扉の向こう

「ふんふんふんー♪」


 ロジーはいつもどおり家事を行いながら、鼻歌を歌っていた。


 ――あら、上機嫌ね。


 そう声をかけてきたのは、時折姿を見せる、あの短髪の女性だった。

 ロジーは一度手を止め、辺りを見渡す。しかし、今日に限っては周りの景色が変わることなく、今いる家のままだった。


「何かいいことでもあったの?」


 相変わらず彼女は、こちらのことはお構いなしに質問してくる。


「……この間のキャンプのことを思い出していただけです」


 ロジーは渋々答えた。あまり彼女との会話は得意ではない。


「ふふ。やっぱりキャンプは大正解ね。あの友達にとっても、それにあなたにとっても、いい思い出になったでしょう」

「……そうですね」


 彼女は、「えー、もっと感謝してくれたっていいじゃない〜。わたしがいなかったら、あんな素敵な思い出、できなかったかもしれないのよ〜」と、文句を言うが、すぐに表情を切り替え、次の話へと進めるかのようにパンと手を叩いた。


「まあその友人はいいとして。あなた、羽風はかぜに対して全然アプローチしてないじゃない」


 突然そんなことを言われ、ロジーは焦った。


「な、なんのことです?」

「羽風のこと、好きなんでしょう」


 彼女はニヤリと笑う。こちらのことはすべてわかっていると言いたげだ。しかし、ロジーはそれよりも、彼女が羽風のことを気軽に呼び捨てにしていることに、妙な羨ましいさと悔しさを覚えた。


「羽風は不器用だし、それにね、自分のことに対してだけ鈍感なの。他人ひとに対する優しさはあるのにね。だからね、すっごく脆いところもあるのよ」


 彼女は遠くを見つめながら、そう話した。それは長年積み上げた思い出記憶の一部を語っているようだった。


「……なぜ、そんなに博士のことをご存知なんですか?」


 ロジーは恐る恐る聞いた。答えを知りたいが、なぜか恐怖を感じた。


「……ついてきて」


 彼女はそう言い、リビングを出た。ロジーは彼女の後ろをついていく。

 彼女は慣れた足取りで家の中を歩き、ある扉の前で立ち止まった。


「ここに答えがあるわ」

「…………」


 ロジーは扉を前にする。


「入らないの?」


 扉の前で動かないロジーに、彼女は問いかけた。ロジーは扉を見つめながら、答える。


「この部屋は、博士に入るなと命令されております」

「大丈夫よ。わたしが許可するから」

「あなたの許可だけでは、開くことはできません」


 ロジーは再度伝えると、彼女は面倒くさそうにため息をついた。


「……ねぇ、あなたは気にならないの? この部屋のこと」

「…………」


 ――気にならない、と言えば、嘘になる。


 ロジーは口を噤んだ。


「何かを隠している羽風のことを、疑わしく思わないの?」


 この部屋は、ロジーが家政婦アンドロイドとして起動されたころから出入りを禁止されてる。決して入るなと、羽風から強く言われている。扉の前に立てば、自動的に扉を開く行動さえ制御されるようにプログラムされているほどだ。


 なぜこれほどまでに制限をかけるのか、ロジーはまったくわからない。今まではそのような命令だから――と、なんの疑問も思わず過ごしてきた。だが、現在いまのロジーは違う。


「この部屋は、羽風のことを深く知るチャンスよ」


 彼女は、誘惑するように囁きかける。


「知りたいでしょう、好きな人の秘密。……それがどんなものであったとしても」


 ロジーは再び扉を見つめた。


 視界上には、『立ち入り禁止』・『葉加瀬羽風の許可がありません。やり直してください』・『この先侵入禁止』――などと、警告がいっぱいに表示されていた。


「あなたはもう、こんな警告取るに足らないはずよ」


 ロジーはゆっくりと手を伸ばす。


「さあ、勇気を出して」


 ドアノブに手をかけ、そして。


「現実と、向き合うときが来たわ」


 彼女の言葉とともに、扉は開かれた。


 その部屋は、何の変哲もない普通の部屋だった。かわいらしく、女の子らしい部屋だ。

 スマホの充電コードがベットの上に投げ捨てられていたり、机の上はメイク道具で溢れていたり、所々散らかってはいるものの、なんというか生活感で溢れている――否、生活感で溢れていたであろう、部屋だった。


 そこに誰かが暮らしていて、あるときから時が止まってしまったような、そんな感覚を思わせる部屋だった。


「…………これが、博士の秘密?」


 ロジーは拍子抜けしつつ、部屋に足を踏み入れる。部屋を観察していると、あるものに目がついた――本棚の上に飾られた写真立てだ。


 ロジーはその写真を見て、目を丸くした。


 そこには、今隣にいる彼女そっくりの女性が写っていたのだ。その写真に写る女性の横で、紺色のお下げ髪の、中学生くらいの女の子が笑っていた。


「……博士」


 髪色が今と違うが、その顔立ちからロジーはすぐに理解した。これは間違いなく葉加瀬羽風はかせ はかぜだと。


「……どういうこと? この写真の女性、あなたですよね?」


 ロジーは彼女に問いかける。

 彼女はロジーの横を通り過ぎると、ベッドに深く座り込んだ。


「あー。やっぱり自分の部屋が、一番落ち着くのよね」


 ロジーは訳がわからず……というより、すでにどういうことか気づきはじめていた。だが、彼女の口から話すまで、納得したくない自分がいた。ロジーはただ、彼女の次の言葉を待つ。

 彼女は大きく背伸びをしてから、口を開いた。



「初めまして。わたしは葉加瀬晴風はかせ はるかぜ



 ――葉加瀬晴風。


 初めて聞く名前だった。


 そもそも羽風に姉がいることなども知らなかった。勝手に一人っ子なのだと思い込んでいた。それ以前に、羽風の両親のことなども、一切知らされていない。

 ロジーは、『葉加瀬羽風』個人のことしか、知り得ていなかった。

 

 ――それよりも、『姉』……ですって? ですが、どうみても……。


「あー。きっとあなたは、どうして羽風の姉なのに、羽風よりも幼く見えるのだろう……そう思っているわね? その答えは簡単よ。わたしは、十六のときに亡くなっているのだから」


 ロジーは何も言えなかった。彼女が話しつづけているのを、ただ聞くことしかできない。


「なんで死人が目の前にいるの? って現状を上手く飲み込めてないようだから順番に説明していくわね。わたしに関するお話と、羽風の過去のお話と――そして、あなたが作られた理由まで」


 ――次から、わたしが語り部よ。


 彼女はそう言うと、絵本を読み聞かせるように、やさしく語りはじめた。

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