影裏⑫

「……でもやっぱり、アリアだけでも安全なところに行ってほしいと、正直思います。最近、身寄りのない子が行方不明になっているって話も聞くし、王宮の方でも、やっぱりアリアを女王にっていう話に賛成している人ばかりじゃなくて、色々怪しい動きもあるって……」


 アーネストとノクトは、アリアの家を出て帰路に就いていた。アーネストはどこをどうきたのかもはやわからなくなっていたが、ノクトの案内で元の通りまで戻ることができた。


 日が落ちるのがだいぶ早くなっており、空は鮮やかな茜色に染まって、その向こうからは藍色の帳が迫っていた。二人の少年は、上着の前を掻き合わせながら、冷たい風に抗うようにして、足早に通りを歩いた。


「……うん。そうだね」


 何かできることはないかと考えを巡らせたが、何も思い浮かばない。アリアたちよりほんの少し年上なだけで、自分は未だ無力な子供だということを痛感させられる。

 同時に、自分がアリアの立場だったらどうするだろうかと、ほんの少し、考えてしまう。自分は、父を見捨てずに、傍で寄り添うことを選べるだろうか、と。



 そんなことがあった数日後のことだった。


 アーネストは夕食も終えて、部屋で一人、読書に勤しんでいた。窓の外には雪がちらついている。

 今夜は冷えるだろう。毛糸で編んだ部屋着を着ていても、足元から冷たい空気が這い登ってくる。


 そろそろ寝ようと本を閉じた時、不意にかつん、と、窓ガラスが揺れたように思った。

 気のせいだろうか。訝しく思いながら、じっと窓の外へ注意を向けていると、もう一度、今度ははっきりと、何かが窓を叩いた。ちょうど外に張った木の枝が窓に当たったのだろうか。しかし、今夜は風もない。


 不審に思いながら足音を忍ばせ、窓の脇に寄って、そっと外をうかがう。すると、


「おい」

「!? ユリ――」


 思わず声を上げそうになったが、ユリウスが口元に人差し指を立てて「しっ」と言うので、どうにか踏み止まった。


「何をしているんですか!? 危ないでしょう!」


 精一杯抑えた声で、木の枝に跨ってこちらを見ているユリウスを𠮟りつける。やや遅れて、後ろからノクトもひょっこりと申し訳なさそうに顔を出した。

 アーネストの部屋は二階にある。ちょうど窓の外に庭木があると、近くを通った時に教えたのだが、まさかこうして泥棒のような真似をしてやって来るとは思わなかった。しかし、二人の様子からただならぬ気配を感じた。こんな時間に、一体何事だろう。


 ともかく、アーネストは二人を室内に引き入れた。冷たい風が吹き込んでくるので、急いで窓を閉める。伯父たちに気付かれやしなかっただろうかとひやひやしたが、幸い、部屋の外は静かなままだった。

 すると一息つく間もなく、ユリウスは一枚の紙切れをずいと差し出した。


「これを見ろ」


 一体何なのだと思いながらそれを受け取り、目を走らせる。


「……これは……?」


 そこには、


『ユリウスへ

 話したいことがある。ルイーネ岬まで来てほしい。  アリア』


 と書かれていた。これはどうしたことだろうと、アーネストは眉根を寄せながら顔を上げる。


「今日の夕方くらいから、アリアがどこに行ったかわからなくなって。家に行ったら、この書きつけが残されていたんです」


 ノクトの声と口調には、焦燥がにじみ出ている。


「だが、あいつは俺を『ユリウス』とは呼ばん。それに、読み書きは多少できるはずだが、ここまで整った字は書けなかったはずだ。第一、俺に向けてこんな書き置きを残す理由がない。俺に会いたいなら、他にどうとでもできるだろうしな」


 ユリウスが厳しい顔つきで、後を続ける。

 言われてみれば確かに、書きつけの文字は、あの年頃の女の子の字にしては、かっちりとした筆跡だった。


「では、これはどういう……?」

「何かの罠である可能性が高いだろうな。狙いは俺かアリアか……。本当に、何か話があるだけならいいんだがな」


 思案顔で言葉を続けるユリウスだが、これを悪意のないものだと思うのは、やはり楽観が過ぎると思った。


「誰か大人に――ユリウス様のお屋敷の方には?」


 これは自分たちだけの手には余る。誰かに助けを求めた方がいいとアーネストは思ったが、


「うちも人手が少ない。有事に対処できるほどの戦力はないし、俺を狙ったものなら捨て置けと言われるのがオチだ。何が起きているかはっきりしない以上、街の警衛も貧民街の子供のためになど動いてはくれんだろうし」


 アーネストは、ぐっと言葉を詰まらせた。貧民街は、元々治安が悪い。何が起こってもおかしくないし、盗みや暴力など日常茶飯事であるため、警衛も取り締まるのを諦めている節がある。


 命の価値は、等価ではない。アーネストやユリウスがいなくなれば騒ぎになるだろうが、アリアは今のところ、表向きはただの貧しい子供だ。行方不明になったり変死を遂げたりしても、「よくあること」として片づけられてしまうだろう。


「ともかく、アリアが心配だ。俺はここに書かれた場所に向かう。お前たちは後からこっそりついてきて、何かあったら助けを呼べ」


 ユリウスの声に、アーネストは思考の沼から引き戻された。


「そんな、危険です!」


 思わず声を上げたアーネストに、ノクトも首を縦に振る。けれど、ユリウスを翻意させることはできなかった。


「何もなければそれでいい。どのみち、放ってはおけない」


 アーネストは、唇を噛んだ。アーネストだって、アリアのことは心配だ。だけど、ユリウスを危険に晒すこともできない。打開策を打ち出すことのできない自分に、無力感と焦燥を覚え、胸の底が冷えていくような思いがした。


「アーネスト、ノクト。二人とも、少しは腕に覚えがあるだろう。頼りにしているぞ」


 けれどユーリは、不安そうな二人に向かって、白い歯を見せて不敵に笑うのだった。

 そうまで言われては、いつまでもうだうだと悩んでいることはできない。アーネストは覚悟を決め、ぐっと拳を握った。

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