第16話 まぼろし ~本音を聞いてしまったこと~

「三枝様、幸様、いえ、徳川先輩がお呼びです。こちらへどうぞ」


 本当は、幸との時間を大切にしたい涼子いとって、龍二との二人っきりの時間は全く迷惑なものであった。

 しかし、ここにいる三枝龍二は、三枝先生の親類であり、先生の元婚約者の弟であり、幸の同期生である。

 そして、あの国立競技場の試合も、涼子は当日釘付けで見ていた一人である。

 迷惑という感情と、興味という感情が複雑に入り交じる中、思わず龍二に質問してしまうのである。

 

「三枝様、あなたはどうしてお兄さまと同じ道を歩まれるのです? 自衛隊が無くなったとはいえ、同じ道に変わりはありません。世間の目は気にならないのですか?」


 涼子らしいストレートな質問だった。


 龍二は、これまでこの種の内容に答えたことが無かった。

 それは、だれもこの件について触れてこなかったからである。

 あの二つの事件は、当初国民の大半が反感を覚える事件であったが、兄啓一の人情と男気溢れる行動と正義感、それに対して弟龍二の出した精一杯の行動に、日本中が共感し、同年代の若者たちは涙したのである。

 そしてこの兄弟には、触れてはならない、、、そんな空気すらあった。


 国防大学校を志した元サッカー部のメンバーたちも、そんな龍二を見守りたく、また、彼の人生の選択というものを見届けたいという気持ちであった。

 そんな緩衝地帯のような距離感が、これまであの日のことや、龍二の進路のことを聞かないという、日本人特有のルールによって守られていた。

 しかし、当の龍二は特別感傷に浸っているわけではなく、単に誰も聞いてこないので話さない、という状況であった。

 したがって、この涼子の質問には躊躇なく答えたのである。



「兄は、その先に死が待ち構えていたとしても、卑怯者になることが出来ない不器用な男でした。、、私も不器用な男なもので」



 一瞬、涼子はとても神聖な領域に土足で入り込んだことに気付き、少々後悔した。

 これまで自分が思ったこと、感じたことは何ら躊躇なく発言し、リーダーシップを発揮してきた彼女だけに、この三枝龍二の志には、ある種の衝撃を受けたのである。

 そう、普段は絶対に口にしないだけで、彼はもう既に覚悟をしているのである。

 国軍将校として国を守るという覚悟、兄啓一の行動に対し、真正面から向き合って行く覚悟、そして日本の為に、その身を挺して死に逝く覚悟。

 そんな覚悟を目の前に、涼子はこれまでの自分を恥じるのである。

 国防大学校、それは単に徳川 幸を男装の令嬢に仕立てた学校ではない。

 たとえ女性であっても、それだけ重い責務と覚悟を要求する学校であると言うこと。

 談笑している彼らも、実は心の奥底に、そんな覚悟を隠し持っているということを。

 そんな崇高な考えで、やや下を向きながら、すっかりしおらしい少女となって、龍二の隣を歩く二人の前に、いかにもわざとらしく龍二にぶつかって来る女子生徒がいた。


もちろん徳川幸である。



「あら、、、ごめんなさい、大変失礼をいたしました。お怪我はありませんか?」


 

 一体、さっきまでの幸の、どこにこんな可愛らしい声を隠し持っていたんだと言わんばかりの表情で、涼子は目を細めて幸を見つめる。


 彼女が入学した1年生の頃には、幸はすっかり男性役オンリーであったため、この彼女の演技には新鮮な驚きをもって感じられた。

 しかし、龍二のそれは全く別の感情によるリアクションであった。

 それは一瞬、幸の変装に対し、衝撃的な驚きという表情であった。


「あの、いや、こちらこそ、普段は注意深い方なんですが、大変失礼しました、お嬢さん」


 幸は、そのあまりに意外なリアクションに、勝者の微笑みを浮かべると共に、更に仕掛けてやろうという闘志を燃やした。

 龍二は幸の変装に、まったく気付いていないのである。


「あら、制服のボタンが外れかかっていますわ、こちらにいらして、今、直して差し上げますわ」


 本当にこれまでの幸はどこへ行ったんだろう、という見事な演技であった。

 涼子ですら、目の前の女性が幸であるということを忘れてしまいそうなレベルであった。


「いえ、、、これは、大丈夫です。本当にお構いなく」


 そう言う龍二を、これでもかとグイグイと引き寄せ、腕を引っ張ると、女性の武器である身体を密着すらさせて、演劇部の部室へと引き込んでしまった。


「変わった制服なんですね、凛々しいですわ、どちらの学校ですか?」


 、、、白々しく幸が話す。

 制服のボタンというものの、元々ボタンの極端に少ない制服の上に、まだ新しい制服は、どこも解れるわけも無かった。

 仕方が無く幸は、制服の襟元にある徽章を強引にはぎ取り、しばらくそれを縫いつけてるフリをしていた。

 そんな彼女のことを、少し赤面しながらチラチラと見ている龍二を確認すると、入学以来、全く女子として扱わない、この木偶の坊こと三枝龍二に、遂に勝利を得たような優越感を感じていた。


「どうかなさいまして?」


 上品に聞く幸に、龍二は全く目の前の美少女の正体に気付いていない。

 そして、やや遠い目をしながら、珍しく多弁に語り出すのである。

 

「あなたがとても美しく、私の近しい人に、大変良く似ていたものですから、思わず動揺してしまったのです」


 妙に素直なんだなと、普段と異なる龍二の横顔に、少し胸が苦しくなる幸であった。


「、、、その女性には、想いを打ち明けないのですか?」


 幸自身も変装のためか、いつもより素直に質問してしまう。

 龍二もまた、自分の気持ちが、目の前の美しい少女に悟られていることに少し驚きながら、


「その女性には婚約者がいました。幸せになるはずだったのに。相手の男は、彼女を幸せにすることなく逝きました。だから私は、もっと早く大人になりたいと、いつも思うのですよ」



 幸はそのとき、夕暮れ間近のガラス窓に写る自分の姿を見て、思わす血の気の引く思いであった。


 そう、幸が感じた、変装した自分が誰かに似ているという感覚の正体は、「三枝 澄」を指していたのである。

 そしてまた、この時のことを少々後悔したのである。

 それは、龍二が最も触れてほしくない、本音を聞いてしまったこと、同期生には絶対に語らないであろう、恋愛に関することを聞いてしまったこと。


 そして幸本人が、龍二を好きだと気付いてしまったこと。


 それは、乙女のような姿に変身していたこともあったかもしれない。

 龍二を一人の男性として認識してしまった。

 国防大学校の同期生としてではなく、様々な十字架を背負った一人の孤独な男性として見てしまったのである。

 そして自分が好きになってしまった目の前の男性は、別の女性に片思いをしているという事実が、眼前に横たわっている。

 縫い物が終わったことを伝えると、龍二はこれまで幸には見せたことのない、優しい笑顔で、ありがとうと囁くのである。 普段は自分を男としてしか見てないくせに、綺麗な女性には優しいんだな、と、少し嫉妬にも似た悔しい気持ちがこみ上げた。

 ああ、なんでこんなことを思いついてしまったんだろう、と、幸は今回の悪戯を再び悔いるのである。

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