19章 Companion
「すまぬな、あの阿呆の為だけにこんな……」
「いや、それはいいんだが……」
先頭を剣士、その後ろに狩人、巫女、もう一人の剣士とその妹、王子、竜。あまりにも奇妙な一行は周囲の目を引きながら町を歩いていた。
(……なんでこんなことに……)
そもそもの発端はサナの一言だった。
『……あやつ、遅い』
あやつ、と言われたのは任務に出ているヒューゴーのことである。実際のところ、日付の上では遅いというほどの時間は経っていない。しかし、サナに言わせれば『ヒューゴーの実力を考えれば半日でもかかりすぎ』だと言う。これもある種の信頼、なのだろうか。
彼を迎えに行くというサナに付き添いたいと言ったのはイスフィだった。印を持つヒューゴーは彼らと同じようにクルーヴァディア時代の前世の記憶を持っている可能性がある。何か知っていることがあるなら聞き出したいのだろう。そのまま成り行きで全員が同行することになってしまったのが現在の状況なのだが。
「……」
「……」
不意にイスフィと目が合う。だが、何も言えないまま二人は目を逸らしてしまった。
(……どんな顔して話せばいいんだ……)
自分の中に自分が二人いる。フルール、つまり生まれ変わる前のイスフィと恋仲にあったエトムントと、手を繋ぐこともやっとのアナン。あくまでエトムントとしての心は記憶の一部であって今存在しているのはアナンとしての自分なのだから、例え頬だけであったとしてもその口づけの意味は大きすぎるのだ。
「あのさ、」
「あのね、」
思い切って話題を切り出そうとしたのはイスフィも同じだったらしい。こんなところで息が合ってしまうのだから困る。
「先にいいぞ」
「アナンこそ」
「……あー、えー、……いい天気だな」
「そうね」
「……」
「……」
絶妙な沈黙を拭い去るほどの技量は残念ながら持ち合わせていない。とりあえずアナンは黙っておくことにした。沈黙は金、雄弁は銀とはよく言ったものだ。
ちらりと後ろを見るとそちらはそちらで微妙な空気が流れている。偶然かなんなのか、キケとユリアも黙り込んだまま。頼みの綱のラーシュとノスタシオンも、この人の多い街中で正体が見破られないようにするためか一言も口をきいていない。
(……皆は自分の前世について気付いているのか?)
昨夜から気になっていたことだった。キケやユリアとはそういう話にはならなかった。サナからも何も言われていない。これから会いにいくヒューゴーはどうなのだろう。
「ほら、着いたぞ」
そうこう思案しているうちに、一行は入り組んだ路地の外れの目的地に辿り着いていた。
元はごく普通の建物だったと思われるその場所は改装に増築を重ねたようで、歪な小城のようにも見える。
「ここか……なんというか、見るからに怪しいな……」
サナの話では、ここで違法に賭博が行われている可能性があるという。調査のためにヒューゴーを派遣したということなのだが。
「我も中のことはわからぬ。万が一ということもあろう、武器を持たぬ者は下がっていてくれぬか」
サナが扉に手をかけると、どこか緊迫した雰囲気が漂いだした。ひとまずイスフィとユリアを下げ、アナンとキケが前に出る。
「御用だ!」
思い切り叫び、サナの細い手が扉を開け放った。鼓動がいやに大きく聞こえる。長いようで短い沈黙を裂いたのは。
「おー、お疲れ」
なんとも気の抜けた返答だった。
向かって正面の机に腰かけているのは、そびえ立つという形容がよく似合う巨漢。
橙色の瞳、なにより肩の印。まぎれもなくあの時会ったヒューゴー=メイスンである。
「お疲れ、って……そなた、我がどれほど気を揉んでいたかも知らずに……」
「あー、はいはい。ま、やることやったんだからいいじゃねえか」
サナの小言を受け流し、ヒューゴーはひょいと後ろを肘で示した。アナンもつられてそちらに視線を移す。
「な……」
思わず情けない声が漏れた。薄暗い室内に転がされている人、人、人……。しかし異常事態とでも言うべき状況にしては、部屋は随分整然としている。せいぜい床に硬貨と酒瓶が転がっているくらいだ。
「ここまで派手にやれとは言っておらぬ!」
「大丈夫大丈夫、殺しはしてねぇよ。ちょーっと黙ってもらっただけだ」
にやっと笑った彼はだらしなく組んだ足を解いてゆっくりと立ち上がった。そのまま硬い靴音を響かせこちらへ近づいてくる。
「そいつらには傷一つつけてねぇし、違法賭博の証拠なら山ほど集めたさ。何なら余罪もあるかもしれねぇな。見込み通りってとこじゃねえか?」
真面目な雰囲気も束の間、ヒューゴーの口元はまたいつもの調子に緩む。顎髭を一撫でして彼は豪快に笑ってみせた。
「まー、んなこたぁどうだっていい。それより金だ、金。多少は弾んでくんねぇかな」
「口を開けばそればかり……そなたへの報酬を決めるのは我ではないのだぞ、掛け合いたいなら然るべきところに申してくれぬか。それに、余裕綽々といった素振りの割に時間がかかったのはいったいどういう訳なのであるか?」
やや呆れたように問い詰めながら、サナはテキパキと転がされた者達に手錠をかけていく。ヒューゴーの言うように、彼らは倒されたというよりはむしろ寝かされているような具合である。そういえば、以前会った時に毒がどうのという話をしていたような気がする。これもその応用なのかもしれない。
「あー、それは……まあそうだな、調査時間ってことで処理しといてくれや」
「また適当なことを抜かしおって……。そなた、どうせ依頼にかこつけてここで遊んでいたのであろう?」
「……バレた?」
「……当たり前だ。そなたの考えなど全部お見通しであるよ」
どうやらこの男、今までの時間のほとんどを調査対象であるはずのこの場所で博打に費やしていたらしい。木乃伊取りが木乃伊になるとはよく言ったものである。
「いいじゃねえか、過程はどうであれ結果は一緒なんだから。……負けたけど」
「こやつ……」
頭を抱えるサナをよそに、ヒューゴーの興味はアナン達の方へ移ったようだった。
「っつーかサナ、こいつらはなんだ?」
「え? ああ、彼らは……」
サナが答えるより前に、思わずアナンは声をあげていた。
「ヒューゴーさん! 俺は……」
「ん、なんで俺の名前を……ああ」
一つ瞬きをして、彼は少々芝居がかった風に指を鳴らした。いちいち派手な男だ、とアナンは思う。
「お前、あの時のガキか」
「アナンです」
「あーはいはい、アナンね。別に敬語とかいらねぇよ。それで?」
衝動的に声を上げたものの、アナンは何を言うのか考えていなかったことに気付く。いや、正確にはどこまで話していいのかがわからない。
(こいつにはクルーヴァディアの記憶はあるのか?)
そもそもヒューゴー以外の面々だって記憶がどうなっているのか把握できていないのに、ここでそんな話題を出しては大混乱に陥りそうだ。
アナンが言葉に詰まっている間に、彼らを見回したヒューゴーはふと眉を動かした。そのまま鋭い眼光でノスタシオンの方に視線を移す。
「……そこの竜人、デストジュレームの奴だろ?」
「!」
「じゃ、隣のガキは……そういうことか、なるほどな」
その言葉を聞いた途端、ノスタシオンは翼を広げラーシュを庇うように前に進み出た。ぎらつく赤い瞳はまさに静かな威嚇と言ったところだろうか。
「……その言葉、交戦の意志ありと受け取っても構いませんか?」
「そう盛んなよ、クソガキ。こんな狭いとこで六対一に持ち込むほど俺は馬鹿じゃねえ」
緊迫した空気は鎮まりそうにない。どこか好戦的な二人は相性が悪いのかもしれない、と今更ながらアナンは気付いた。
サナが止めに入ろうとした瞬間、ヒューゴーはがたっと肩の力を抜いた。
「あのなあ、俺は革命だとかなんだとか興味ねぇんだよ。わかったところで何にもしねぇって」
張り詰めた空気が生まれたきっかけの片棒を担いでいたこの男は、どうやらそれにすらも興味を無くしたらしい。おもむろに取り出した煙草に火を点け、のらりくらりとふかしだした。
「そもそも俺がてめぇの顔を知ってるのはな、ちょっと前にデストジュレームの王宮で傭兵として雇われてたからだよ。見た目も中身も目立ってたからな、忘れるわけねぇって。もうちょっと丸くなれよ、下っ端の傭兵にまで顔知られてるって相当だぞ。もちろん悪い意味で、な」
「……口を慎みなさい、愚人。私を誰だと思っているのですか?」
「そういうとこだろ」
不服そうな顔のままとはいえ、ようやくノスタシオンは翼を畳んだ。彼が宮中でどんな風に振舞っていたのかはなぜか手に取るようにわかる。
「それなら、事情はわかっているんだよね? ……頼む、協力してくれないか」
長いこと黙り込んでいたラーシュが声を上げる。そのまま勢いよく顔を隠していた布を取り去った。
「ラ、ラーシュ様⁈」
慌てふためくノスタシオンをよそに、ヒューゴーは特段表情を変えることもなくラーシュを見下ろした。
「協力、ねぇ……。人を顎で使ってきたお坊ちゃんらしい言い草だな、王子殿下」
「な……」
思いもよらない彼の発言に、思わずアナンは青ざめた。この後誰が何を言うのか、手に取るようにわかってしまったからだ。
「黙りなさい、命知らず。下賤な人間ごときがラーシュ様を侮辱しようなどと……その喉笛ごと食いちぎられたいようですね」
思った通り、彼は一瞬で臨戦態勢に入ってしまった。キケは咄嗟に万が一のことを考えたようで、イスフィとユリアを扉側に移動させる。
「……駄目だよ、シオン」
その瞬間、沸騰しきった竜を制止したのはラーシュだった。
「ですが、ラーシュ様」
「僕に向けられた言葉の受け止め方は僕が決める。シオンが牙を剥くのはその後でいい」
真っ直ぐ紫色の瞳を向けたまま、ラーシュはゆっくりと足を進める。ヒューゴーの前まで辿り着いた彼は、深々と頭を下げた。
「え……?」
「気に障ることを言ってしまったのならすまない。謝るよ」
まさか一国の王子にそんなことをされるとは思ってもいなかったのだろう、彼は明らかに混乱したようだった。
皆が呆然とする中、すかさずサナの叱責が飛ぶ。
「ほら、ヒューゴー! 礼と謝罪は早いうち、と教えたであろう」
「う、うるせぇ! 母親かてめぇは」
軽口なのかどうなのかよくわからないものを叩き合って、彼はラーシュの方へ向き直る。
「あー、えっと……悪かったな」
なんだか子供の喧嘩のような決着をしてしまった。小さく咳払いをして、ラーシュは再び話し始める。
「改めて聞きたい。雇うという形でなら僕らと組んでくれる気はあるかい?」
場の期待度は一気に高まっていく。……ところが。
「うーん……保留で」
「ええ⁈」
「いけそうな雰囲気だったじゃない!」
皆の叫びを無視し、ヒューゴーは目を細めて彼らを見回した。
「……おかしいんだよ、てめぇら」
腹の底から絞り出した冷たい声。例えるならそれは猛禽類の鳴き声のような。思わずその場にいる全員が目を見開く。
「さっきから思ってたが……アナンとかいったか? お前、アーダルフルムの訛りがあるだろ。つまり、デストジュレームの人間じゃねぇし王族との繋がりなんぞもちろんねぇってことだ。ならば、てめぇらの共通点はなんだ?」
(……こいつ……結構頭が切れるな)
もちろん彼らの出会いは偶然だった。何かしら下心があったわけではない。だが、そう言ったところで彼は誤魔化されてなどくれないだろう。実際、今のアナンにはラーシュの切望するそれとは逸れた目的があるのも確かだ。
返事に詰まっていると、ヒューゴーは一つ瞬きをして試すような笑みを見せた。
「例えばそうだ、……クルーヴァディアとか、な」
(な……)
クルーヴァディア。
アナン達にとってその言葉の情報源はノスタシオンだった。しかしヒューゴーに関してはどうだろう。恐らく彼との接触はない。
それすなわち。
(……こいつ、わかっている)
そう思った途端、アナンは身体が浮くような妙な感覚に包まれた。
それが自分の中のエトムントが目を開く合図だと直感的に理解する。
(そうだ、エトムントなら)
彼なら。彼なら知っている。ヒューゴー=メイスンがヒューゴー=メイスンでなかった時の名を。
「……ヴィース=ケンドール」
一度も口にしたことのなかったその名は驚くほど自然に口に馴染んだ。当然と言えば当然のことだが、ずっとずっと昔から呼んだことのあるような感じだ。
「……なるほどな」
その一言は彼を納得させるのには十分だった。煙草を口から離し、不敵に微笑む。
「……随分ご無沙汰だったじゃねぇか、陛下」
青色と橙色は、かつての主と従の瞳は、静かにぶつかり合う。それはしんみりした再会ではない。言うなれば、血も滾るような共闘の合図だ。
「……ヒューゴー?」
恐る恐る声をかけたサナの方へ、彼は豪快な笑顔を見せた。
「……乗った。この賭け、乗ってやんよ!」
彼はいつになく楽しそうだった。それも、子供がはしゃぎまわるような無邪気な楽しさではない。むしろ、負け続けた賭けで逆転する瞬間のような。
「ど、どういう心持ちの変化であるか……?」
サナはぽかんと口を開けている。どうやら彼女はまだ何も知らないらしい。
「負けっぱなしは気に食わねぇってだけだ。……詳しい話は場所を変えようぜ」
「ああ」
彼が肘で示した先には転がされている罪人達。確かにそろそろ薬も切れて目覚めそうな雰囲気である。
そうと決まれば手際がいいもので、彼はてきぱきとサナの手伝いを始めた。
「それにしてもてめぇら皆、あの頃と比べれば随分可愛らしくなっちまってよぉ」
「え、あ、ああ……どうも」
何もしないというのもばつが悪いような気がして、アナンも隣で手伝うことにした。
(……実は名前以外何も思い出せてないとか言えないな……)
「どうせならなんか奢ってやるよ。……あ、それともあれか? 女遊びでも教えてやろうか?」
「な……アナンの変態!」
「言い出しっぺは俺じゃねえよ⁈」
「どうでもいいですけど、ご主人様の前で下品なこと言わないでください!」
一気に渾沌とした空気になってしまったその真ん中で、それでもアナンは少し笑えてくるのだった。
(……俺の中のお前が信じた仲間だもんな、当たり前か)
大丈夫。
何かが始まる、いや、再び始まるこの今が。
(楽しいって思えるんだから)
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