8章 Memories(1)


立ち上がったラーシュは穏やかな、それでいて鋭い目で四人を見つめる。

「……どうするかい? 今君達は僕を革命軍に引き渡すことだってできる。尤もその際は抵抗させてもらうけれどね。……ただ、」

彼の瞳は再び穏やかな色を浮かべた。氷の刃はいつしか解除されて、手に持った槍は元通りの柄に戻っていた。

「僕は君達と協力したい」

敵の敵はなんとやらとはよく言ったものである。彼らは全くの初対面だが、一方で《リンカーネイション》に狙われているという状況は一致していた。或いは革命軍としての彼らから、或いは暗殺集団としての彼らから。

「協力……それは何のためだ?」

アナンも慎重に言葉を選ぶ。お互いがお互いに敵対すべきではないと考えているのだ。

「……デストジュレームの王権を正当な王位継承者である僕が取り戻すこと」

握りしめた拳から伝わる強い決意。それはまるで張り詰めた氷のような。

「気持ちはわかるけど、あたし達に利点がないじゃない」

「ちょ、ちょっとイスフィ!」

お構いなしに口を挟んだイスフィに、アナンは思わず青ざめる。幸いにもラーシュの気に障った様子はなかった。むしろ想定内といった風である。

「それはわかっているよ。君達に提案したいのはもう一つの目的のほうだ。……奴らに追われているという点の他に、僕らにはもう一つ共通点があるだろう」

「……この印のことか」

キケとユリアは足に、イスフィは額に、ラーシュは手に。そしてアナンは右目に。偶然とは思い難い彼らの共通点。

「そう。小さい頃聞いたんだ、この世界には印を持った者が十人いるって」

「十人……」

今この場にいるのは五人。ラーシュの言うことが正しければあと五人、同じように印を持つ者がいることになる。

(……どうして?)

幼い頃から付き合いのあった四人はともかく、ラーシュとは身分も立場も何もかも違う。なぜ、なんのため?

困惑した彼らに、ラーシュは静かに言葉を続けた。

「ねえ、……クルーヴァディアって知っているかい?」

一瞬、世界が止まった。そんな気がした。

「お前……なんでその名を……」

「その様子だと知っているようだね」

「な……ちょっと待ってよ!」

話し始めようとするラーシュをイスフィが遮る。

「あたし、クルーヴァディアなんて知らない。アナンはどこで聞いたの?」

「村からの帰り道に男の声に話しかけられたって話、しただろ? その時にそいつが言っていたんだ、クルーヴァディアという国が全ての元凶だって……」

そこまで言ってしまってから、アナンははたと気付いた。何か言いたげなキケがこちらへ目配せしている。……だが、イスフィの反応は思った通りのそれだった。

「元凶? それって、なんの元凶なの?」

あの男が言っていたこと。クルーヴァディアという国の存在がすべての元凶。そう、アナンが狙われて村が燃やされたことの。

「……すまない。俺のせいなんだ、村が火事になったのは」

それでも、アナンは黙っていることができなかった。イスフィやユリアとの間に勝手に薄い不透明な膜を貼ってしまったようで。それはこの十八年分の思い出にも纏わりつくような。

「……どういうこと?」

「デストジュレームで革命を起こした奴が俺の命を奪おうとしているらしい。そいつが俺を狙って村に火をつけた、って……」

もう外聞なんてどうだっていい。むしろ罵られたって構わない。

「……ばか」

想像通りの言葉は思ったよりも痛くない。いや、痛くないふりをしているだけなのか。

だが、顔を上げたイスフィは意外にも泣き出しそうな表情をしていた。

「そんなの、アナンは何にも悪くないでしょ! あたしは絶対あなたを責めたりなんかしないから! だから……」

彼女の温かい手がアナンの固い指を包む。水のように澄んだ桃色の瞳と目が合った。

「辛いことはあたし達にもわけて、ね?」

それは心まで包んで溶かしていくような柔らかい感触。春の訪れのような視線を交わす。自分が情けなくて、それでも嬉しくて、アナンはその場に崩れ落ちて泣き笑いたいような気がした。

「……ありがとう」

「いいの。……さ、この話は終わり!」

ぱっと微笑んで手を離し、彼女はラーシュに向き直った。

「……そういうわけだから、あたし達、あなたに協力するわ」

「え、本当に?」

ラーシュは大きな瞳を見開いた。あまりにも唐突な申し出に、むしろ彼の方が面食らってしまったようだ。

「当たり前よ。そのクルーヴァディアっていうのがあたし達にも関係があって、あなたも何か知っているんでしょ? アナンを狙う不届き者を放っておけるわけないじゃない」

彼女の言葉にユリアも続く。

「イスフィさんの言う通りです。……私だって、孤児院の皆の無念を晴らしたいのです」

そんな二人の様子にアナンとキケは顔を見合わせて小さく笑った。

「こういうところは敵わないな、俺達」

「まったくな。頼もしいよ」

話を聞いていたラーシュの表情も態度も柔らかくなっていく。

「えっと……本当にいいのかい? 元はと言えば僕から言い出したことなんだけど……」

「ああ、協力しよう。俺の言葉に嘘はない」

「……ありがとう、本当に……」

やっと彼は年相応の子供らしい笑顔を見せた。立場と緊張の仮面を被った彼は随分大人らしく見えたが、その様子からはむしろアナン達より年下のように思える。

「それでそのクルーヴァディアっていうのは……?」

「さあ? 僕が知っているのは、クルーヴァディアは遠い昔に滅びた国だってことだけだよ」

先程の健気な様子はどこへ行ったのやら、彼はあっけらかんと言い放った。

「え? 何か知っているんじゃなかったのか……?」

「僕はそんなこと言っていないよ。ただ知っているかどうか君達に聞いただけじゃないか」

そう言われてみれば、彼はクルーヴァディアについて知っているなんて一言も言っていなかった。

(それはそうだけども……)

ずるいというべきか、一枚上手というべきか。将来王になる者にとって、したたかな外交術が重要だということはわかっているのだけれど。

「聞いてないわよ、そんなの! そんなこと言うならあたし達……」

あなたに協力なんてしない、と言われたら困るのはラーシュだ。彼は慌てて話を遮った。

「まあまあ、そう言わないで。確かに僕は詳しく知らないけれど、クルーヴァディアの名前を教えてくれた者を知っているから。彼ならきっとわかるはずだよ」

「はあ……その人はどこにいるんだ?」

「うーん……僕、ある人を探しているって言っただろう? その彼というのが教えてくれた人なんだ」

そういえば彼は起きた時にそんなことを言っていたような記憶がある。アナンの頭の中でやっと二つの話が繋がった。

「じゃあその人を探せばいいのね。でも、どうやって?」

「とりあえずここから離れた方がいいのではないでしょうか……またあの人達が戻ってきたらと思うと……」

ユリアが恐る恐るといった様子で声を上げる。先程のことを考えれば怯えているのも無理はない。

「それもそうだ。まずは……町を目指すか。デストジュレームからの亡命者がいるかもしれない」

「そうしようか。……そうだ、できれば石の多い所を通ってくれないかな」

ラーシュの不可解な要求にキケは眉を顰める。

「石? まあ俺は採掘工だからそこら辺の勝手はわかるが……」

「すまないね。……でも、言いつけは守らなければ」

あどけない子供が何かを隠す時のように微笑んで、それきり彼は口を閉ざした。何もかもを包む燃えるような夕陽が五人を照らしていた。

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