13章 Road
また、夢を見る。
「陛下!」
誰かが呼んでいる。この前の夢の続きだと、直感的に思う。
「……ああ、やはり来たのか。お前には生きてほしい……なんて、言っても無駄かもしれないが……」
夢の中だというのに、心臓の奥がすっと冷えていく気がした。恐らく従者か何かであろうその誰かが……命を投げ出そうとしている。
「陛下、おやめください。私は、貴方様に死の先までお仕えする覚悟で生きてきたのです。……ですが、そのようなことを仰られては」
誰かの声は、どこか聞き覚えがあるような気がした。だが、彼の言葉は思い当たる声よりもずっと暗く沈んで、それでいて決意に満ちている。言うなれば、愛。それも、深い深い忠誠心。
「わかっている。お前にとっては意地悪なことを言ったな」
「……陛下」
それは、目の前の彼を試すような。何かが焼け落ちる音が段々近づいてくる。
皆、限界を生きているのだ。それでもただ、一筋の線の上を歩くように息をしているのだ。
「だが……」
自分の口が、自分のものではないように動く。その言葉の続きは揺蕩う目覚めによって阻まれた。
「……夢か」
いつの間にかアナンの意識は現実へ引き戻されていた。
深夜の独り言は嫌に大きく聞こえる。きっと空気が澄んでいるからだろう。
サナが話を付けて貸してくれた自警団用の空き部屋のベッドは、少々硬くてどうにも慣れない。あの後散々瓦礫の撤去やら負傷者の手当の為やらに動いたというのに、疲労よりも緊張が勝っているらしい。ただ、アナンの眠りを妨げたのは不慣れな環境というよりむしろ、この数日で身体に染みついてしまった夜警の習慣だった。とはいえ、それはアナンに限定される悩みのようで、隣の寝床に入ったキケは今なお熟睡している。
(……夜風にでも当たってみるか)
本当は背に汗で張り付く寝巻を変えたいところだが、泊めてもらっている身でそんなことはとても言い出せない。それでも気分を良くしたい時は散歩が一番だろう。
静かに戸を開けて、ふらふらと中庭に出てみる。ふと空を見れば、影を包むような満月が空に浮かび上がっていた。
どこにいたって月は月だ。家族を亡くそうが敵に追われようが、月は月だ。
月光は時に慈悲深くて、時に冷たい。だが、その冷たさが欲しい夜があるのもまた事実。
動乱の中で心を休める僅かな時間があると、かえってわけもなく涙が零れそうになる。
意味もなく瞬きを繰り返すうち、アナンは近づいてくる気配に気付いた。
「良い夜だね、アナン。ご機嫌はいかがかな」
「……ラーシュ。どうしたんだ」
無意識にアナンは背筋を正していた。どうも彼の名を呼ぶのは慣れない。
「特にこれといった用はないよ。ただ、なんだか夢見が悪かったようで起きてしまったから、気でも紛らわせようかと思って」
そう言いながら彼はアナンの隣に立った。ラーシュの身分を考えれば、硬くて狭い寝床は全く非日常的なものだろう。寝付けないのも無理はない。
「……子供の夢を見たよ」
澄んだ紫の瞳はただ星空を映したまま、彼は静かに語りだした。
「子供?」
「うん。と言ってもほとんど忘れてしまったけれど。目覚めた直後はもう少し覚えていた気がするのだけれどね」
そう言うと彼は微かに口角を吊り上げた。その大人びて寂しげな笑顔はもう見慣れてしまったけれど、それはアナンをどうにも落ち着かないような気持ちにさせる。
「……いい夢ではなかった。それは確かだ。……誰かと別れる夢だった」
「……」
口を閉ざしたアナンに構うことなく、ラーシュはぽつりぽつりと言葉を続ける。
「僕の家はね、五人家族なんだ。父上に母上、それに弟と妹。弟は少しやんちゃだけれど魔法を使うのが上手で、妹は天真爛漫な優しい子」
「はあ……」
突然話題を変えた彼に、アナンは曖昧な返事を返すことしかできなかった。そんな彼をちらりと横目で見て、ラーシュはそっと目を伏せた。横髪が白い顔を隠す。
「今日の午後、街で聞いたよ。……家族は皆、処刑されたって」
「……!」
アナンははっと顔をあげた。てっきりラーシュはその情報をノスタシオンから聞いたものとばかり思っていたのだ。実を言えば、それでもなお冷静さを失わない彼を不気味だとすら感じていた。だが、それが完全に間違いだとしたらどうだろう。
家族は生きていて、いつか再会できると信じていたのだとしたら?
(そんなのって……)
残酷だ。あまりにも。
「……まだ、……まだ、わからない。嘘かもしれないじゃないか」
口を突いて出たのは嫌になるほどありふれた慰めの言葉。
「いや……そういうことではないんだ。ただ、自分の中で納得できただけ。……わかっていたんだ、シオンがずっと僕に何か隠しているの。シオンはね、嘘や隠し事をする時はいつもより横髪を触るから。きっと、このことを言えなかったんだろうな」
言葉とは裏腹に、彼は穏やかな笑みを、世界を拒むようなその笑みをゆっくりと歪ませた。
「……わからないんだ」
心の奥から吐き出した声はいつになく子供じみて震えていて、それでいて空虚な大人らしさを湛えていた。薄い膜を貼ったような、割れる寸前のシャボン玉のような。
「僕は、……僕は、デストジュレームの為に生きて、デストジュレームのために死ぬ。そんなあるべき王になる為に今日まで生きてきたのに。……民が選んだのは、弟が見る最初で最後の宮殿の外は民衆の罵声と飛び交う石で埋め尽くされて、……十にもならない妹が断頭台で最期を迎えるような、そんな世界なんだ。この結末は大勢にとっての幸福で、僕が望む理想は机上の空論で……僕が王都に戻ることを、王家復興を成し遂げることを、民が望まないなら、いっそ……」
通り雨のように、彼の言葉は途絶えた。頬を伝う雫は家族を失った悲しみから来るものなのか、自分への絶望なのか、或いはどちらでもあるのだろうか。
「……どこにどんな身分で生まれようと、俺達は皆自分だけはどうしたって背負わなきゃいけないんだ。だから、俺はお前を尊敬する。数多の民の重荷を少しでも肩代わりしようとするお前を」
思ってもみなかった言葉が口から零れた。まるで誰か別の人が、自分に限りなく近い誰かが、アナンの身体を借りて喋っているような感覚に襲われる。
「……でも、いや、だからこそ、その脆さが怖い。いつか生きる意味が、委ねた運命が、何もかもひっくり返る日が来たとして。この世界は我儘で、理不尽で、無慈悲だ」
「わかっている。でも、僕にとって王冠は、血筋は、使命なんだ。そう簡単に投げ出して、軽々しく『自分の為に生きる』って、そんなことできない」
傍から見ればどんなに不思議な光景だったろう。一国の王子が、ただの狩人の話に真剣に耳を傾ける。
「そういうつもりで言ったんじゃない。……自分の信じる王道を進む。どんな結末を迎えようと、そう生きればいい。例えその上で出した結論が逃げることだったとしても、それは自暴自棄で決めた逃げとは別物だ。……違うか?」
言い終えるが早いか、まるで誰かに憑依されていたかのような感覚はすっと抜けていった。随分と偉そうなことを言ってしまったかもしれない。一抹の不安がよぎる。だが、アナンの心配とは裏腹に、ラーシュはどこか晴れやかな表情だった。
「君は不思議だ。僕よりもずっとものを知っている」
やっとラーシュはアナンの瞳を見て微笑んだ。
「僕は僕を信じる。この世で一番確かなものを。……ありがとう、アナン」
どうにも何かがこみ上げて、アナンははにかんで目を逸らした。恥ずかしさの為だけではない、身震いさせられるような何か。自分ではない自分が、身体を媒介に語りかけているような時間だった。宿した蛹が孵りかけている。そんな気がした。
「ラーシュ様、探しましたよ」
頃合いを見計らったように、奥から冷たい声がラーシュを呼び止める。
「おっと、心配をかけてすまなかったね、シオン。少し寝付けなかったんだ。すぐに戻るよ」
小さく手を振って、ラーシュはノスタシオンの方へ駆けて行った。魔法が溶けたみたいだ、とアナンは思う。何かを繋ぐような、本当の気持ちを話させてしまうような魔法が。
「話し相手になってくれてありがとう。平穏な夜を、アナン」
「ああ。おやすみ」
ラーシュの声は古い木の戸の向こうへ吸い込まれていく。重い扉を閉めたノスタシオンは、ついとアナンの方を振り返った。彼が口を開くより前に、アナンは思わず彼に話しかけていた。
「……お前、さっきの話を聞いていたんだろう」
「ええ。私がご主人様のお傍を離れるはずありませんでしょう」
言葉選びこそ穏やかなものの、彼の陶器のように白い眉間には皺が寄っている。そんな態度を取られてはいささか気分が悪い。アナンは僅かに声を荒げた。
「……革命の詳細、なんで黙っていたんだ」
「ご主人様が傷つくところを見たい従者などどこにおりますか。……例え独善だとしても、私は……」
消え入りそうな声と共に、彼は顔を背ける。思いもよらぬ反応に、アナンはかえって戸惑った。
「……俺はお前がよくわからない」
心の底から漏れた言葉だった。一方ノスタシオンはその言葉で威勢を取り戻したようで、また赤い目でこちらを睨む。
「それで結構です。人間からの『理解』なんてこちらから願い下げですから」
「……もうちょっと仲良くやろうとかいう気持ちはないのか? 一応仲間だろ?」
僅かな苛立ちは消え去って、アナンはむしろ我儘な子供をあやすような気持ちになっていた。彼は種族的に相当長く生きているはずだが、その割には時々子供っぽい。それも、孤独な子供が反抗する時のような。
「私はラーシュ様の味方です。そのラーシュ様が貴様らに協力すると仰るから、私も手を貸してあげているのですよ。仲間などと思いあがらないでください」
こうも拒絶されてしまっては手の打ちようがない。アナンは小さく溜息をついて彼に背を向けた。
「……私は」
普段なら聞き逃してしまうような独り言。それでも足を止めたのは、きっと星が眩しいほど輝く夜だから。
「誰に何と言われてもいい。それでも……ラーシュ様には、貴様のような、あのような王にはなってほしくない」
何のことだ、と言いたくなるのを寸前で飲み込んだ。冷たい月光が銀の髪を浮かび上がらせる。
「……残酷さは不平等なんですよ。何かを変えようとしてがむしゃらに生きる人ほど簡単に押しつぶされて、それでおしまい。正しい者は淘汰されていつか忘れられるなら、私は……どこまでも正しくあれ、なんて申し上げられません。……そうやって滅んだ人を知っているから」
「……」
きっと、彼の言うことは正しくはない。大切な人がより幸せになるなら、少しくらい道をそれたって何かを見て見ぬふりをしたって、それでもいい。だが、それが彼が悠久とも言えるような時の中で出した答えだとしたら、頭ごなしに否定できないのもまた事実。
「……それを一番望まないのはラーシュ自身なんじゃないのか」
やっと絞り出した声に、ノスタシオンは目を伏せた。
「わかっていますよ、そんなこと。わかっているから怖くて、……でも、そういう方だから尊敬しているのです。それだけです」
そのまま彼はまたいつもの氷のような表情に戻った。全てを閉ざして、全てを映す氷。
「失礼します。……せいぜい良い夢を、アナン=アイオン」
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