《リンカーネイション》3 A little tale, a little “science”(3)


 それから、父は俺に科学の話をしてくれるようになった。流石に複雑な機械は触らせてくれなかったけれど、簡単な応急手当の方法なんかは教えてくれた。尤も、人前で見せてはいけないということは強く念を押されたけれど。

 俺の故郷のような田舎では魔導士の数が十分でないこともある。そうすると、本来は軽い怪我や病気で済むものが、治療に取り掛かるのが遅かったせいで悪化してしまうことがあるらしい。だから自分でなんとかできるようにしておきなさい、というのが父の考えだった。

 他に教わったのは科学と家の歴史。村の学校で教わる歴史よりもずっと前、この世界には科学が発達した国が存在していたという話は、俺にとっては衝撃的だった。先祖の日記くらいしか手掛かりがないから確かなことはわからないけど、と前置きをして父が話してくれたその国の話。

「元々、科学は『魔導科学』というものが元だったんだそうだ。つまり、魔法と機械のいいとこどりをしたっていうところだろう。それが、次第に科学技術の力が発達していって、魔法は動力にすぎなくなった、と」

「そんなに凄い力が……でも、それじゃあどうしてその国はなくなって、科学は衰退したの?」

「それはわからない。その部分の日記はないんだ。大方戦争か何かで滅びたんだろうね。きっと、パヴラート家のご先祖様は科学技術を持ったままその戦火から逃げのびた人だったんだろう」

「ふーん……。そういえば、その国の名前って何?」

「発音が正しいのかはわからないが……クルーヴァディア、というそうだ」

 今になっては嫌というほど聞くことになったその名前を知ったのは、意外にも父との会話の中だった。時折布団の中でその名前を呟いてみては、一体どれほど素敵な国だったのだろうと想像したものだ。

 ……今ならわかる。きっと中途半端に技術や知識を身につけてしまったから、自分は他の子供達とは違うのだという微かな優越感を身に着けてしまったから。

 だから、あんなことになったのだ。

 忘れもしない、あの十月のこと。

 いつもと何も変わらない午後、学校が終わってから俺は森に遊びに行っていた。隣の家の女の子と一緒に。

 わかりやすく言えば、俺はその子が好きだったのだろう。はぐらかしたいわけではない。その幼い恋心はもっと別のもので上書きされてしまったから。もう思い出せないのだ。きっと、これからもずっと。

「あ、カミルくん! ほら、今リスがいたよ!」

 はしゃぐ彼女は歩きながら、俺の方を振り返ってそう言った。

 ちょっとリスが見えたというだけで一緒に騒ぐのはなんだかかっこ悪いような気がして、それでも素っ気ない返事をするのも憚られて。そうやって悩んでいるうちに。

「や……っ!」

 ……彼女は俺の視界から消えた。よそ見をしていたからだろう、足元の木の根に躓いて転んだのだ。そのまま小さな体は斜めに倒れこんだ。落ち葉が吸収したからか、意外にも音はほとんどしなかった。

「え、ちょ……ちょっと、大丈夫か……?」

 やっと絞り出した情けない声。それでも彼女は安心したのか、小さな嗚咽を漏らして泣き出した。

「……うっ……どうしよう、カミルくん……足が痛いし、お洋服汚しちゃったし……」

 そう言う彼女の右足は確かにおかしな方向を向いていた。骨が折れてしまったのか、或いは酷い捻挫だったのだろう。

 俺がなんとかしなきゃ。

 頭に浮かんだのはそんな無謀な考え。今なら、彼女がよそ見していなければそんなことにはならなかったとわかるのだが、当時の俺は自分がしっかりしていればよかったのだと思いあがっていた。恥ずかしがらずに手を繋いでいれば彼女は転んだりしなかった、と。

だから、あんなことを言ってしまったんだ。

「……大丈夫、俺に任せて」

 幼い頭で思い出したのは、父がやってみせてくれた副木の方法。元通りの向きにして木で固定したら、布でしっかり巻きつける。確かそんな感じだったはず。『子供がやるには早い』と言われていたけれど。

「……俺だって、できる」

 そこからは早かった。できるだけ真っ直ぐな木を探して、俺の服の裾を細く破いて。記憶を頼りに彼女の足を固定していく。

「……できた!」

 一応見てくれはそれらしくなって、俺はすっかり得意げだった。

「すごい……! ありがとう、カミルくんは優しいね」

 違う。

 俺は優しくなんかなくて。

君と遊ぶのを禁止されたらどうしようとか、いい所を見せたいとか、心のどこかでそんなことを考えていたんだ。

 臆病と見栄が混ざった、どろどろの蛹みたいに。

「……大したことじゃないさ」

 嘘。本当は、持ち上がりそうな口角を押さえつけていたくせに。それでも浮かぶ笑みに気付かれないように、こっそり目を逸らしたくせに。

「ねえ、これは魔法? カミルくんは魔法が使えたの?」

 尊敬。同年代の、それも好きな女の子から注がれるその視線は、俺の口を滑らせるのに十分だった。

「違うよ、これは科学っていうんだ。魔法とは違うものなんだって」

 しまった、と思った時にはもう遅かった。あの日の俺は数年間守り続けてきた両親との約束を、あまりにもあっけなく破ってしまった。

「科学?」

「うん。……今の話、二人だけの秘密にしてくれる?」

 俺は猛烈な後悔に襲われていた。早く切り上げなければ。それでも不自然にならないように。いや、これ以上追及されたとしたら?

「わかった。それじゃあ、今日はもう帰ろうか」

 冷や汗を流す俺をよそに、彼女の返事は素直なものだった。

 大丈夫、大丈夫。きっとこれで、何も問題なんてない。

 彼女の身体を支えながら、俺は自分にそう言い聞かせて森を後にした。

 その一言が運命を変えてしまったと気付いたのは、翌日のことだった。

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