10月6日(木)
「ねぇ、マツザキくん」
授業中、隣から小さく声がかかった。トキさんだ。トキさんが授業中に声をかけてくるなんて珍しい。俺は横目でトキさんを見た。
「芯、貸してくれない?」
小さな掌をこっちにそっと差し出していた。シャーペンの芯が切れたらしい。あの真面目で何事にも卒がなく、忘れ物とかそういったミスをしないトキさんにしては珍しいことだった。そしてよく見ると本当に小さな手だった。見た目にもすべすべで、なんとなくカエルのような手をしていた。失礼ない意味じゃなくて、それくらい可愛らしい手、という意味だ。
「おう」
俺も小声で返し、そのカエルの手に芯を二本のせてやった。
「ありがとう」
トキさんが小さく頷いた。トキさんはなんでも小さい。手も声も身長も動作も、何もかもが小さい。一つ、目だけがくりくりと大きかった。小さくて可愛らしい少女、それがトキさん。
「どいたまして」
トキさんは真面目だ。授業中、滅多に私語はしない。だからこれで会話が終わるものと思っていたのだが、トキさんはなんと、大胆にも机を少し俺の方へと近づけてきた。俺とトキさんの距離が約十センチ近づいた。
「最近、特に仲がいいみたいね?」
トキさんが言った。外では上級生が体育祭の予行演習をしていて騒がしいから、トキさんの小声も目立たない。
「誰が?」
俺は聞き返した。
「あなたとタツミさん」
「そうかぁ?」
とぼけてみたが、正直なところその自覚はあった。たしかに近頃の俺とタツミは毎日のように会って話している。メッセージアプリでも毎日やり取りがある。それは俺が無精だからほんの二三往復だけど。
「連絡先も交換したんでしょ?」
トキさんの一言に、俺はギクッとなった。俺は驚きのあまり隣のトキさんへと見た。トキさんはいつもの澄ましたクールな表情で、黒板を眺めていた。
タツミと連絡先を交換したことは誰にも言っていない。秘密にしているわけじゃないが、別に自分から言う事でもないと思うし。トキさんがそれを知っているということは、答えは一つ、
「タツミから聞いたのか?」
しかし、トキさんは俺を横目で見て、意味深な笑いを口元だけにうっすらと浮かべたあと、ゆっくり首を左右に振った。
「わざわざ聞かなくてもわかるから。マツザキくんを見てるとね」
「え?」
「マツザキくん、顔に出てるから」
「か、顔に……?」
ちょっと言っている意味がわからない。
「わかりやすすぎるよ、マツザキくんは」
「ごめん、言っている意味が全然わからない」
「だってマツザキくん、最近は休み時間にスマホいじるようになったじゃない」
「画面を見たのか?」
トキさんはさっきより笑った。噴き出すように顔を歪めると、すぐに取り澄まして俺の方を見た。なぜか大人な笑みであり目線だった。見た目の小ささとは裏腹に、トキさんの醸し出す雰囲気はやけに大人びていた。
「さっきも言ったじゃない。マツザキくんの顔を見たらわかるって」
「だから、その意味がさっぱりわからないんだけど」
「だって、顔に書いてるよ? 今タツミさんと連絡取りあってるんだって。そのときのマツザキくんの顔、やけに嬉しそうだもの」
俺は言葉もなかった。恥ずかしいのと同時に、トキさんの観察眼に感服した。いや、本当に参った。まさかそんなことが顔に出ているとは思わなかった。その時の自分の顔を想像して、俺は今すぐ枕に顔を埋めてジタバタしたくなった。可愛い女の子とスマホでやり取りしてニヤつく男、しかもそれが隣の席の女の子にバレていたなんて、二重にかっこ悪い。ああ、穴があったら入りたい。頭からダイブして、そのまま物言わぬ石にでもなりたい。
「ね、私とも連絡先の交換してくれない?」
「え……?」
トキさんはトキさんらしくない行動に出た。授業中なのに、彼女はカバンからスマホを取り出し、操作し始めた。
「タツミさんと連絡先交換してるの、言いふらされたくなければ交換しましょう?」
まさかの脅迫。いよいよもってらしくないトキさんの行動に、俺は彼女の真意を読み取るべく、そのつぶらな瞳を覗き込んだ。大人びた表情のトキさんは、揺るぎなくまっすぐに俺を見据えていた。なぜかやけに強い意志を秘めた目に、どこか色っぽさがあった。
こちらとしてはトキさんとの連絡先の交換に否やはない。別に脅迫なんてされなくたって、普通に言ってくれればそれでいいのに。なぜ、トキさんはそんならしくない言い方をするんだろうか? 今のトキさんのらしくない行動は、ちょっと今の俺には理解できない。
「そんな脅迫じみた言い方しなくたって、普通に言えばいつだって交換するよ」
「本当?」
「そんな嘘つかないよ」
「だって、マツザキくんは誰とも交換してないってタケウチくんから聞いたから」
「仲のいいやつとなら普通に交換してるよ。クラスならタケウチとイシカワコンビとか。あいつらも連絡不精な俺に気を使ってそう言ってくれてるんだと思う」
「そうなんだ……」
とりあえず連絡先を交換した。授業中にやるのはどうかと思ったが、流れでそうなってしまった。
「さっきも言ったけど、俺は連絡不精だから、なかなか返事返ってこなくても怒らないでくれよ」
「うん、タツミさんと同じくらいの頻度でいいから」
「なんだそれ」
そのとき、スマホの画面に通知が表示されていた。タツミからだった。開いてみてみると、
『いぇ~い(ピースの顔文字)授業中だけど、送っちゃいました(悪魔の顔文字) 私ってワル?』
一文に加えて、おそらく授業中に撮ったと思われるピースしてる手の写真。
アホだな。俺は心の中で苦笑いして呟いた。
今日のトキさんは真面目な優等生らしくなかったが、タツミはその上を行くワルぶりだった。大胆不敵で馬鹿げているのは、タツミのほうが一枚上手のようだった。
もちろん俺は既読無視し、スマホの電源を切った。トキさんの可愛らしいワルには乗っかってやれるが、タツミの大胆不敵さにはついていけない。そこがタツミのいいところであり、面白いところではあるけれど。
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