10月5日(水)

 昼休み。さて、いつものところで一眠りしようと思っていたのだが、先客がいた。


 タツミだ。めっちゃくちゃ眠ってる。健やかな寝息を立てて幸せそうだ。秋らしい気候で湿度も低いため日陰だと昼寝をするにはちょうどいい午後だった。つまり校舎裏の並木の陰のこの場所は、昼寝をするのに格好の場所なのだ。


 俺も昼寝したいのにな。どうしたものか? 俺はすこし考える。この場所は人が二人眠れるような場所じゃなかった。寝転がるにちょうどよくフラットな場所は一つしかなく、そこは既にタツミが実効支配している。


 とりあえず俺はその隣に腰掛けた。タツミの頭頂部のすぐ隣だ。タツミがくぅくぅ小さく言っている。まるで小動物だ。そのすぐ横でなんとか眠れるに相応しい体勢が取れないかと試行錯誤したのだが、結局どうしようもなかった。俺は木のすぐ傍の段になったコンクリートの壁に背中を預けるしかなかった。


 タツミを起こそうとかとも一瞬考えた。タツミの寝顔を見ると、すぐにその考えを打ち消された。こんなに幸せそうに眠っているヤツを起こすのは忍びない。ここが極寒の雪山ならぶん殴ってでも起こすが、あいにく現在は昼寝に相応しい秋の陽気だ。


 しかし眠れない以外は素晴らしい午後だった。風があるが、それが肌に心地よい。冷たくもなくぬるくもない、ちょうどよく柔らかな風が心を落ち着かせてくれる。風が吹くたび、金木犀が香った。金木犀のピークは短い。それは秋が短いせいかもしれない。ふと、そう思った。空は薄雲が張り巡らされ、地上は穏やかな光で溢れている。平穏だ。今この瞬間は平穏極まりなかった。横になれない以外は、全てが素晴らしく思えた。


 俺は目を瞑り、全身の力を抜き、大きく息を吐いた。心地よい午後のひとときに俺の頭は思考を忘れかけている。秋の穏やかに包まれると何をする気も起こらなくなった。羽毛に包まれるような微睡みが俺を優しく襲った。どこか遠くで鳴く鳥の声と、タツミの寝息が俺を眠りへと誘った。


 気がつけば眠っていた。スマホのアラーム音で目を覚ました。ポケットに手を突っ込み、アラームを止めた。昼休み終了六分前を報せるアラームだった。座ったまま眠っていたため、身体が変にこわばっていた。俺はノビをしつつ、身体をほぐしつつ、隣のタツミを見た。タツミはまだぐっすりとお休み中だった。


 しかし本当によく眠っている。俺が眠る前と変わらない姿勢でくぅくぅ鳴くような寝息を立てている。眠りがさらに深くなって頬が緩んでいるのか、心なしか締まりのない笑い顔になっている。俺はほんの一瞬、この寝顔をカメラで撮ってやって、あとで送りつけてやろうかと思ったが止めた。盗撮はすべきじゃないし、よく考えたら昼寝は見られてるのは俺のほうが多い。同じ目に何度もあわされるのは目に見えている。


 盗撮は止めた、が、いたずら心だけは抑えられなかった。正確には意地悪心だ。つい先程、授業開始五分前のチャイムが鳴った。なのにタツミは未だぐっすり隣で眠っていた。俺は自分のスマホのアラームを授業開始二分前に設定して、タツミの耳元へ置いてやった。そして俺は眠り姫をそこに放置して一人教室に戻った。


 放課後、予想通りタツミがやってきた。


「ねぇ、起こしてくれてもよくない? 私、おかげで授業に遅れそうになったんだけど?」


 そう言いながら、タツミは俺のスマホを差し出した。俺は受け取りつつ、


「あんまりぐっすり幸せそうに眠ってたからな。それにお疲れのようだったし、起こすのも悪いと思ったんだ。でも、いつぞやの俺みたいに授業に遅れちゃ可哀想だから、ちゃんとアラームを設定したスマホを置いてやったんだぜ? で、ちゃんと授業に間に合ったんだろ? 感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないと思うけどなぁ」


 俺はニヤニヤ笑って言ってやった。さすがにこの正論には、昼休みにはくぅくぅ鳴きながら眠っていたタツミであってもぐぅの音もでないようだった。


「……意地が悪いんだから」


「なおかつそれでいて優しい、だろ? アンビバレンツなんだ、俺は」


「アンビバレンツって何?」


「アンビバレンツとはだな――」


 そんなことを話しながら、俺たちの足は自然と駐輪場に向かっていた。どちらとも切り出すことなく、一緒に帰る流れになっていた。俺たちにとってそれはもう自然な流れだった。タツミはどう思っているのか知らないが、俺にとってタツミといることは、もはや日常になっていた。

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