第7話

初撃で、“途方も無さ”を感じた。

大海原の水面を殴りつけているかの様に、攻撃の衝撃そのものが通らない様な感触。

角に溜まった魔力というエネルギーをそのまま純粋に巡らせ、耐久力を高める鬼は少なくない。物理に対して巡らせた魔力をぶつけて、受け流すように威力を相殺する。

むしろ俺のように恒常的に防御魔法で体を固めている者は少数派だ。

希望コイツは前者のパターン。問題はその魔力の総量だ。

生まれてこの方一度も角の魔力を使用せずに溜め込み続けたのだろう、と推測する。

11年分の魔力を抑え込み、最大級に膨張した三本の角がそれを物語る。

ならば、どうするか。答えは唯一。

EMPTY魔力切れまで、ひたすら殴るのみ。

静かに脇を締め、低く位置取る。小細工は抜き、正面から速度と威力で畳み掛けて討つ。

狙いを定め、強く地を蹴り距離を詰めた。



目覚めたのは、蒸し暑いお昼。

丸まった体を伸ばして、大きな欠伸をひとつ漏らす。

頭痛は治まったが、未だに少し頭が重い。熱が下がっていないみたいだ。

襖の穴から外を覗く。やけに静かだと思ったら、両親は居なかった。

希望のぞみちゃん…?」

名前を呼ぶ。確かに隣で、私の手を握ってくれていた筈の妹の姿がない。

恐る恐る、襖を開ける。壁の隙間から差し込む太陽に目が眩んだ。

物が散らばった、相変わらずの汚い部屋。

古びた机の上に魔鳥の肉が無造作に投げ出されているのを見たその時。

わっ、と外から大きな歓声が聞こえた。

胸騒ぎがする。とても、嫌な予感がする。

頭の中で鳴り響く警鐘に背中を押されて、慌てて外へ飛び出した。



「ッぐ、ぅう…!」

重い拳の、雨。空を裂く破裂音と共に希望のぞみに浴びせられる連撃。

鷹のように鋭い目で希望の一挙手一投足をつぶさに見つめながら、鬼神鳳我きしんほうがは殴打を繰り返す。

希望のぞみの方は魔力の集中による防御と回避で精一杯。反撃をする間隙も無く、彼女の体内の魔力は既に六割を切った。

このままではジリ貧。魔力の枯渇よりも先に、受け止め切れずに食らった時点で即死。であれば─

「い゛ッ、…!」

拳を真正面から掴んだ。魔力込みですら衝撃を受け止めきれず、細い右手首の骨が軋む。

直ぐ様繰り出される逆の拳を、身体を反らせつつ左腕で往なして回避。

生まれた隙。打撃は通らない。ならば、と希望のぞみは左手を腹部に密着させ、魔力を流した。


魔法の威力は、使用する魔力量に比例する。


「ぐぁ、あぁあッ!?」

残る魔力の半分を一度に使用した、至近距離の炎魔法。

瞬間火力は数千度を超える轟炎が、鳳我の身体を包み込む。

直ぐ様地を蹴り、もがく火達磨ほうがから距離を取る希望のぞみ

勿論、炎を放った左腕は真っ黒に焼け焦げている。

横目で、倒れ伏した春弘はるひろを見る。瞳は既に生気を失い、傍らで泣き喚きながら身体を揺さぶる小春の呼びかけにも応えない。

身体を震わせ歯を食いしばり、少女は叫んだ。

「お前の、何がそんなに偉い!どうしてお前たちに他人の人生を壊す権利があると思っている!」

腕を震わせながら、あらん限りの声を振り絞って糾弾。肩で呼吸をしながら燃え盛る鳳我ほうがを睨みつける。


「罪無き者、だと?」

声が響いた。反応するよりも先に、男は既に希望のぞみの懐に潜り込んでいる。

「俺の道を阻む者は、即ち罪人だ」

「─な」

繰り出された焼け焦げた脚が、腹部にめり込む。

熱い。炎とは違う。殴られた部分だけが異様に熱く、それ以外が急激に冷えていく。

ぶわ、と汗が滲み、毛が逆立つ。血の気が引く。

激痛。音を立てて、何本かが折れた。

それが内側の何か─大事な物に突き刺さっているのを、はっきり感じる。

膝を落とすと同時に頭部を蹴倒され、希望のぞみは地に伏せた。



中央の広場には人集りが出来ていた。

何かに熱中している観客たちは、誰一人としてわたしに気づかない。

隙間を潜り抜けて、最前列に顔を出した。

…目に飛び込んできたのは、最悪の光景。


倒れ伏せた血みどろの妹。赤黒い血の塊を吐き出しながら苦しそうにもがくその頭を、鬼のような形相の男が踏みつけている。

身体が、震える。心臓が急激にその拍動を早め、血液が高速で全身を巡回する。

悲しみ。怒り。絶望。混乱。混濁したどす黒い感情は、涙となって溢れ出す。

しかし、この体にはそれをぶつけるだけの力がない。この場所にはそれを発散する方法がない。

抱えた頭を、髪束を強く握り締める。

それしか、出来ることがなかった。


それが、引き金だった。


熱い。全身が爆発したかのような感覚。頭頂からつま先に至るまで急激に血液がたどる道を、それとは全く違う何か魔力が一度に巡りだすのを感じた。

底知れぬ程の全能感。根底で蠢き出すそれが、わたしに囁きかけてきた。


「助けなきゃ」


一歩、足を踏み出す。精一杯、力強く地を蹴って走り出した。

─筈だった。


瞬きにも満たない、ほんの一刹那。

前方の地面を踏みしめようとするわたしの右足が、男の頭部を蹴り潰す。

目測、8m程。勢いと体重を載せた一撃に、鍛え抜かれた男の体が簡単に吹き飛んだ。

土煙を上げて家の壁に激突。男の四肢は力なく投げ出され、首はおかしな方向に曲がっている。

…そんな、ことより。

「のぞみちゃ、ん」

血を吐き、倒れたまま動かない妹の容態を確認する。

腹部には血が滲み、それを抑えるように縮こまった体勢で気を失っている。

息があるのを確認し、安堵した所で影がわたしたちを覆い隠した。


鬼獣化きじゅうか。獣に成り下がる、誇り高き鬼人にあるまじき恥晒しの所業!」

邪気を孕んだしわがれ声が、わたしを怒鳴りつける。

この力は、溢れんばかりの全能感はその”鬼獣化きじゅうか”というものによるらしい。

鳳我ほうがを!人類鏖殺おうさつの夢を!最高の手駒をォ!」

びりびりと空気が震える。

ざわつく野次馬たちが迫力に押され、広場は水を打ったように静かになった。

「許さぬ!許さぬ許さぬッ!よくも、よくもォ!」


「もう、うるさいなぁ」

手を、振った。

同時に、八十余年を生きた老人の頭蓋が弾け飛ぶ。



高密度の魔力の塊が、彼女の手の先で形を成す。

それは、巨大な斧。それは、牙の並ぶ顎。

それは、鎖で繋がれた鉄球。それは、爪の生えた獣の足。

彼女の知る全ての”暴力”が、彼女の体内で13年の歳月をかけて練られた魔力によって次々と具現化されていく。


「いやぁああーーーーーーッッ!!!」


一瞬の間をおいて、甲高い悲鳴が響き渡った。

頭部を失い、力なく膝をついて血を噴き出す老体。

白子がそれを蹴り飛ばすと、死体の落下地点から蜘蛛の子を散らす様に村人たちが一斉に逃げ惑う。


「…うるさい、ってば」

陽の光の下で、少女は呟く。

あらゆる暴力を浮かばせ、冷徹に細めた目を滑らせながら。


「のぞみちゃんが、ねむれないでしょ」

再び、白銀の悪魔が手を振るう。

超密度のエネルギーの塊が、逃げ惑う村人たちの体を一撃で消し飛ばす。


「じゃま、しないであげて」

爪が裂き、斧が割き。鉄球が砕き、顎が砕く。

その頭部には─


「つかれてるみたいだから」

三本の角が、発現していた。



─その日。集落に住まう総勢76名の鬼人が、おおよそ10分足らずで全滅した。

辺り一帯は血の海。家も木々も広範囲に渡って消し飛ばされ、跡地には焼け焦げた巨大な爪痕や斬痕。死体も、殆どが肉片程度しか残っていない。


その死屍累々の中央に、二人の少女が眠っている。



夢を見ていた、ような気がする。

或いは今、夢を見始めた所だろうか。

月明かりの照らす、空の下。

血の海の真ん中で、私は意識を取り戻した。

身を預けているのは、確かにあの闘技場の足場だ。

しかし、その周りにあった筈の家の殆どは崩れ落ち、木々は薙ぎ倒されている。

瓦礫には何重にも焼け焦げたような爪痕や斬痕が刻まれ、隕石でもぶつかったような痕がよくよく見れば地面にも同じ様に残されている。

傍らには倒れ伏した最愛の姉の姿。一瞬肝を冷やしたが、眠っているだけだということがわかってほっと息をつく。

その頭部には、白銀の髪に包まれた三本角が生えている。

今になって後から生えてきた、という事だろうか。

よく見ると角に強く握り締めたような赤い手形が残されている。

誰の手で、何が起こったのかは分からない。

角を発現させても、姉がこんな事を出来るとは到底思えなかった。

ゆっくりと姉を抱きかかえ、背負い上げる。

殴られた箇所は未だに痛いし、怪我も恐らくかなり深い。

けれど、血の匂いを嗅ぎつけて魔獣が集まる前にこの森を抜け出す必要があった。

「待っててね、お姉ちゃん」

起こさないように。けれど耳に届くように、呟く。

「ううん、一緒に探そう。二人だけで、平和に暮らせる場所」

ふらふらと、我ながら覚束ない足取りで。しかし、確実に一歩ずつ進んでいく。

私たちの、未来へ。

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鬼人の村 愛大 @RYNNH21

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