9月18日(日)

 コンビニでお菓子とジュースを買って店を出ると、ばったりタツミと出会った。タツミの顔を見た瞬間、昨日の泣き顔がフラッシュバックした。


「こんちわ」


 タツミが言った。昨日と違って、いつものタツミだった。


「ねぇ、ちょっとそこで話さない?」


 断る理由もないので、二つ返事で了承した。


 少し歩いて、近くの公園へ移動した。ツツジに囲まれたベンチに二人並んで座った。見上げると一面に曇り空。直射日光はないが、昨日よりも蒸し暑かった。俺たちはコンビニの袋からジュースを取り出して飲んだ。そこから沈黙だった。なぜか気まずい感じだった。どちらからも話を切り出さないし、切り出せない、そんな微妙な雰囲気だった。普段の俺たちにはありえないことだった。


 沈黙は俺たちに似合わない。俺は不似合いな気まずさに耐えきれなくなって、とにかく何か話しかけようと思った。話題も何も持っていないし、考えてもいないが、とにかく話しだせばなんとかなる、そう思った。


「なぁ」


「ねぇ」


 ほとんど同時だった。それが余計に気まずさを高めた。

 再び沈黙。


 沈黙のなかで俺は思った。なぜこんなに気まずいのか? 多分、きっと、おそらく、昨日のことがあるからだ。昨日見たタツミの泣き顔が俺を及び腰にさせていた。今泣いている真っ最中というわけでもないのに、なぜか俺はタツミを腫れ物に触れるように扱ってしまっている。


 おそらくタツミの方は、昨日俺に泣き顔を見られたことなんて知らないだろう。だから普通にしていればいいはずなのに、なぜかそうできない俺がいる。こんなに自分で自分の気持が理解できないのは初めてだった。女の子の涙には、俺を普通でいさせない何かしらの力があるのかもしれない。


「ねぇ、何か言いかけたでしょ?」


 たっぷり沈黙の間を取ってから、タツミが言った。


「なんだったか忘れちゃったよ」


 正確には何もなかったのだが、そういうことにしておいた。


「そっちこそ、何か言おうとしなかった?」


「うん、だけど忘れちゃった……」


 タツミは自分の足元を見ながら言った。声音と表情が、どこかいつものタツミとは違った。

 そこで俺は気づいた。気まずい原因の一つは、このタツミの態度にもある、と。タツミがどこかおかしいから、俺もおかしくならざるをえない。昨日泣き顔を見た身としては、やはりいつも通りというわけにはいかないだろう。


 タツミのこの態度には、おそらく昨日の涙が関係しているに違いない。そう思うと、涙の理由を知りたくなった。何がタツミを泣かせたのか聞きたくなった。


 しかし聞くべきか? いや、俺から聞くべきじゃないだろう。あっちから話したいならともかく、俺から聞き出そうとするのは、下品な芸能リポーターのようで嫌だ。そんなこと思いながらも、やっぱり知りたい下衆な気持ちもある。俺は品行方正な人間じゃない。ゴシップもわりかし好きだ。自覚しているからこそ、自制したいという気持ちも強いのだが……。


 そんな矮小な葛藤で内心頭を抱えていると、


「ねぇ、マツザキくんは泣きたくなるような悲しいことがあったら、どうする?」


 タツミは俺の方を見ず、真っ直ぐ前を見て言った。視線の先にはブランコがあるが、彼女の澄んだ朧げな目はそれより遥か遠く、高い世界を見通していた。


 昨日、そんなことがあったのか?


 口だけ動いて、その言葉は音にならなかった。ギリギリのところで、俺はそれを声に出さなかった。


「えっ?」


 タツミがこっちを見た。純粋な瞳で俺を見た。


「そうだな、そんなときは泣けばいいんじゃないかな」


「でも、泣いたって解決しないことだったら?」


「たとえ解決しなくても、泣きたい時は泣けばいいんじゃないか? 涙は心の汗だから、かくだけかいたって恥じゃない、なんかの歌でもそう言ってた」


「へぇ、なんて歌?」


「忘れた」


 タツミは急に笑って、


「マツザキくんっていつも肝心なところてるよね」


 そう言って、タツミは大笑いした。びっくりするくらい大きな声で、心の底からゲラゲラ笑っていた。ちょっと引くくらい、抱腹絶倒していた。


「俺は飛びていい男だからな。笑いたきゃ笑え」


 タツミの目尻に涙が浮かんでいた。昨日と似て非なる色だ。曇り空なのに、タツミの顔がやけに明るく見えたのは、きっと彼女の心が明るくなったからだ。


「やっぱマツザキくんって面白いね! ありがと。なんか楽になった」


「またいつでも言ってくれ。俺はる男だからな」


「それはやらしーからイヤ」


「え゛っ」


 タツミがまた笑った。心底楽しそうな笑顔。あんまり笑いすぎて、ベンチにおいていたペットボトルに手がぶつかって、地面に落としてしまっていた。

 それでいいさ。笑え笑え。泣きたきゃ泣け。何があったのかは知らないし、聞かないが、今心が楽ならそれでいいさ。


 いつの間にか俺たちはいつもの俺たちになっていた。時が経つのを忘れて、俺たちはベンチで楽しく話した。日が暮れて、俺たちを夜の帳が包むまで、ひたすらばかな話をした。

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