第21話 上条 佳奈


 上条氏は、実家の道場に良く剣道で訪れる真陰流の門下生であり、印象に残っていた。

 そんな龍二の状況とは全く関係なく、この不思議な空間の人間関係は、複雑に入り交じっていた。

 特に、佳奈の少しおっとりした思考では、中等部時代から憧れだった徳川幸先輩が、この病室に!。

 そして同じ制服を着た、やたら背が高く、顔の整った青年と、なんだか妙に美少年な小さめの人、そして10日ぶりになる、あの日見たボロボロだった兵隊さんの四人が、同じ病室に。


「あの、その節はありがとうございました。あらためまして、私、上条 佳奈と申します。」


 その場に居合わせた5人の動きが、固まっていた状況を壊すように昭三が切り出した。

 まず昭三は、彼女に言いたかったお礼を言うことができたのである。

 しかし、お礼を言ってしまうと、他に何も話すこともなく、彼は再び下を向いてしまうのである。

 病室に二人きりであれば、少しは話すこともあったろう。

 しかし、佳奈の目の前にいる、憧れの徳川幸の存在が、普通の会話を妨げていた。


「まあまあ、そう二人とも堅くならずに、ね。でもよくこの病室がわかったね、どうやって調べたの?」


「はい、介抱している時、胸に白い名札が縫いつけてあったので、覚えていたんです。それで、軍人さんが入院するなら一番大きな横須賀海軍病院かなって。」


「そっか、佳奈ちゃんは優しいのね。」


 そんな優しい幸の言葉も、ここでは逆効果である。

 佳奈は、顔を真っ赤にしながら、もはやその場に居ることが限界に近づいていた。


「あの、わたし、三枝さんのように兵隊さんとして頑張っている人を見ると、応援したくなるんです。この間は私を避けようとして怪我をさせてしまって、申し訳ないと感じていたんです。どうかこれからもお仕事頑張ってください。」


 どうも佳奈は、昭三が同じ高校1年生ではなく、一般部隊の若い兵士と勘違いしているようであった。

 佳奈は、自分の思いを告げると、流石に耐えきれず、一礼してその場を立ち去ってしまった。


 そして取り残された4人。

 何とも可愛らしい来客に、一同は和んでいた、、、昭三を除いてであるが。


「あの制服だと、高等部1学年だね、幼く見えるけど、昭三君と同い年ね」

 

 幸は、母校の制服であるので、名札の色や制服の特徴から、学年がすぐにわかった。

 自分と同い年、、、

 彼が抱えていた、もやもやとしたものの正体が、幾分かはっきりした気がした。

 そう、上条佳奈は、自分にとって理想的な女性であると確信したのである。

 守りたい、世の中の全てから。

 そんなふうに思えた。


 たしかに保護欲の強い軍人でなくとも、だれもがそう思える激甘な容姿。

 子猫と子ウサギが、そのまま女の子になったような可愛らしさ。


 陸軍工科学校での不慣れな生活の中で、忘れかけていた女性の温もりに触れた気がした。

 そして、彼もまた幼くして母親を亡くした三枝兄弟の一人であり、最もこの種の愛情に飢えているのである。

 

 彼女が去った病室には、爽やかで、どこか未成熟な少女の香りだけが残っていた。

 その日以来、昭三の心の中は、上条佳奈が大半を占めてゆくのである。




 龍二、優、幸の三人は、帰りの電車の中で、先ほどの少女と昭三の二人について、勝手に盛り上がっていた。

 そして、話題は城島の件へと移ってゆく。


「なあ三枝、お前本当に部活は諦めるつもりか?」


 幸がそう言うのにはもちろん事情がある。

 5月の段階で、大半の者は入部先が決まっており、現在では毎日のように激しい練習が繰り返されていた。

 そんな中、あの色々の意味で有名人な、三枝龍二の部活動には、学校側から物言いがついてしまったのである。

 当然、如月優も、城島や雷条も、龍二はサッカー部に入るという前提があっての入学であった。

 龍二自身も、特別拘りも無く、例によって周囲に勧められるまま、流れに逆らわずサッカー部を考えていた。

 そんな中、まず異議を申し立てたのが剣道部である。

 もちろん、高校時代と同様に、彼は家元を既に継いだ身であるため、大学剣道界には選手登録が出来ない。

 それを承知の上で、特別待遇でもよいからと入部を迫ってきていた。

 特に剣道部主将、片平の意気はすさまじく、彼自身、龍二の兄、啓一が防大剣道部時代の華々しい戦果を知っているだけに、龍二の防大入学のニュースを吉報として受け止めていたのである。

 待ちこがれた龍二が、寸前のところで剣道部に入れない、そんな失望感が、彼を一層奮い立たせた。

 そして、龍二のことを入部させたい部活は、更に多岐に渡った。

 特に、なぜか柔道部の引き込みは凄まじく、部長の春木沢はその巨体と荒々しさから、「昭和の番長」とあだ名されるほどの強烈なキャラクターを、校内に植え付けていたのである。


 そんな春木沢が、柔道部への入部をかけて龍二に勝負を挑んできたのである。


 5月の連休が終わり、梅雨のシーズンが訪れていた頃である。

 何時までも止むことのない鬱陶しい雨は冷たく、決戦に挑むこの両者を濡らし続けていた。


「春木沢先輩、本当によろしいのですか?、いくら豪腕な先輩でも、剣術ではハンデは大きすぎますよ」


 龍二がそう言うのも無理はない。

 春木沢はこの決闘を、得意の柔術ではなく、龍二の専門である剣術によってつけようとしているのである。

 決闘の場所は野球部の使用している野球場の更に外側、太平洋が美しく見える旧観測所跡地、つまり学校の最東端に位置する場所である。

 強い風と止まない雨、まるで時代劇の決闘シーンのようである。

 立会人は剣道部主将の片平となっていたが、もはや立会人を立てるまでもなく、大半の学生がこの会場に所狭しと集まっていた。

 これだけの人間が集まっていながら、辺りは異様に静かであった。


「大丈夫かなあ、三枝君、というより、この決闘ってルールとかあるのかな?」


 心配そうに優が幸に話しかける。


「いつも思うのだが、、、、三枝はこういうシチュエーション、・・・似合うな!」


 幸の的外れな感想を、真っ向から否定するように城島が


「まてまて、この理不尽な状況を、その一言でまとめようとするんじゃねえよ!。俺たち三枝とサッカーするためにこの学校に入ったんだぞ」


 いやいや、学校の趣旨を思いっきり履き違えているだろう、という冷ややかな目で幸と優は城島を見ていた。

 そんな中、雷条もまた別の視点を持っているようだった。


「あいつ、いつも楽しそうな事の中心にいやがるな、俺も混ぜろって」


 今度は城島が、ああ君はそっちね、という冷ややかな目で彼を見るのである。

 しかし、事態は重大な局面と言えた。

 この学校は、普通の大学のように3年生の後半から就職活動のため、部活を引退する必要がないので、春木沢もまた4学年でありながら引退の気配はないのである。

 つまりこの戦いは、絶対上下関係と言われている国防大学校内においては、極めて希な最上級生と最下級生との決闘を意味する。









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