第4話

村の中心。鬼神の名を冠する村長の一族が住まうのは、権威を示す為に大きく、豪勢に建てられた寝殿造りの邸宅。

魔力の通う外界の霊樹を用いて造られ、主屋から東西対称に置かれた対屋を繋ぐように瓦を敷いた屋根付きの渡殿が伸びる。

苔の茂る岩で囲まれた正面の池では鯉が泳ぎ、鹿威しが緩やかに拍子を取る。


黄金色の屏風の前に鎮座する、現当主。

二本の大角を持つ老人の名は鬼神慶鳳けいほう。齢は八十を超える。短命の鬼人の歴史上の最長齢だ。

東雲あずも鳳我ほうがは何処だ」

嗄れた低い声が、俺の名を呼ぶ。

「鍛錬だ。ウチの息子はストイックでね。拳は休めると軟くなるとか言って、聞かねぇの」

樹皮の如く、深く皺の刻まれた眉間がぴくりと動く。

「なれば、今の内に御前に伝えよう」

「方針が定まった、って事かい」

こくりと頷く慶鳳けいほう。浮かべた笑みは何とも邪悪だ。迫力が違う。


「三ツ角の鬼女─天陽希望まひろのぞみを、鳳我ほうがに娶らせる」

「─は?」


事の発端は6年前。監視役に置かれた、俺の姉貴─鬼神紫雨きしんしぐれが、其の報告を寄越したことだった。

曰く、落ちこぼれの家の娘の一人が、三本の角を持っている、と。

病気だとか言って包帯で隠してやがったのを、取り替える際に発見したと。

信憑性に欠けるだの、反逆の意思アリとして一家纏めて即刻処刑すべきだの、威厳を保つ為に向こう見ずに殺す事は出来ないだの、家はもう大騒ぎだった。

当初の結論として計画された暗殺は、結果として俺の弟二人が実行役に抜擢され、大失敗。

標的の女のコの実力が明らかになっただけだった。


「殺すのには骨が折れる。謀反を起こされては尚手間だ。であれば、手元に置いて見張り、黙らせるべきではないか」

「いやいや。それこそ一家の沽券に関わる選択じゃねぇのか、爺さん」

掃き溜めみたいな扱いの家族が村のトップに嫁入りして一大出世なんて、村人が黙っちゃいない。東雲あずもがそう続けるのを遮って、慶鳳けいほうは続ける。

「三本角の鬼同士の子は、未だ嘗て存在せぬ。子を産ませ、その力量によっては─」

「…人間共に一泡吹かせる事も出来る、ってか?」

村には、人間に恨みを持つものも少なくない。

実力のある鬼は兎も角、狩りで中々食料を得られない小角などには森から出られないそもそもの元凶たる外の人間共に敵対心を持つ者も居る。

稀にだが、少し離れた狩り場に向かった鬼が森の調査を行う人間に遭遇して殺される、という事もある。殺された鬼人の家族の憤りも想像に難くはない。

その人間達を根絶やすチャンスともなれば、渋々でも反対する鬼人の数はぐっと減るだろう。

天陽希望まひろのぞみを連れて来い。…丁重に、な」



うたた寝をしていた。今日は日差しも風も心地よくて、つい意識を持っていかれた。

夢を見ていた。今朝とは違って、すこし心が温かい。しかし、内容はと言うとやはり目が覚めた途端に記憶から抜け落ちる。

見ている間は違和感もなく、まるで自分が本当にそういう人生を送ってきたかのような気分でいられるのに。どうして夢はこうも朧げなのだろうか。

そんな事を考えながら、ゆるりと体を起こして目を擦る。ふと、遠くの畑に人影が見えた。

あれは、西河さんの家の畑だ。一番近い家だから直ぐにわかった。

いつもなら、夜まで此処に居ても良いのだが。

鉄柵に足をかけ、勢い良く前方に踏み出して宙に舞った。地面に転がり受け身を取る。

土を払いながら、何とはなしに西河さんの家の方へ向かってみる。魔鳥のお礼を伝えたかった。


畑には一人の男性が居た。桑を振り被って、地面を耕している。

西河さんのお父さんだろうか。顔を見たのは初めてだった。

「すみません、小春さんは今、どちらにいらっしゃいますか?」

「─ん?…あぁ、君は。小春なら友達と遊びに出ている。今日は森に行くと行っていたから、合流は難しいだろうが」

声をかけると、桑を杖のようにして左足を引きずりながら此方へ寄ってくれた。

怪訝な面持ちで此方を見つめていたが、視線を角に合わせると納得したように頷く。

穏やかな声色。近くで見ると、西河さんと目元が似ている。父親似の娘は幸せになる、なんて言うらしいが。…自身が反例になる分説得力に欠けてしまうな、等と浮かべつつ。

「でしたらお父さんの方に、食料を分けて頂いた事についての感謝を。本当にありがとうございました。小春さんにもお伝え願えれば…」

「あぁ。うちは俺と小春だけだし、畑も有るから食料には困っていない。気にすることはないとも」

小春さんの穏やかな性格も、父親譲りなのだろうか。

希望のぞみ君、と言ったかな。小春からよく話を聞いている。…折角だし休憩がてら、話し相手に少し付き合ってくれないだろうか」


丸太のベンチに二人で腰掛ける。春弘はるひろさんはふぅ、と深い息を漏らし、服の裾で汗を拭った。

「前々から少し、話してみたいと思っていたんだ。小春はどうだ、良い子にしているか?」

「はい、とても。私みたいなものにも別け隔てなく、優しく接してくれて…助かっています」

そうか、と頷く春弘はるひろさんは、表情が硬い。だが、何処となく嬉しそうに微笑んだように見えた。

「あの子はああ見えて寂しがりでな。仲良くしてあげてくれ。俺では埋められない隙間も、…君のような子なら、きっと」

何か、引っかかるような物言いだったが。疑問を飲み込んで、話題を変える。

「この広い畑を、お一人で管理していらっしゃるのですか?…足、悪いのでは」

「まぁ、そうだな。大変といえば大変だが、俺が娘の為に出来ることは此れしか無い。苦には思わないよ」

小春も偶に友だちを連れて手伝いに来てくれるんだ、と。やはり嬉しげに語る様を見る限り、娘の事を真に愛しているんだなと、少し小春さんの事を羨ましく思った。

「足は、怪我だ。5年ほど前に、大狼に不意を突かれてね。失ったのが左脚だけなら、構わなかったのだが」

「…と、言うと」

「妻が其の時に死んだんだ。崖から突き落とされる形で、即死だった」

言葉が詰まった。春弘はるひろさんは寂しげな顔で、小さく笑う。

「何も言わなくて良い。俺から振った事だ。…それに、娘と同じくらいの子に気を遣われる事の方が堪える」

「…いえ、無神経でした。すみません」

礼儀正しい子だな、君は。そう苦笑しながら、春弘はるひろさんは続ける。

「妻は、…小都里ことりは、元々一本小角の鬼人だったんだが、後天的に普通の二本角になった珍しい例でな。君は角の病気だと言うから。そういう事もあるという話をしたかったんだ」

「…え」

「人生なんて、何が起こるか分からない物だ。ひとつふたつ辛い事があっただけで、そう簡単に終わりはしない」

これは妻の受け売りだがね。そう笑いながら夕日を見つめる春弘はるひろさんの顔から、私は目を逸らす。

「いずれ良くなる、とは簡単には言い切れないが…真っ直ぐに生きていれば、後悔ばかりにはならないだろうと思う」

だから、頑張れ。優しい声が胸に響いた。

鐘の音が聞こえる。気づけば夕暮れ時。姉はどうしているだろうか。

ありがとうございました、と告げて、そっと立ち上がる。

「いつでも来ると良い。小春も、喜ぶだろう」

ぎこちない笑顔を此方に見せて、春弘はるひろは手を振っている。

ぎゅ、と鞄を握りしめて、急いで家へ駆け出す。姉が心配だというのも勿論だが。

この顔を春弘はるひろさんに…小春さんに、見られたくなかった。

目尻が、熱い。


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