11章 Dragons(5)
幻のような時間が終わり、男は大きな翼を畳むようにこちらへ降りてきた。そのままラーシュの眼前で跪く。
「ラーシュ様! ご無事でいらっしゃいましたようで何よりです。……私は……いざという時にご主人様をお守り出来ずに……」
「僕は大丈夫。だから顔を上げて。よく戻ってきてくれたね、シオン」
あちこちの道や建物が壊され、酷い様相を呈している町の真ん中で再会を喜び合う二人は絵画的で異質な感じがした。翼や角を持つ人ならざる者とそれを撫でる王子と。不思議と割り込めない独特な空気が流れる時間は、しばらくしてようやく終わったようだった。
「……さっきはありがとう。えっと、シオン?」
頃合いを見計らってアナンは声をかけた。だが、返ってきた言葉は想像もしていなかったようなそれだった。
「……口を慎みなさい、人間。私をその名で呼んでいいのはご主人様だけです」
「え……」
壊れた絡繰仕掛けの玩具のように口を開けては閉じるアナン。まさかイノと対峙していた時と大差ない風に返事をされるとは思ってもみなかった。先程のラーシュへの態度はどこへ行ったというのか。
「シオン、あまり厳しい態度を取ってはだめだよ。ほら、ちゃんと自己紹介して」
慌ててなだめに入るラーシュは主人というより親か兄のような雰囲気である。促されるまま、男は渋々といった様子で翼を広げた。
「……竜は高貴な生き物なのです。それが、こんなちっぽけで愚かで下品な人間ごときに……。ですが、ご主人様がそう仰るのなら仕方がありません……」
男はその整った顔に似合わない悪態をもごもご呟いている。少しして、彼はやっと観念したようにこちらへ向き直った。
「私はノスタシオン=サフ=クルストイ。デストジュレーム王家にお仕えする氷竜です」
答えるや否や、ノスタシオンと名乗った彼はツンとそっぽを向いた。彼の素っ気なさには取り付く島もない。一方でキケは何かに気付いたようだった。
「あ……! もしかしてお前さん、俺とアナンに声をかけた奴か……?」
キケの言葉でアナンもやっと思い出した。村から帰る二人に話しかけた、妙に尊大な語り口の声の主。確かにあの時の男の声はこんな具合だった。
「そうです。やっと思い出しましたか。忠告は守ったようですね、人間のわりには賢いことです」
そうだ、初めて二人にクルーヴァディアの存在を教えたのは彼だった。そういえばあの時の話の続きはなんだったのだろう。
口を開きかけたアナンを、赤い瞳がじっと見つめる。そのまま溜息を一つ。
「……貴様は覚えていないのですね」
「え?」
彼と会ったのはあれが初めてだったとアナンは記憶していた。目を見開いた彼の前で、ノスタシオンは飛び上がってくるりと一回転する。
そこには人間の姿とは程遠い、真白い竜がいた。
「忘れてしまったのですか? ……あの日、この姿で会ったでしょう」
「……!」
白。
イスフィの声が蘇る。あの日、あの時。出会わなければ、今この瞬間。
(……俺は生きていなかったかもしれない)
あの時怖いと思った緋色の瞳は、今はどこか柔らかい色にも見えた。
彼はまた空中で一回転して人型の姿に戻る。
「……それじゃあ、あの時、助けてくれたのは……」
「別に、助けようと思って助けたわけではありません。貴様の運が良かっただけです」
そうは言いつつも、彼は僅かに首を傾けた。
「……申し訳ないとは思っていますよ」
眼も口も、感情を表すものは皆輝く髪に隠れて見えない。
「……それは、……俺達の故郷を救えなかったからか」
小さく動く首。何とも言えない心持ちでアナンはその横顔を見つめた。
「……あのね」
長いような短いような沈黙が過ぎて、イスフィがやっと口を開く。
「竜だかなんだか知らないけど、生き物は誰だって自分の命しか背負えないの。そうやって生きていくものなの。まして数十人の命をどうするだとか、そんな大それたこと言わなくていいから」
真っ直ぐに澄んだ桃色の瞳はいつになく大人びていて、まるで別の誰かみたいに見えた。その言葉が意外だったのか、ノスタシオンは紅の瞳を何度も瞬かせた。
「……知らないうちに随分強くなったのですね」
彼の密かな呟きは、しかし彼らの耳に届く前にかき消された。
「おーい、そこのご一行! こっちの瓦礫をどかしたいんだが手伝ってくれるか?」
「そっちのお嬢さん、治癒魔法が使えるようじゃないか。こっちに怪我人がいるんだ、よかったら……」
市民と思わしき人々がアナン達を呼び止める。彼らが話している間にも、町は息吹こうとしているのだ。
「あ、俺でよければ!」
「は、はい……! すぐ伺います!」
それぞれが呼ばれた方向へ駆け出して行って、五人はすぐにばらばらになった。人波に揉まれ、流されて、非日常的な日常がきっとやってくる。
(あ、そうだ)
ノスタシオンには一つ聞きたいことがあった。アナンは慌ててその背中を追いかける。
「ちょっといいか」
「私ですか? なんでしょう」
『……全ての元凶はある一つの国の存在です』
思い出す、あの日の言葉。
『クルーヴァディア』
その意味を。
「……お前が言っていた、クルーヴァディア。あれって、一体……」
彼は僅かに視線を逸らす。その目に映る空はどんな色をしているのだろう。
長くて短い時を断ち切って、彼は穏やかな声でこう言った。
「……私達の故郷ですよ」
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