1章 White(2)
(そろそろ日が落ちる頃だな。今日は引き上げるか)
いつの間にか空はだいぶ赤らんでいた。肩に背負った籠の紐をもう一度結び直す。
占いは多少効果があったのか、家を出る時に思ったよりは収獲のある一日だった。小型のものばかりだが、悪いと言うほどでもない。尤も白色の魔物は見当たらなかったが。
(……一応イスフィに礼は言っておくか)
獣道は考え事には向いていない。たいていの場合木の根やらに足を取られかけて諦めるのが常である。だが、今日彼の思考を奪っていったのは思いもよらないものだった。
ばさり。
何かがアナンの視界に影を落とす。
いつもの癖で思わず矢筒に手をかけ、見上げた空にいたのは。
「竜……?」
風を切る大きな白い翼。頭も腹も足も、見る限り全て雪のように白い竜がそこを飛んでいる。
口を閉じることも忘れ、アナンは来た道を引き返してその竜を追い始めていた。
竜を見たのなんて初めてだった。とはいえ竜は人に姿を変えることが出来るそうだから、本当はどこかで見ていたのかもしれないけれど。とにかく、その大きな白竜に彼の狩猟本能とでも言うべき感覚は完全に魅了されていた。
(追いたい)
それでもどういうわけかその竜を射ることは躊躇われる。相手が魔物ではないからなのか、あるいは暗い空に浮かぶ白の輪郭があまりに神秘的だからなのか、とにかくそんな感情に苛まれるのは初めてのことだ。
不意に竜は軽やかに空中を一回転し、頭をアナンの方へもたげた。
目。
血のように赤い目がアナンを見つめる。
先程の興奮が嘘のように、彼の背筋には寒気が走った。
(なんだ、これ……)
彼の皮膚の下に蠢く醜い闘争心を見透かすように。
この竜を射ようと思ってはいけない。
直感的に彼は感じていた。
永遠に思えるような時間が過ぎて、竜はアナンに興味を失くしたようにまた頭を上げて飛び去っていった。それと同時に彼の足の凍りつくような感覚もやっと溶け出していく。
いつの間にか竜はすっかりどこかへ行ってしまって、残るのは真上の暗い夜空。
(……しまった)
気付かないうちに随分辺りは暗くなっていた。なにせかなりの荷物を抱えていて身動きが取りにくいのだ、夜森にいるのは危険である。転ばないように、それでもできる限り急いで。木の根に気を配りながら、アナンは家路を急いだ。
そう、木の根に気を配りながら。
(……おかしい)
普段なら明かりがなければ目と鼻の先すら見えないような暗闇のはずなのに、今晩はどういうわけか少し先の木の根も足元の小石もはっきりと見えるのだ。そして聞き慣れない乾いた音も。
恐る恐る顔を上げる。木々の間から覗く空の色。
赤。血のように赤い空。
夕焼けよりも遥かに赤く、夕闇よりも遥かに熱く。
遠い昔、こんな赤を見た気がする。そんなことあるはずがないのに。
この色は。
「炎だ……」
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