第32話 お兄さん

 この二人の少女は、佳奈の初等部時代からの親友である、橋立麻里と花岡静香であった。

 三人が、いつものように仲良く放課後を過ごしていたある日のことである。

 何だか校内が少し騒がしいと感じた。

 生徒会長の東海林が、いつになく慌てている様子だった。


「幸様のファンクラブとして、何たる不覚、こちらへのご訪問を読み切れないとは!」


 東海林の慌てぶりは無理も無かった。

 土日、祝日でもない全くの平日に、国防大学校の学生が外出出来るとは考えていなかったからである。

 しかし、今や幸もまた防大生徒会の参謀に名前を連ねており、部外広報という名目で比較的外出に許可の降りやすい立場となっていたのである。

 しかし、徳川幸ファンクラブとしては、その情報網にかからないことは嬉しい悲鳴であるとともに、混乱の因子ともなっていた。

 幸は東海林を見つけると、簡単に挨拶して、早々に本題に入った。


東海林「・・・上条佳奈さん、高等科1年、ですか?」


幸 「そう、三つ編みの似合う可愛い子なんだけど、知ってる?」


東海林「ええ、それはもう、校内の全生徒の顔とお名前は存じております、上条さんはたしか、ピアノのお上手な子で、全国大会出場で中等部では有名人ですわ。お父上が確か軍の高級将校をされているとか。」


 幸はようやくこの時、上条と聞いてピンときた気がした。

 もちろん、よく知っているわけではないものの、国防大学校の式典に数回来賓で来ているのを見たことがあったので、顔と名前を知っていたのである。

 もっとも、国防大学校の式典に来賓で来るぐらいなので、軍の中でもかなり上級の役職であることはすぐに理解出来た。


「・・・ああ、上条さんって、あの上条さんなんだ。お父さんの名前も知っているけど、そう言えば中等部にいたね、ピアノの上手な子が。」


「ええ、そうなんです。で、幸様、その上条さんに一体何のご用で?」


「うん、知り合いからね、ちょっと書簡を預かっているので、それを渡しにね。」


「はあ、・・・一応確認しますが、殿方からのお預かり、ではありませんよね。」


 東海林は生徒会長という立場上、この伝統と格式のある鎌倉聖花学院の風紀を守るという使命を帯びていた。

 もちろん前任の生徒会長である幸は、それをよく理解していたが、他ならぬ三枝の弟からの依頼でもあり、多少強引でもこの手紙は渡してやらねば、と考えていた。


「もちろん、そんな洒落たものではないよ。陸軍の学校がらの招待状、とでも言っておく。」


「えーと、大丈夫ですか?この辺で陸軍の学校と言えば、陸軍工科学校しか無いですわ。あそこは聖花とは真逆な生粋の男子校です、大丈夫なんですか?」


 幸は笑いながら、こう答えた。


「大丈夫も何も、わたしも軍の学校の学生なんだよ、公的なものだよ、大丈夫!」


 幸の軽いウインクに、本来であれば東海林の鋭いセンサーが、この書簡の中身を察知出来たであろう。

 しかし、この幸のウインクの破壊力は、ファンクラブ会長のセンサーを狂わせるには十分過ぎる効果があった。


「、、、わかりました、それではその書簡を私がお預かり致します。さ、こちらへ。」


 東海林がそういうが、幸は東海林の検閲を恐れて、本人に直接手渡したいと申し出ると、再び破壊力の強いウインクと、耳元での囁き攻撃で、難なく切り抜けた。


「上条さん、いらして?。幸様がお待ちですわ。」


 上機嫌な東海林に言われ、生徒会別室に通された佳奈は、借りてきた猫状態で、固まっていた。


「・・あのう、本日はどのようなご用件で・・・。」


 相変わらずのおっとりとした答えに癒されながら、幸と東海林は彼女に書簡を手渡すのである。


 翌日、佳奈のクラスメイトは軽いパニック状態であった。

 まずあの凛々しい詰襟制服姿で現れた徳川幸が直接、それも別室で佳奈と面会、手渡された封筒の中身は男子校の学園祭案内状、それも陸軍直轄の。

 女子高生の話題性としては十分過ぎるものだった。

 特に親友である橋立麻里と花岡静香の反応は、凄まじいものがあった。

 この時代、陸軍軍人と言えば、カッコいい男子、男性の代名詞でもあり、パーティーともなれば、お相手を求める女性陣に圧倒されてしまうほどである。

 このお嬢様学校であっても例外ではなく、幸ファンクラブは別として、大概の女子生徒は憧れの存在である。

 まして陸軍工科学校は、完全寄宿舎制にして、外出も制限が多く、地元女子校生との接点は極めて少ないのである。

 鎌倉聖花では、全学年を通じ他校の男子生徒とのお付き合いは原則禁止とされ、許嫁や親戚といった縁者以外は近づくことすら躊躇われた。

 しかし今回の書簡は、生徒会長を通じた正式なものであり、偶然のご縁とは言え数少ないチャンスでもあった。

 そんな情報を、この二人は絶対に逃すはずは無かった。

 特に花岡静香は、龍二達国防大学校の四人組が来校した際に、ファンクラブの一員として龍二、優、城島と接点があり、これまで見てきた男性と、あまりの大きなギャップに驚きつつ、少し胸にもやもやとした感情が残り続けていることも感じていた。

 それは、思春期の恋心に近いものであったはずだが、徳川幸ファンクラブの会員である花岡は、その事にすら気付かずにいたのだった。

 そんな心の中身を確かめる為にも、今回の学園祭へはどうしても参加する必要があったのである。


「それで、具体的に三枝君というのはどんなタイプ?やっぱりお兄さんみたいなタイプなの?」


 花岡は、もうその感情を抑えきれないでいた。

 今、彼女が言った「お兄さん」とは、先日来校した三枝龍二のことであり、啓一のことではない。

 もっとも、この三枝兄弟が、あのドグミス日本隊に関係した三兄弟だとはまだ気付いてはいなかった。

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