第2話 語り部の物語

 この季節になると、語らなければならない事がある。

 太郎が、開拓団として、母とたった一人の弟……三郎を残して父と共に沖縄を去ったのは、昭和5年の事であった。

 目指したのは、かの有名な金で栄えたサンフランシスコ。幼かった太郎にとって、弟や母親と離れる事は辛い事であったが、それは、港から船でアメリカに渡る時、傍らに立つ父が見せた涙で、全てを理解した。

(俺は、もうこの地に、さとうきび畑の揺れるこの大地に、足を踏み入れる事はないのだ)

 太郎は内心そう思った。

 そうして、船はサンフランシスコを目指して旅立っていった。


 やがて、日本とアメリカとの絆が煙と共に危うくなった昭和16年。とうとう、十二月に業を煮やした日本が、真珠湾へと攻撃を仕掛けたのである。太郎は19歳になった頃であった。直ぐに徴兵され、日本の暗号を解く部署へと回された。

「なぁ、佐藤。お前、二ホンに何を残してきた?」

 と、ある時、同僚の日系二世であるカワバタが、仕事帰りに英語訛りの日本語で聞いてきた。

「母さんと、弟だ」

 帽子を被り直し、太郎は言った。

「もう帰ることのない場所にだ」

「それは、シんだと言う事か?」

「いや、俺はもうここ、アメリカで命を終えようと思っている。日本に帰っても、邪険に扱われるだけだからな」

「ナルホド、そうか。オレは二ホンには見たことのない親戚しかいないからな」

 なぁ、それより、と、カワバタは言った。

「飲みに行こうぜ。今日は給料日だし、お前、今日五通程のアンゴウを解いたじゃないか」

 嫌な祝杯だ。太郎は思考する。五通も、故郷が危険に晒させるリストを作ったようなものである。

「今日は気分が優れない。また明日にしよう」

 そう言って、太郎は家路を急いだ。目指すのは、父と共に住んでいる日本人街の古アパートの一室である。

「父さん、帰ってきたよ」

 太郎は扉を開き、宵闇の薄暗い室内を見回す。父の影は、テーブル前に置かれた椅子にあった。周りには、無数の酒瓶が転がり、酷く安いアルコールの匂いがした。

「太郎か……」

 父親は振り向いた。

「今日、給料日だったんだ。たまには飯でも食いに行かないか?」

 太郎が提案すると、

「日本を売って稼いだ金などいらん!」

 飛んできた空の酒瓶が扉に当たり、割れた。

 確かに、日本軍の暗号解読とは祖国を売ることになるのであろう。父親が許す筈はないと思っていたが、思っていた通りの結末となった。父親は仕事を辞め、家でただ酒におぼれる生活をしていた。そうして、ある時、はっと、この酒は太郎が稼いだ金であると悟る度に、酷い嫌悪感と罪悪感を感じるのである。

 太郎は扉を閉じて、我が家へと入った。

「ただいま、父さん」

 と、再び言葉を紡ぐ。どのような姿で居ようとも、父親は父親である。そうして、オートミールを皿に撒くと、その上に牛乳を注いだ。それを二つ作り、父の前と、己の座る椅子の前に置く。父は食べる事もしない。着たシャツから見える身体は、栄養不足で、腹だけ膨れ上がっている。

「父さん、いい加減に食べよう」

 太郎が言うと、

「戦争中に敵国の食物など食えるか!」

 と、いつもと同じ答えが返ってくる。それから、

「ああ、米が食べたい……」

 もう帰れぬ故郷に想いを馳せるのである。


 太郎が日本に行く機会が出来たのは、昭和20年の、8月が終わる頃であった。既に日本は敗北を認め、書類上では、太平洋戦争は終っていた。だが、旧日本兵が沖縄に潜み、未だに攻撃をしかけようと狙っているという。ある程度の日本語が判る日系の米兵に、説得を頼もうと、太郎が選ばれたのである。

 太郎を乗せた船を渡り、一月程で沖縄に到着した。既にほとんどの島民や兵士たちは捕虜として“保護”され、話によれば、残すはたった一人の現地民の青年であるという。日本兵ではないが、日本兵がガマなどに置いていた手榴弾(しゅりゅうだん)や、鉄砲を持ち出し、やんばるの奥深いジャングルに潜んでいるという。

「その青年の名は?」

 太郎は捕虜の現地民に聞いてみた。

「はい、佐藤三郎と言います」

「佐藤三郎?!」

 太郎は驚いて声を張り上げていた。三郎……人違いでなければ、実の弟であるかもしれない。太郎の声を聞いて驚いた同僚に、彼は説明した。

「何かの運命だな、タロウ」

 同僚は彼の肩を抱く。

「信じられないよ」

 と、太郎は肩を竦めた。

 やがて、夜が明けると共に、捜索隊はやんばるへと歩を進めた。アメリカ軍が上陸した逆の方向にやんばるの森は位置していた為、比較的被害は少なかったという。湿気の多い中、顔に、肌に汗がにじむ。

(俺は、敵軍の恰好をして、弟に何をすれば良いのだろう)

 その道中、太郎の心は晴れる事はなかった。

 間も無く、やんばるの入口まで辿り着くと、上官に言われた通り、太郎は言葉を発した。

「もう戦争は終った! 早く出てこい!」

 そうして、

「佐藤三郎、もしかしたら君は俺の弟かも知れない! お願いだ、降伏を!」

 がさり、と音がしたのはその時だった。

「太郎、兄さん?」

 ぼろぼろになった服をまとった青年が、森の奥から顔を出した。

 それが、兄弟の、十五年ぶりの邂逅であった。

「それは本当か?」

「疑うな、俺だ!」

 太郎は続ける。

「君を助けに来た! 出てきてくれ!」

 太郎の熱心な説得に、三郎は静かに林から一歩を踏み出した。そうして、太郎を見ると、その身体に抱きついた。

「会いたかった、兄さん。もう、会えないかと思っていた……」

 抱きしめた弟の身体は骨ばかりでやせ細り、戦争の悲惨さを伝えていた。

 こうして、沖縄戦、最後の島民が保護され、戦争は幕を下したのである。

 太郎はこの事実を、三郎は沖縄戦の悲惨さを伝えるべく、兄弟で語り部となり、サンフランシスコにいた父を呼び戻し、捕虜となっていた母を探し当て、家族で平和な時代を生きていった。

 今でも、語り継がなくてはならない事実が、そこにあるのである。

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