《リンカーネイション》3 A little tale, a little “science”(2)


 カガクシャ。

 俺、カミル=パヴラートが初めてその言葉を聞いたのはまだ七つかそこらの頃だった。

「いい、カミル? パヴラート家は、本当は科学者の家なの。でもね、お友達には絶対に言っちゃだめよ。誰かに聞かれたら、お父さんは薬屋さんで、魔法で薬を作っているんだって言いなさい」

 いつもは優しい母がいつになく真剣な顔で、俺と一歳年下の弟にそう言ったのだ。

 俺が育ったのはエイグレイヴ村という小さな村。村を形作るのは農業と森と、僅かな魔法。つまるところ、どこにでもあるような田舎で、そんな堅苦しい言葉とは無縁の場所だった。

 カガクシャ。

 正直なところ、俺も弟もそれが何のことなのかよくわからなかった。それに、父が本当は魔導士ではないという話も。

 だが、言われてみれば父は一度だって俺達を仕事部屋に入れてくれたことはなかった気がする。

「……わかった、絶対言わない」

「僕も」

 好奇心旺盛な弟もこの時ばかりは母に気圧されたのだろう、『カガクシャ』という言葉についても口外してはいけない理由も尋ねることはなかった。それから何度も念を押されて、最後にはいつも通り抱きしめられ頬に軽くキスをされて。

「それじゃあ二人とも、あと少しでご飯の時間だからね」

 普段と変わらない微笑みを浮かべて、母はようやく部屋を出ていった。

「……ねえ兄ちゃん、カガクシャって何?」

「さあ。何でもいいけど、絶対人に言っちゃだめだからな」

「わかってるってば!」

 弟と軽口を叩き合って、しばらくはそれきりだった。

 母との約束は覚えていたけれど、『カガクシャ』が何かなんて、遊びと悪戯に忙しい少年の俺にはさほど面白い考え事でもなかった。

 その意識が変わったのは十歳の誕生日の夜。父が初めて仕事場に俺を入れてくれたのだ。

 鍵付きの重い戸の向こうは、例えるなら別世界。見たこともない機械が所狭しと並べられていた。幼い俺にも、それが『科学』の産物なのだと直感的に理解できた。

「お前ももうだいぶ大きくなった、そろそろ家業について知った方が良い頃だろうと思ってな」

 未知の世界に目を輝かせる俺を、穏やかな顔で見守る父。寡黙な人だったけれど、その時はいつもよりも口数が多かった気がする。

「いいかい、カミル。パヴラート家は代々科学者を輩出してきた家なんだ。お前もいつか家を継いで科学者になる日が来るだろう」

 いつになく真剣に、俺は父の紫紺の瞳と向き合った。そういえば俺の瞳の色は父譲りなのかもしれない。……似ているのはそれだけ。ごめんね、父さんみたいな人にはなれなかったよ。

「……ねえ父さん、その科学者ってなんなの?」

 やっと三年前の疑問を解決する機会が訪れた。父の話は全く耳にしたことがないようなものだった。

「なんと説明すればいいかな……まず科学というのは魔法の代用品みたいなものなんだ」

そう言うと父は傍にあった機械に手を伸ばす。少しの間つまみのようなものを触る。しばらくすると、その機械は突然ほのかな光を放った。

「え……!」

「ほら、魔法みたいだろう?」

 今思えばあれはスイッチを押して電気を点けていたのだろう。ただ、当時の俺には魔法そのものであるように感じられたのだ。

「お前はもう知っているだろうが、父さんは魔導士ではないから魔法が使えないんだ。でも、科学は違う。生まれ持った魔法の才能に関係なく、勉強すれば誰だって科学技術を仕えるようになる」

 そう言って笑うと、父は灯りを消した。俺達の遊びに付き合っている時とも、母と話している時とも違う、若々しく希望に満ちた笑顔だった。

「例えば、普通は回復魔法が使えなければ誰かを治療することはできないだろう? でも、科学はそうではない。実際、魔法が使えない父さんも、科学知識を使って薬を作り、誰かの役に立てているんだ」

 その言葉は俺にとっては衝撃的だった。

 勉強すれば、努力すれば誰かを助けられる。

 人の命を救えるのは魔法だけ。そんな常識が砕かれて、代わりに確かな光が差し込むような気がした。

 その一方で、俺の幼い頭にはまた別の疑問が浮かんでいた。

「……でも、そんなにすごいものならどうして村のみんなには言わないの? 薬を作るのだって『魔法を使ったんだ』って噓をついているし……本当は薬を作るよりももっと大がかりな治療もできるんじゃないの?」

「これは昔のものだから、きちんと動かないものや欠けてしまったところもある。実際人間に使うには不安なところが多いんだ。……それに、」

 そう言うと父は寂しそうに微笑んで俺の頭を撫でた。初めて見るものだったその表情は、今や鏡越しでよく見る表情になっている。

「……カミル。人間は自分と違うものを遠ざけたい生き物なんだ」

 その言葉の意味がわかる日は、思いの外早く訪れてしまった。

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