11章 Dragons(4)


「チッ……」

イノは忌々しそうに舌打ちをして男の方へ向き直った。

広げた翼に翡翠色の角、髪の間から覗く大きな緋色の瞳。彼もまた竜なのだろう。

(……そういえば……あの声、どこかで聞いたことがあるような……)

思い出せそうで思い出せない、このすっきりしない感覚に、アナンは頭を捻る。

「……何を突っ立っているんです? 私が来てあげたのです、逃げるなり戦うなりしてください」

アナンの思案は上空からの冷たい声に遮られた。そういえばまだ腕の中にはイスフィがいる。彼女も多少恥ずかしくなったのか、アナンの腕から抜け出して、代わりに彼の手を引いて走り出した。人の流れに逆らって、二人はなんとか三人の元へ辿り着く。

「キケ! 大丈夫か」

空中から放り出されたのだからさぞ大変な怪我をしているだろうと思ったが、ユリアが防御魔法でも貼ってくれたのか、彼は全くの無傷のようだった。

「ああ、気にするな。それよりあいつ……」

竜と竜の戦いは彼だけで一気に互角になっていた。彼の背後に浮かんだ青白い魔法陣からは絶え間なく氷のナイフが浮かび上がる。放たれたそれはあっさりと五匹の竜達の身体に刺さった。地上から手出しが出来ないのならこちらも空中から攻撃してしまえばいいと言わんばかりに、彼は絶え間なく氷魔法を放っている。

「……シオン!」

上空を凝視していたラーシュが不意に震えた声で叫ぶ。竜の男は僅かに口角を持ち上げた。

「お任せください、ご主人様。この程度、すぐに片付けます」

そのまま身体を一回転させ上空に飛び立つと、彼は口を動かしたようだった。途端、周りの空気の温度が下がっていく。それでも不思議と肌寒さは感じない。恐らく男が五人の周りに防御魔法をかけたのだろう。

「あの人、知り合いなの?」

「うん。……彼が……僕が探していた相手なんだ」

感極まっているのか、ラーシュはその宝石のような瞳を何度もしばたたかせた。

空を駆ける彼はまったく息を切らす様子もない。敵を引き付け悠々と飛び回りながら、渦巻く氷のナイフを的確に飛ばしていく。ぐしゃりと耳障りな音を立てて、五匹の竜のうちの一匹の尾が切り裂かれた。

「雪喰氷蝕(グレイシャル・イロージョン)」

彼は澄んだ声で淡々と魔法の名前のようなものを唱える。直後、切られた尾の断面に喰らいつくように氷が張っていった。尾の再生を無理矢理止められ三分の二ほどの体長になった竜は痛みにのたうち回るように雲をかき乱して墜落していく。そのまま硬い石畳にのめり込み、大きく痙攣して頭を垂らしてそれきり動かなくなった。

「……よかったですね、その小さな脳みそにお似合いの身体になれて」

男はその人形のような顔を歪ませて冷たく笑うと、そのまま上空を旋回しながら確実に石竜達の翼を破る。どちらが味方なのかわからなくなりそうだ。

地鳴りのように歪んだ石竜達の断末魔がアナン達の鼓膜を揺らす。無骨な生命は一つ、また一つとあっけなく体感零度に絶たれていく。

「永久氷絶(パーマフロスト)」

詠唱が終わるやいなや、氷でできた剣のようなものが魔法陣から放たれる。その刃は真っ直ぐに二匹の石竜の胸を貫いた。雪、雨、雹、吹雪、それに鮮血。降り注ぐ白と赤が生々しく大地を彩っていく。

「さて……」

あっという間に取り巻きは討ち果て、残るはイノ一匹。彼女のぎらついた瞳の奥に浮かぶのは憤怒と怨嗟、ありとあらゆる緋色の激情。

「……来イ。やるなラ……本気で来イ!」

イノが例外的なだけで、本来竜は人の姿を取っていれば放つ魔法の強さは落ちるものだ。人型の方が小回りが利くという事情はあるとはいえ、彼女にはそれが気に入らないものだったらしい。

「まるで私が手を抜いているかのような物言いは心外ですね」

口ではそう言いつつも、彼は特段表情を変えることもなく彼女との距離を図っている。何度も近づき離れ、煽るように見上げて。その間にも礫のような氷がイノの翼にヒビを入れる。それでも五匹の竜達より遥かに頑丈なのは流石と言ったところだろうか。

「むしろこちらが合わせてあげているんですよ、感謝していただきたいくらいです」

彼女の爪が届くギリギリの距離を、一足早い凱旋だとでも言うかのように駆けまわる。イノはいよいよ瞳をぎらつかせ、低く唸った。

絶えない炎、溶けない氷。一方的な空中戦は思いの外あっけなく決着がついた。

「……もう少し頭を使うことを覚えなさい」

振り向きざま、男は残雪のように呟く。

「絶対零度(アブソリュート・ゼロ)」

それ以上でもそれ以下でもない絶対的な無が、冷然たる零の刃がイノの脇腹を抉る。

紅、緋、朱。あか、アカ、赤。飛び散る生命の証。

彼女もまた血の通った生き物なのだ、とアナンは漠然と思った。

「……どうしテ」

黒い髪の向こうで揺れる赤い瞳は幼い熱を帯びる。

「どうしテ、どうしテ……お前にはあっテ、アタシにはなイ? どうすれバ、アタシ……」

「……私が答えたとて、何が変わるわけでもないでしょう。私にも今に値するだけの歴史があるのです。……せいぜい自分の不幸を嘆きなさい」

イノの紅が激刻の赤なら彼の紅は寂蒔の赤。白い肌の下を流れるその色は、髪に隠されて推測できない。

「……違ウ、違ウ……! アタシハ、たダ……ス――」

『No.998、緊急エラーを確認。回収後、ロールバックを開始』

子供のような慟哭を突き放す歪な合成音声が彼女の内側から響く。途端、イノは大きな目を見開いて壊れた玩具のように項垂れた。傷ついた身体はそのまま見えない糸にひきずられていく。近づこうとした男は何かに弾き飛ばされるようによろめいた。

あっという間に彼女の影は去る。残ったのはただ、かき乱された青空だけだった。

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