぎて、ありがたすぎてなんだか泣けてきそうだった。
「ねぇ、この駅って海にすっごく近いんだよ。ちょっと降りて行ってみようよ!」
有無を言わさず、タツミが俺の腕を引っ張った。タツミに導かれ、電車を降りた瞬間から潮が香った。俺たちは改札を抜け、駅から少し行くと目の前に一面の海が広がった。
「わー! 海だよ海~!」
タツミが無邪気にはしゃいでいる。大人っぽいスタイルしているくせに、笑顔と中身は本当に無垢な少女だった。
でも、それは俺もあまり変わらない。見た目にこそ表しはしないが、内心じゃ俺も興奮していた。それは曇り空の下の海の意外な荒々しさや、冷たく吹く風に香る潮のせいだけじゃない。いや、むしろ全部タツミだった。今の俺はタツミが全てだった。
「ねぇねぇねぇ! ちょっと浜辺に行ってみようよ!」
タツミがまた、俺の手を取る。少し小さめの、少し冷たい手が驚くほど気持ちよかった。
これが『デート』か……。正直言って、楽しすぎる。しかもまだ『デート』は始まったばかりだった。
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