第20話 お礼すら言えず

 ほどなくして、佳奈の連絡を受けた警察と消防が、昭三の救助に当たった。

 もちろん教官達も。

 どれだけ叱られるかと覚悟していたものの、教官側の安全管理不十分ということと、事態の大きさ故に、大した処分も無かった。

 少し長めの入院を除けばであるが。


 そして入院中、彼を最も悔しませたのは、あの少女の素性を全く聞かずに別れてしまったことである。


「お礼すら、言えなかったなあ。」


 ぽつりと呟いた。

 それは深い後悔からくるものである。

 そしてそれは、日が経つに連れ大きなものになってゆくのである。

 それ以降、昭三の胸には、名前も知らぬ少女の事が、胸に刺さるトゲのようにいつまでも残り続けてしまうのである。




 翌週の日曜日、昭三の入院している横須賀海軍病院に、三枝龍二、如月優、徳川幸の三人がお見舞いに訪れた。

 城島を入れた四人で行動する事の多かったこのグループにも、夏を過ぎ大きな問題が発生していたのである。


「昭三、おまえよくこの程度で済んだもんだな」


 龍二が関心しながらそう言うと、三人は昭三の足に目をやる。

 さすが三枝家の三男、頑丈に出来ている。

 普通なら、複雑骨折の可能性すらあったであろう状況を考えれば、あれだけの高さから落ちたにも関わらず、通常の骨折で済んでいたのは流石である。


「でも、これだと部活なんかはしばらく無理だね、何部だっけ?」


 優が優しく聞く。

 龍二と古い友人だった優は、昭三とも顔見知りである。


「吹奏楽部です。」


 幸と優は、意外という顔をした、あの三枝兄弟の三人目というのだから、どれだけとんでもない少年か、とても気になっていたからだ。

 しかし、目の前にいる少年はいかにも普通の少年で、武人というよりは、どこにでもいる普通の高校生であった。

 それでも、どことなく龍二に似ている顔つき、それはさながら、少し幼い龍二とも言えた。

 それ故に、龍二と昭三のツーショットが、何とも違和感を覚え、かつ微笑ましいのである。


「吹奏楽・・楽器は?」


「サックスです」


 ん~、これはまた普通だ、と二人は思う。

 音楽やオシャレに興味のある普通の高校生、なんとも新鮮である。

 そんな昭三に、龍二は山地機動訓練時のことを聞く。

  

「ところで、よりによって、なんであれだけの高さかあら飛び降りたんだ?」


「最初はね、普通にゆっくり降りる予定だったんだ、でも目の前に女学生が歩いていたので避けたというか・・・」


「他に回避方法もあっただろうに、しかしまあ、空挺要員には向いているかもしれないな」


 龍二は怪我をしている弟の前で、冷静に将来の兵科を分析し始めた。

 幸はポカンとした顔で、何なのだろう、この兄弟はと思うのである。


「で、その女学生、、、女子高生?女子中学生?には、怪我はなかったの?」


 幸が珍しくお姉さんのような言葉使いで優しく聞く。


「あ、はい、中学生か、高校生くらいだと思います。大丈夫でした、怪我はしていないと思います。でも、せっかく介抱してくれたのに、お礼の一つも言えず、それっきりなもんで。」


 そう言うと昭三は俯き、黙ってしまった。

 そして幸は気付くのである。

 昭三は、その少女が気になっているのだと。


「そう、その子とまた会えるといいわね」


「はい、・・でも手がかりが無いというか」


「その子、学生の制服だったんでしょ?特徴とかないの?」

  

 そして昭三は、彼女の特徴を語り出す。

 三本線の入った古風なセーラー服にオレンジ色の名札、上品な言葉使い。

 、、、やがて三人の頭には、共通の学校が浮かび上がる。


「あ~、それはあれだね、たぶん私の母校だなあ」


 照れながら幸がそう言うと、昭三の表情が急に明るく変化した。


「徳川さんは、なんという学校だったんですか?」


「・・・鎌倉聖花学院」


 昭三は息を飲んだ、もちろん良く知っている名称だ。

 兄啓一の葬儀で会ったきりではあるが、婚約者だった三枝 澄の勤め先であり、母校でもある名門の女子校である。

 どこか懐かしい雰囲気を感じたのは、その影響もあったことが、この時昭三はようやく理解できた。

 そしてそれは、余計に彼の胸を締め付けるのである。


「徳川さん、何とか彼女と連絡取れないでしょうか?あのときのお礼が言いたいんです」


「お礼を言うだけでいいのかなー?」 


 幸が悪戯いたずらっぽい表情を浮かべ昭三をからかう。

 見た目は少し小さな龍二といったこの少年を、上から目線でいじれることに、若干の優越感と母性を感じつつ、窓の外に目をやると、彼女はある事に気付くのである。


「案外、問題の解決は早いかもしれないわよ」


 男三人は不思議そうな表情を浮かべた、が、幸の発言の理由は間もなく理解出来た。

 大人しそうな声で、病室の場所を訪ねる声が遠くからした。


「・・あのう、331号室の病室はこちらでしょうか?」


 声の主に、昭三はすぐに気付いた。

 しかし、あまりに突然のことで、どんな表情をしたら良いか解らないであわてていた。

 また、そんな昭三を、もうどうしようもなく可愛いと感じながら、笑いを堪えるのに必死な幸がいた。


「失礼します、三枝さんのお部屋はこちらで、、、、え、! ええ、えー!」


 もちろん病室を訪ねてきたのは、上条佳奈である。

 しかし、佳奈はあまりに予想外の部屋の状況に困惑していた。

 また佳奈を見た防大三人組も、新鮮な驚きを感じていた。

 佳奈は、今日も学校の制服を着ていたが、過日に訪問した際に見た生徒会長や幸の変装の、鋭さのある美しさとはまた別で、どこかふんわりとした印象の、まだ幼さの残る表情に、三人は納得していた。

 

「君は、鎌倉聖花の生徒だね、ということは君が昭三君を助けてくれた子か」


 幸がそう言うと、佳奈は顔を赤くして小さく「はい」とうなずいた。

 幸は続けてこう言った。


「初めまして、私は・・・」

「あの、私、知っています、徳川幸先輩ですよね。私こそ初めまして、上条佳奈と申します」


 上条佳奈、その名前を聞いて、もしやと思ったのは、龍二と幸であった。特に龍二は上条という人物を知っていたため、この時は単なる偶然だと感じていたのである。






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