アンドロイドの決意

 ――決めました。


 ロジーはエプロンの紐をキュッと結び、キッチンに立つ。


 ――主人の幸せを願うのが、家政婦アンドロイドの務め。


 手際よく、夕飯の支度を進めていく。


 ――博士の恋は、そっと見守り応援することにしましょう。


 そう心に決めたとき、テーブルの上に置いていたスマホが音を立てて震えた。

 画面を見れば、それはエリカからの着信だった。


「はい」


 と、ロジーは電話に出る。


『ロジねぇ! お疲れ様ッス! 今何してるンスか?』

「ただいま、御夕飯の準備をしています」

『うわ、超えらいッスね〜! 先輩は?』

「博士なら18時に帰宅予定です。エリカ様は、いっしょではないのですか?」

『ロジ姉はウチのことエリカ様呼びで固定してく感じッスね〜! 悪い気はしないんでいいンスけど。あ、先輩とは別ッス。ウチは仕事に向かってるところなんで!』

「お仕事、お忙しいんですね」


 以前こうしてやり取りしたときも、エリカは仕事の休憩時間だった。


『うーん、うれしいような、悲しいようなって感じッスね。そんなことよりッス!』


 エリカは、早く本題をとばかりの勢いだ。


「ロジ姉! 今から先輩に猛アタックッス!」


「……はい?」


 いきなりなんの話なのかと、ロジーは首を傾げた。


「……げふん。すみません、話を端折りすぎたッス! 実は、今日先輩と話をしたンスよ! 先輩の恋について聞いてきたッスよ!」


 ロジーはさっきよりもスマホを耳に押し当てた。


「片思い相手は教えてもらえなかったンスけど……ただ、その相手とは上手くいってないと話をしていたッス!」


 片思い相手が判明したわけではないのかと、ロジーは肩を落とした。


「相手がわかったわけではないのですね……」

「いやいや! そこじゃないッスよ!」


 そこにガッカリしているロジーを、エリカは声を上げて否定した。


「片思い相手とは上手くいってない……ってことはッスよ!? この合間をチャンスと考えて、ロジ姉は徹底的に先輩にアプローチして、先輩の興味をロジ姉に向かせるンスよ!!」

「なるほど。相手の弱みに漬け込み、好意の相手をこちらへ誘導させる作戦ですね」


 と、ロジーは聞き返すと、エリカからは「はいッス!」と元気な声が返ってきた。


 しかし、この作戦に関して、ロジーは一つ物申したい。


「ですがエリカ様。それはなんだか略奪するような感じがしませんか? 相手から博士を奪うようで……」


 ロジーは言うと、エリカはそこは問題ないッス、と続ける。


「だって、先輩はその相手とまだ付き合ってないッス。あくまでその相手は先輩の片思い相手なだけで、先輩の恋は成就してないッス」

「はい」

「――つまり! 略奪愛でもなんでもないッス! 先輩の恋が成就する前に、こっちの物にしてしまえば、ノープロブレム! ッス!」


 そう説明したエリカだが、ロジーはついさっき、羽風の恋を応援すると決めたばかりだ。これでは、応援ではなくなってしまう。本来ならば、その相手と上手くいくように相談に乗るのが、家政婦アンドロイド、藍野ロジーの務めであるはずだ。


 ――あるはず、なのだが。


「わかりました。わたし、頑張ります」


 頭ではわかっていても、口からはそのような言葉をいてしまっていた。


「その意気ッス! ウチも応援はもちろん、いろいろ手伝うんで、何かあったら言ってくださいッス! じゃ、そろそろ仕事なんで、失礼しますッス!」


 こうして、エリカとの通話は終了した。


 ロジーはスマホをテーブルの上に置くと、一度椅子に腰掛けた。


 ――なぜ、あんなことを言ってしまったんだろう。


 ロジーはゆっくり目を閉じ、それから再び目を開いた。


 眼前には、キッチンではなく、青い空と白い雲の風景が広がっていた。

 ロジーは立ち上がり、周りの景色を見渡した。


「とうちゃーく!」


 背後から声がし、振り向けば、そこには青い短髪の女性がいた。

 今回は前回と違い、登山服を身にまとっている。


「山頂に来たときの達成感は半端ないね!」


 女性はロジーの横に立つと、山の空気を取り込むように深呼吸した。


「なぜ、わたしは山なんかに……?」


 ロジーが聞けば、女性は「別にいいじゃん」とだけ答え、


「にしてもさ、すごいじゃん。自分であんなふうに決意するなんて」


 と話を変えてきた。


「決意?」

「言ってたじゃない。『わたし、頑張ります』って。恋に挑戦していくってことでしょ?」

「…………」

「応援するよ。なんせわたしは、恋バナが大好きだからね」


 女性はそう言うと、リュックを下ろし、中から羊羹を二つ取り出した。そのうちの一つを、ロジーに差し出す。


「食う?」

「いえ。わたしはアンドロイドですので、食事はできません」

「あそ」


 女性は両手の羊羹を交互に食べはじめた。


「不思議だよね」


 ふと、女性はそんなことを言った。

 不思議なのはこっちだ、とロジーは思った。一体、この現象はなんなのだろうか。


「アンドロイドであるあなたは、感情なんて持つはずがなかった。そして、わたしという存在と、本来語り合えるはずがないのに」


 女性は、悲しそうに微笑んだ。


「――記憶おもいでとは、こうも強固なものだったとはね」


 ロジーは、ずっと気になっていたことを聞く。


「あの、あなたは一体、誰なんですか?」


 女性はロジーを見つめる。


「わたしは――」


 そのとき、グラグラと地面が揺れ、足元が崩れはじめた。あっという間に空中へ放り出され、女性とロジーは、青空に溶け込むように落ちていく。


「……待って!」


 ロジーは懸命に女性の声を聞こうとするが、頭上から雪崩なだれに飲み込まれ、視界が真っ暗になった。


 どれくらい意識を失ってしまったのか。遠くから自分を呼ぶ声に気づき、ロジーはゆっくりと目を開けた。


 目の前には羽風はかぜがロジーの顔を覗き込んでいた。


「……博士」

「おっ! やっと目ぇ覚ましたな! いや〜故障しちゃったのかと思って、焦ったよ〜」

「……! すみません、わたし……!」


 羽風が帰宅しているのに、夕飯の支度が済んでないことを思い出したロジーは慌てて立ち上がった。だが、テーブルの上には作り途中だったはずの夕飯が並んでいた。


「わたしだって、やろうと思えば自分でできるんだよ」


 そう自慢気に、羽風は笑った。


 ロジーは食卓を見つめる。


 ――盛るご飯の量が違う。

 ――お皿の並び順が違う。

 ――焼き魚は、火の入れすぎだ。


 ロジーは流し台を見た。

 片づけは少々乱雑だが、洗い物も済まされている。


 普段のロジーのように完璧ではない。……だけど、そんなことはまったく気にならない。

 むしろ、やってくれたことが、とてもうれしい。


「…………」


 ――だけどこれは、わたしのやらなければならない仕事だったのに。なぜ、博士は叱らずに、むしろやってくれたのだろう。


「……博士。ありがとう、ございます。わたしの、仕事だったのに」

「んにゃ。そんなことないよー。っていうか、いつも家事ばっかりやってくれてありがとう。ロジーもたまには休まなくっちゃね!」


 羽風はまた笑った。

 その顔を見るたび、ロジーの胸の内がポカポカと温かくなる。


「さあ、そんなことより夕飯を食べよう。お腹ぺこぺこだよ〜」


 羽風がそう言うので、ロジーは再び席に着いた。向かいに博士も座り、食事を始める。


 ロジーの好きな、二人だけの時間。


「博士。もしかして、わたしが起きるまで待っていたんですか?」

「ああ。だってさ〜……まあ、いっしょには食べられないけど、ご飯の時間はいっしょに過ごすって決めてるからな」

「そうですか」


 羽風はじっとロジーを見つめた。


「どうかしましたか?」


 ロジーは聞いた。羽風は首を横に振って、


「いや。やっぱ、ロジーの作るご飯のほうがおいしいって思っただけ。やっぱ、わたしにはロジーの味は無理だわ〜」

「ありがとうございます。博士も、練習したら同じ味が出せるようになりますよ」

「……う〜ん。それはいいかなぁ」


 そうして羽風は、今日過ごした出来事などの話を始めた。ロジーは羽風の話に耳を傾け、時折相槌を打つ。


 ――エリカ様からは、博士にアプローチをしろと言われましたが。


 ロジーは話をする羽風を見つめながら、こう思う。


 ――今は、このままがいい。


 その日は、穏やかで優しい時間を二人で過ごした。

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