6章 Obscure(1)


「……なあ、やっぱり俺、黙っておくのは……」

「……今はやめたほうがいいんじゃないか。イスフィもユリアもまだ混乱しているはずなんだ、だから……」

翌朝顔を合わせたアナンとキケは開口一番にあの話をしていた。

『昨晩の火事は仕組まれたもの、そして仕組んだ者の目的は、……アナン=アイオンの殺害です』

何度も頭を過るあの言葉。

少なからず自分に原因があるのなら謝らなければというのがアナンの持論だった。それでもアナンに非はないというキケの考えも頭では理解できているのだけれど。

(俺が……)

議論はずっと堂々巡りのまま、気付けば沈黙が続いていた。

彼女が部屋の戸を開けるまでは。

「アナン、キケ! もうすぐ朝ごはんよ、いらっしゃい」

「え、……イスフィ? 身体はもういいのか」

昨日のぐったりした様子はどこへ行ったのやら、いつも通りの少々騒がしい彼女がそこにいた。

「あたしは平気。ユリアちゃんのおかげよ」

ぽかんとしている二人を横目に、彼女はテキパキと指示を出していく。

「そういうわけだから、キケには戸棚の大皿出してほしいの。アナンは庭からベリーを摘んできて」

「え? あ、ああ……任せろ」

言うが早いかキケは部屋を飛び出していった。奥からはユリアの声が聞こえる。

「アナン」

「あ、悪い。すぐやるから……」

イスフィは小さく首を振って、慌てて立ち上がった彼の服の裾を握った。

「違うの。……昨日は運んでくれてありがとね」

面と向かって礼を言われるのはなんだか慣れない。帰り道にぽろりと呟いたり、小さくなる背中に向かって言ってみたり、二人の間にある「ありがとう」はいつもそんな風だった。

「……運命が生かしてくれた命なら、あたしは生きる。理由なんてなくていいってあなたは言ったけど、あたしはその言葉のために生きたいから」

心から笑う誰かを久しぶりに見た。アナンにとってイスフィが貴くて脆い当たり前なら、イスフィにとってのアナンもまた、柔らかく儚い当たり前なのだ。ならばそんな当たり前のために生きたっていいじゃないか。

「あたし頑張るから……だから、アナンも頑張ってベリー取っていらっしゃい!」

突然彼女はいつもの調子に戻ってアナンの背中をぽんと押した。

「はいはい」

思わず不器用で純粋な笑みがこぼれる。戻ってきた、とはとても言えないけれど。どこにいたって掴むことのできる小さな当たり前がここにあるから。

(きっと大丈夫だ)

軽い足取りで部屋を出る。

「黒いのじゃなきゃ取っちゃだめだからね、赤いのはそのままにしてよ。わかってる?」

「わかってるよ」

奥から聞こえる彼女の声に答えて、重い木の戸を手で押す。

(ん?)

だが彼は忘れていた。

束の間の日常は一瞬で吹き消されてしまうこと。この数日で散々身に刻まれたそれを彼女の笑顔で上書きしてしまったのだ。

再び思い出したのはその戸が異常に重かったから。

無理矢理戸を開けて、外を覗く。眼球に朝の冷たい風が触れる。

「え……」

やっと視界が開けた。息を飲むその音が嫌に重い。

空色。

戸の焦げ茶、大地の土色、木々のくすんだ緑の中で浮かび上がるように。

世界から拒絶されたように。

空色の髪の少年が戸に寄りかかって倒れていた。

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