《リンカーネイション》9 Tell
「おや、カミル。丁度いいところに」
足早にリラの元へ向かうカミルを呼び止めたのは、彼が最も苦手とするあの底のない海のような声だった。
「……なんだ、オリヴェル」
反射的に油の瓶をポケットに隠す。少しでも彼に与える情報を減らしたいと、対面する度に思っているような気がする。
「大したことではない。……いや、君にとっては大したことかもしれないがね」
「はあ……」
思わず半歩足が下がる。なんだか嫌な予感がした。いつもうっすら笑みを浮かべているオリヴェルだが、その笑顔にも微かな差があることは十年も過ごせば流石に気付いていた。そして、どんな風に笑おうが、その理由は一般的な感覚では良いものではないということも。
オリヴェルは嫌に子供っぽく笑ってカミルに囁いた。
「総帥のご命令だ。リラを始末する」
「……は……?」
時が止まった、とすら思った。
なぜ、なぜ彼女が銃口を向けられなくてはならないのか。カミルには全くわけがわからなかった。尤も、わかってしまったならば、それすなわちオリヴェルと同じ場所まで堕ちるということでもあるのだけれど。
「……理由を聞かせろ」
問いただしたい気持ちを抑えて簡潔に問う。こんな事態だというのに、それでも心拍数の推移を気にしている自分が無性に嫌になる。
「その様子からすると共犯ではないようだね。結構なことだ」
わざとらしく手を叩く。それが心から憎らしい。貼り付けた仮面のように笑うと、彼は白衣をはためかせて一瞬で真剣な表情になった。
「端的に言おう。……奴はステラの記憶装置を持ち出した」
「な……」
すっと血の気が引いていく。二千年間守られてきた最大の機密事項。最高幹部とごく一部の科学者だけが握る情報。それはリラすらも知り得ないものである。
「……いや、でも……中身はどうなった? それが無事なら……」
彼女がそんなことをするはずはない。間違えて持ち出してしまったのかもしれない。
必死で少しでも良い可能性を考えていく。どうしてそこまでして彼女を庇おうとしているのか、彼にはわからなかった。
「……とっくに開錠されて再生された後だ」
「え」
淡い光は一瞬で断たれた。
「……何故だ……だって、だってあれは……」
どう考えてもありえないことだった。掴みかかりそうになる衝動を抑え、爪痕がつくほど手を握りしめる。
「そうだとも。だから問題なのだよ」
ステラの記憶装置の鍵を解く方法はただ一つ。
クルーヴァディア時代に滅びてしまった古代魔法を使うこと。
魔導書もなければ適合する魔力を持つ者もいないはずの、最も厳重なセキュリティのはずだった。
「……魔導書や詠唱すら使わずに鍵開けが出来てしまうほどの魔力を持つ者がやったということか?」
「理由はどうだっていい。ともかく、一連のシステムに記録されていたのはリラのナンバーだった、これは事実だ。そうなれば彼女に処罰が下るのは当然だろう」
「……」
カミルは何も反論できなかった。記録に残ってしまうものについてオリヴェルが嘘をつくことはないだろうということはわかっている。捏造も疑ったが、総帥が介入している以上どのみちそれが『事実』になるのは間違いないのだ。
立ち尽くすカミルを横目に、厚い片眼鏡の彼は唇の端を歪ませた。
「納得したなら幸いだ。どうやら君は……彼女に少々好意を抱いているように見えたからね、私情を挟まれては困ると思っていたが……」
「は……?」
全く思いもよらない言葉だった。
好意、好意?
そうか、あれは好意だったのか。
隣にいたいと思うのも、彼女に望まれるような人でありたいと思うのも。
そう思うと少しだけ心が軽くなる。それなら、きっと、――
「尤も、君に人を愛する資格などないがね」
「……」
その言葉が顔を上げかけたカミルを突き放す。火を吹き消されるような、何かを諦めさせられるような感覚に陥りそうになる。対照的に、オリヴェルはどんどん生き生きしていくように見えた。
「わかっているだろう。何のために家族との約束を破ったか、いかにして毒を投げ込んだか、どれほど残酷な子供だったか……」
「……やめてくれ」
そう言うのが精一杯だった。あの頃と何も変わらない。あの娘にいいところを見せたいと思ったのも、親密になりたいと思ったのも。
いつか。そう遠くない将来。
また同じことを繰り返したら?
また。
(なにか重大な秘密を打ち明けてしまったら)
きっと、壊してしまう。歪に安定したこの今さえも。
今更、変われない。あの日の自分にずっと見下ろされているような。
(……助けて)
「……おや、怯えさせてしまったようだね」
誰のせいだと思って、とは言えなかった。貼り付けたようないつもの笑みで、オリヴェルはじりじりとカミルに近づく。
「大丈夫、君だけのせいではないよ。考えてみればまだ幼いのにあんなことをしてしまったんだ、君のご両親の育て方が悪かったのだろう」
思いもよらない言葉だった。
「……違う……俺が、俺が……勝手にやったことだ……父さんも母さんも……関係ない……」
反射的に声を荒げていた。自分が自分を追い詰める。
俺が勝手にやったことだ。
誰の言葉でもない自分の言葉が、罪の烙印を押してくる。
その手を抑えているのがオリヴェルだと、冷静な時ならわかるはずなのに。
「それならよろしい。その言葉を待っていたのだよ」
刃物のような声も耳に入らなかった。満足げに彼はカミルの背を軽く叩く。
「君は罪人だ。ご家族のためにも、一生罪を背負って生きたまえ」
やや間を置いて、オリヴェルの気配が耳元に感じられた。
「……くれぐれも、妙な気を起こさないことだ」
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