第3話

時折、自分が彼女の全てを奪ってしまったんじゃないかと思うことが有る。

自分が、彼女の持つはずだった全てを持って生まれてしまったんじゃないかと思う事が有る

神様がいるのなら、なぜ自分達を均等にしてくださらなかったのだろうと思う事が有る。

力なんて求めない。守りたい人に必要なのはそれじゃないから。

才能なんていらない。大好きな人の隣に居られればそれでいいから。

ただ、愛する人と静かに暮らしていられる場所さえ、与えてくれれば。

それだけで、良かったのに。


明け方、目を覚ました。寝覚めが良くない。悪夢を見たような気もするが、まだ意識が曖昧だ。

背中を丸めた体勢で眠っていたので、身体が痛む。それで、両親が酒を飲んで帰ってきた為に姉と一緒に押し入れで眠ったのを思い出した。

目を擦り、欠伸をしながら目線を移す

姉は私の反対の隅で、膝を抱いて寝ていた。襖に空いた穴から差し込む朝日がその顔を映し出す。

綺麗な寝顔に目を向ける。珍しく安眠できているようで、口の端から涎が垂れていた。

どんな夢を見ているのだろうか。こんな現実の、私や両親の辛い記憶など忘れて、夢の中でくらいは幸せに包まれていてほしいと願った。

起こしてしまわないように姉の涎を優しく拭ってから、そっと襖を開ける。

両親は床で、身を投げ出して寝ていた。

変な文字のラベルが貼られた空き瓶と、充満する独特の臭い。酒だ。夜中まで呑んだくれていたのだろう。

昨日よりも紙束が減っている代わり、それらが地面に散らばっていて足の踏み場も無い。

呆れる。が、何時もの事なので既に咎める気も失せた。

起こすと面倒なので昨日の魔鳥を切り分けた物を、木製のお皿に乗せて押し入れに。

できる限り姉がお腹を満たせるようにと自身の分も足してから置いておく。

その後、古い鞄を掴んで忍び足で外へ出た。


外は肌寒く、明らむ空には散りばめられた星々が薄く見えた。

家の向かいに生えている木の枝に掴まり、反動をつけて家の屋根に飛び乗る。

更に側の、使われなくなった古びた見張り台に向けて、助走をつけて跳んだ。

柱に掴まり、するりと頂上へ登る。此処からは、日の出がよく見えるのだ。

秘密基地、と呼ぶには別段隠れては居ないけれど、下からは私のことが見えづらい。

入り口の鉄扉は錆びていて開かないし、鉄柵を飛び越えてまでわざわざこんな所に登る事情などそれこそ私以外にはそうそうないだろう。

誰の目線も浴びずに過ごせる、私だけの居場所だ。

「…お姉ちゃんも、連れて来られたら良いんだけどな」

彼女の運動能力でここまで登るのは不可能だし、私が背負って登るのも危険だ。

その上、屋根が付いていないから日差しも防げない。肌が弱い彼女には適さない環境だった。

第一、姉が家に居ないとなるとまた親が暴れ出す。腫れ物が外を彷徨いていると自分たちに嫌がらせが来るから、勝手に押し入れから出るなと言いつけられている。

家に居ると鬱陶しいとか邪魔だなんて言いながら殴りつけるくせに、勝手な話だ。

…角無しのはぐれものだ、と蔑まれたり石を投げられたり迫害を受けることは明らかな分、内外どちらが姉にとって最良かと言われれば微妙なところだが。

ゆっくりと登る朝日を眺めながら、ぼうっと座る。

ふと、昨晩角の包帯を替え忘れていたことに気がついた。

姉が安心して眠れるようにと意識をそちらに向けていたからだろうか。

鞄の中から替えの包帯を掴み出し、するり、と古い包帯を取る。


包帯の下には、膨張しきった三本の角が生えている。



天陽まひろ希望のぞみは角の病で、角から魔力を放出することができない。」

村人にはそう周知されており、彼女は常に角に包帯を巻き付けている。

角が作用しない上、小角でもないから手先の器用さも無い。

そう認識される彼女もまた、集落の中でははぐれもの扱いされる事が多い。

しかし、彼女は実際には三本の角を持つ鬼人であった。

そもそも、三本角の鬼人というのは集落の歴史の中でも稀だ。

確認されているのは次期頭領である鬼神鳳我きしんほうがを含め、歴代で4名のみ。その全員が鬼神家の血を引く鬼人だった

一本の角が常人の6倍の魔力を保有するのだから、単純計算でさらにその3倍。

18倍の魔力を一身に保有できる三本角は、鬼人達の中でも最上位に優秀である証拠だ。

彼女がそれを隠すのは、母親の指示。

彼女の母親─天陽まひろ三玲みれいは、4才の彼女にこう言いつけた。

『角を誰にも見せないこと。病気のフリをして、隠しなさい。アンタは私達腫れ物一家のなんだから。絶対あの爺を殺して、この村を乗っ取ってやるのよ』

「…クズだ」

ため息を吐きながら、率直な罵倒を漏らす。彼女の脳裏に焼き付いて離れない、邪悪な微笑み。

あぁ、そうだ。

その顔から連想して、今朝見た悪夢が彼女の脳裏に蘇ってきた。



6才の誕生日。両親はその日も人間の街に居た。

希望のぞみ、などと名付けておいて、その頃から子育て自体には関心が無いらしかった。

両親の部屋で布団に包まって寝ていた。姉も、今と変わらず押し入れで。

深夜遅く、狼の遠吠えが聞こえる頃だった。家の外からぼそぼそと囁き声が聞こえてきて目が覚めた。

窓を見ると黒いローブで身を包んだ大柄な男の影が二つ。

胸騒ぎがした。ぞわり、と嫌な感じに背筋が凍るのを覚えている。

静かに扉を開けて家の中に入ってくる男たち。

鬼神家の人間だったのだろう。既に角の事が割れていたのか。或いは、反逆思想を見破られた両親の暗殺を目的としていたのか。

どちらにしても、暗殺の実行は後にも先にもあの一度だけだったから、それについては今も良く分からない。

けれど、襲いかかってくる男の腕の骨を蹴り割ったあの気持ちを、忘れることはない。

怯えきった様子の男の肋を砕いて、肺に刺さった骨に苦しむ顔面を踏み潰したあの不快感を、忘れることはない。

喉元に包丁を突き立てて引き裂くあの感触を、忘れることはない。

滴る血液が、生温い感触が、身体を這い回るあの感覚。

痙攣しながら、徐々に生気を失い、肉の塊と化していく男の姿。

血みどろの私を、震えながら優しく抱きしめてくれたお姉ちゃんの温かさ。

『大丈夫だよ』


吐き気を覚えながら、もう一度空を見上げた。

青く染まった広い空。流れ行く白い雲の波を眺めてはまた、気を紛らわせる。

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