18章 Restart


先程のことがあってからずっと、アナンは夢の中にいるような心地だった。

自分の中に断片的なもう一人の自分がいる。

考えれば考えるほどアナンとエトムントが混ざっていく。思い出したいような、思い出すのが怖いような、そんな記憶。

操り人形のようにぼんやりと帰路につく様子をサナに心配されたりしつつも、なんとか彼は宿舎に辿り着いた。

「……はあ」

思わず溜め息が漏れた。小さく首を振ってバンダナを外す。鏡には右目の印を煌々と輝かせた自分が映っていた。そういえばかつての自分は、つまりエトムントは、どんな外見をしていたのだろう。

ぼうっと鏡の自分と向かい合っていたアナンは、不意に後ろに迫る気配に気付いた。

「誰だ」

勢いをつけて振り返る。そこにはイスフィがいた。

「なんだ、イスフィか……」

そうは言ってみたものの、何かがおかしい。普段の彼女の気配はなんとなく感じ取れるのに、今の彼女はまるで。

(……よく似た別人みたいだ)

桃色の瞳はただどこまでも真っ直ぐアナンを見つめている。一つ瞬きをして、彼女はようやく微笑んだ。

そして。

「おかえり、エト」

彼女が知るはずのない名前。その響きはどこか懐かしくて、遠い昔に食べた砂糖菓子のような心地がした。

「……『私』のこと、覚えてる?」

不安なようにも嬉しそうにも聞こえる掴みどころのない彼女の声は、ゆっくりと耳元に近づいてくる。記憶が、膨らんだ蝶番のように。扉を撫でる風のように。

そして。

触れる。

頬に触れる。

彼女の唇が、触れる。

一方的な愛の証は、微睡む夢のように。たおやかな恋の烙印を押すように。

「エト」

桃色の熱を帯びた頬から、記憶が染み広がる。思い出す。

「……フルール」

フルール=マスカール。

『私』が愛した人。

霧が晴れていく。

崩れかけた神殿に出向いて、君の話を聞いた。絶望の歯車が噛み合ってしまった未来の話を。

遅すぎた警告を。

『この国は滅びる』

『今まで蔑ろにしてきた自然によって、そして……』


『ルドルフによって』


彼が理想を継ぎ合わせてクルーヴァディアを蘇らせようとするなら。

歴史を繰り返すなら。

それを止められるのは、

「貴方しかいないの」

彼は思わず目の前の彼女を抱きしめていた。腕に温もりが染みわたる。

大丈夫、二人はここにいる。

いや、

「……違う。俺だけじゃない。皆がいるし……なにより、お前がいる」

「……!」

歴史を繰り返さない。それは、《リンカーネイション》だけの話ではない。そう、アナン達だって。

繰り返さない。

無力な一人だけが科学に立ち向かって砕けないために。

繰り返さない。

もう誰も、傍観者にならないために。

繰り返さない。

今度こそ、『皆』で。

桃色の瞳に青い月を浮かべて、彼女はふわりと微笑んだ。

大丈夫。『私達』なら。


「……今度こそ、最後まで一緒にいるからね」

「もちろんだ。そのまま次の始まりまで共にいよう」


夜が更けていく。

新しい朝の為に。

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