《リンカーネイション》4 Number(1)
「……それじゃあ、また来るからね」
眠るイノに優しく微笑みかけて、リラは実験室を出た。
相変わらず廊下は人気がない。カミルももう去ってしまったようだった。
(……さっきは変なことを聞いてしまったわ)
『……それじゃあきっと、この世に幸せな人なんていないわ』
幸福とか不幸とか、彼がそういう話を好まないのは承知している。いや、彼だけではない。《リンカーネイション》に所属する多くの人々も。
(楽園、ってかさぶたを剝がさないことなのかしら)
彼らが総帥と慕う人は、かつてこの世のあらゆる望みが科学によって叶う楽園のような場所があったのだという。それがクルーヴァディアという国であると。
でも、とリラは思う。
(そのために無数の人々を犠牲にしたとしたら?)
きっと、そんなことを考えない人だけが楽園の民になれるのだろう。そして彼女にもまた、その資格はあるのだ。
(……私が何を言ったって綺麗事よね)
無邪気な平和を願うことができるのは、まっとうに生きてきた少女だけ。どれだけ祈りを捧げようとも、その手が血に濡れていては、神は微笑んではくれないのだ。
誰かの幸せの裏では誰かが不幸になって。ずっと誰かの幸せの裏で泣いてきた彼女だけれど。
(少しでも誰かが泣かないように、一人でも多く笑えるように)
(そんな世界を作れるのは、きっと――)
ピリリリリリ。
思考を分断する無機質なアラーム音。聞きなれたそれは恐らく午後四時を知らせるためのものだろう。手元の通信機を見ようとして、彼女ははたと立ち止まった。
(そういえば通信機はメンテナンス中だったわ)
ここに来る前に通信機を定期メンテナンスに出したことを思い出す。尤も、どこかが壊れたというわけではないから、もう終わった頃だろう。
今日は夜に隣の棟でセキュリティーチェックがあると聞いた。簡易的な電話は持ち歩いているし、リラ自身が幹部であるということもあって、ここにいる分には問題ない。だが、棟を行き来しようと思った時には入館証代わりでもある通信機がなければやや手間がかかる。
「……受け取りにいかなくちゃ」
わざと声に出してみる。
どこかに捨ててきた無垢な少女から、《リンカーネイション》の女幹部に戻るために。
冷たい影が、靴音が、彼女を追い立てるように長く伸びていた。
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