出会うはずのない二人

第18話 二人の16歳

 短い夏が終わり、季節は秋を迎えつつあった。

 国防大学校の所在する横須賀市には、国防軍直轄の学校がもう一つ存在する。


 「陸軍工科学校りくぐんこうかがっこう


 それは、陸上自衛隊時代から高等工科学校こうとうこうかがっこうとして存在し、中学校を卒業した者達から選抜され、将来の技術系陸軍下士官ぎじゅつけいりくぐんかしかんを目指す陸軍直轄りくぐんちょっかつの、いわゆる高等学校であるが、文部科学省の学校ではないため、高等学校とは呼称されていない。

 しかし、その門徒の狭さから、学力レベルは非常に高く、結局卒業生の大半は幹部自衛官へと出世していくのが常であった。

 もちろん陸軍直轄になって以降もレベルは高く、将来の中堅士官を多く排出することは容易に予想された。

 三枝家三男、三枝昭三さえぐさしょうぞうは、この学校の1学年として在学している。

 まだ成長途中であった昭三ではあるが、あのドグミス日本隊の玉砕ぎょくさい以降、自分も兄と同じ軍人の道を目指すようになっていた。

 しかしそれは、次男の龍二が持つ覚悟とは少し異なり、まだ中学生であった昭三の、兄たちに負けたくないという気持ちと、二人の兄のように、世間に訴えるべき手段を何一つ持ち合わせていないことへの苛立ちもあった。


 そんな中での龍二の国防大学校への進学は、正直かなり意外なものであった。


 と言うのも、兄は当然家督を継ぎ、剣術の道へと進むものとばかり考えていたからだ。

 そんなこともあり、長男啓一の志を継ぐのは自分であると考えていた矢先の、国防大学校合格の知らせである。

 何となく、当初の燃えるような目標が萎えつつあったものの、大好きな理数系の学校に、毎月の手当まで支給される学校は、高校受験の中ではかなりメリットの大きいものであった。

 しかしそんなメリットは幻想に過ぎないと悟るのは、入学間もない頃であった。

 三枝家にあって、昭三はややおっとりした性格で、二人の兄ほどの運動神経には恵まれなかった。

 それでも、もちろん平均を大きく越える優れた運動神経と能力であったが、二人の兄のあまりの優秀さに、どう見ても見劣りするのである。

 そんな昭三は、二人の兄の国防大学校での成績に比して、やや劣っていた。

 特に戦闘系の科目では、目立った成果も挙げられず、それがまた本人を焦らせてた。



 横須賀の秋空が濃紺の深みを増すこの頃、1学年による恒例の「山地機動訓練さんちきどうくんれん」は、まさに佳境を迎えんとしていた。

 丁度その頃、鎌倉聖花学院高等部かまくらせいかがくいんこうとうぶの制服に身を包んだ少女が、横須賀市と三浦市の境界付近を歩いていた。

 時間は午前10時。

 本来であれば学校の授業時間である。

 しかし、彼女は体調不良を理由に登校するなり学校を早退していた。


 秋の横須賀地域、特に相模湾さがみわん側の緩やかな山並みと、その傾斜地帯には、まだ長閑のどかな田舎の風景が来訪者をノスタルジーの世界へと誘う。

 枯れ草を焼いている農家から漂う香りが微かに鼻を突くと、観光地でもあるこの地域に、夏の終わりがもたらされる。

 そんなゆっくりとした時間の流れが、早退をして思い悩む彼女こと上条 佳奈かみじょう かなの心境に、少しは癒しの効果があったのかもしれない。

 佳奈の体調不良は、具体的ではない症状であるが、心情としては彼女のこれまでの人生の中では最悪なものであったと言える。


 それは昨晩のことである。

 16歳の誕生日を迎えた記念すべきこの日、日課であるピアノの練習を終え、誕生日のささやかな宴を前に、彼女の父親はこう切り出した。


「佳奈、おまえも16歳、法律的にはあと2年で結婚が出来る年齢だね。少しは将来のことを話しておくべきだと思ってね。」


 佳奈の父親は、陸軍の高級将校こうきゅうしょうこうであり、現東京第1師団とうきょうだいいちしだんの師団長である。

 その大柄で武人らしいその風貌とは逆に、愛娘への接し方はとても紳士的なものであった。

 しかし、またそれだけに、父親から発せられた言葉は、佳奈に衝撃をもって受け止められたのである。


「佳奈、おまえには話したことは無かったが、実はお父さんの古い友人でな、彼とは言葉に尽くせぬ義理がある。そのまた父親の代から当家にはとても関係の深い家柄なんだ。」


 なかなか本題に入らない父親を、優しく諭す佳奈


「どうしたんですのお父さん、どうぞ遠慮なさらずにお話ください」


「んん、では結論から話す。佳奈、高校を卒業したら、お嫁に行きなさい。お相手は今話しをしたお父さんの友人のお子さんで、とても好青年だそうだ。」


 一瞬、時間の流れがかなり緩やかになるのを感じていた。

 去年まで中学生であり、女子校に通う16歳の娘には、到底想像も出来ない世界の話しであった。


 「許嫁いいなずけ


 そんな時代錯誤な概念が存在する、それも自分自身に。

 もちろん具体的な将来の仕事や、理想の男性なども想像できないほど、彼女の経験値は未熟なものであった。

 あえて想像の範囲にある理想の男性像と言われれば、大先輩である徳川幸のような男性、という程度のレベルである。

 もちろん幸は女であるが。

 楽しかったはずの誕生日は、その告知一つで全く真逆の方向へ進み、ついには体調不良を引き起こすまでとなってしまった。


 そして、家とは全く関係のない方向へただ歩き出した。

 バスを適当に乗り継ぎ、何にもあてのない小さな旅のようなものであったろう。

 小さく古風な学生カバンには、ノートと楽譜、筆箱だけの身軽さ。

 自暴自棄とはいえ、おさげ髪のあどけなさの残る佳奈と、何もない田舎の道路は、いかにもアンバランスであった。

 自動車はおろか、人の通る気配すらない長閑な田舎道、遠くから農機具の発動機が発するリズミカルな音以外に、おおよそ気配というものは存在しない。

 そして本来、出会うはずのない、また重なり合うことのない二つの運命は、そんな自暴自棄な彼女の行動によって引き寄せられたといえる。

 そう、運命の交差点は、予想しない方向から突然現れるのである。


 その道は片側が長閑な畑、もう片方の道が石段の上に急峻な斜面が形成され、木々が生い茂る錯雑地であった。

 そんな急峻な方向から、何かガサガサという激しい音がして、猛スピードで下りてくる、いや落ちてくる気配を感じた。

 佳奈は、よもや獣でも出たのかとそちらを注視したその瞬間、茂みの中から完全武装の兵士が猛スピードで飛び出して来る。


「キャー、」


 佳奈は、あまりに突然のことで、悲鳴をあげる以外になにもする事ができないでいた。

 兵士は石段の上から佳奈の頭を越える高さで飛び出していた。

 道路に着地しようとしたその場所に、少女が立っていたのである。

 着地を止め、そのまま全力で彼女を飛び越えようと大ジャンプを試みた、そしてそれは成功した。

 自重の半分はあるであろう背嚢と武器、弾薬、そんな重量が、急峻な斜面を転げ落ちた勢いのまま、か弱い女性に当たれば大変な怪我となったであろう。

 このときの彼の判断は、概ね正しいものであったろう、着地という点を除いては。


 ガッシャン、という大きな金属音混じりの衝撃音が、静かな田舎道に響く。


 着地した後、大きく一回転して受け身をとり、更に半回転して倒れた。

 佳奈を飛び越えるジャンプの後、着地である。

 衝撃はかなりのものであった。

 佳奈は最初、何が起こったのかさっぱり理解できないでいたが、父親の仕事上、落ちてきた彼が、どういう状況のどういう人間であるかは直ぐに理解できた。

 子供の頃からレンジャー訓練や空挺降下訓練くうていこうかくんれんを良く見ていたからである。

 衝撃で吹き飛んだ鉄帽てつぼう(ヘルメット)を、よろよろと取りにゆきながら、額から血を流しつつ、彼はこう言った。


「お嬢さん、お怪我は?」


 これが町中で、もう少しカジュアルなものであれば、きっと恋いにでも発展しそうなシチュエーションであったかもしれない。

 しかし、この落ちてきた彼は、汚れたの戦闘服に完全武装、怪我までして、まるで戦場から飛び出してきたような状況である。

 また、その前にいる少女は、そんな兵士とは全く真逆な、純真無垢な、か弱い女子高生である。



 本来出会うはずのない別世界の二人は、こうして出会ってしまったのである。








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