第6章 古文書

 廃墟から逃げ出した玲たちが、吉野の運転する軽ワゴンに乗って岩本寺へ帰ったのは午後3時ごろであった。

 本堂で待ち構えており玲たちを出迎えた日下はその様子に目を剥いた。

「大丈夫ですか! そんなに傷だらけになって……」

 玲は日下のそんな驚いた様子にも関わらず、調子を変えずにいつも通りに答える。

「まぁほとんど擦り傷程度ですよ。傷薬でも塗っておけば治ります」

 真輝はほとんど泣きべそでもかくように弱音を吐く。

「玲ちゃーん………。玲ちゃんは平気でも私は痛いよー。あんなスタントマンみたいなことやる予定じゃなかったよ……」

 日下はそんな玲と真輝の様子をみて呆れたようにいう。

「とにかく、ここに来てください。傷の消毒をしましょう」

 本堂の待合室から救急箱を持ってきた日下は、二人の傷の治療をした。

「全く……年頃の若い女の子がこんな無茶をするもんじゃないですよ。それで、何か見つかりましたか?」

 玲は今日あった出来事を簡潔に説明した。それを聞いた日下は少し考え込むような仕草を見せる。

「喋る犬ですか……」

「はい、怨霊が犬の形を取っていた可能性が高いと思います」

「そんなことができるのは四国にある伝承の中でも、恐らくは狗神くらいでしょう」

「でしょうね」

 玲は納得したかのように話を先に進めようとする。そこに真輝が口を挟んだ。

「待ってよ待ってよ! 玲ちゃん! 狗神ってなんなの? 私は分からないよ!?」

 玲は今までになく眉根を寄せて、忌々しいものでも吐き出すような口振りで話し始めた。

「禁術中の禁術。今では全く伝承もされなくなった忌々しい呪術ですよ。飢えた犬を数匹集めて殺しあわせて、生き残った一匹に魚を与えて食べる前に首を切り落とす。そしてその首を四つ辻の中央に埋めて、さらに怨念を凝縮する。そうして生み出された怨霊を守護霊として祀ることで、家を栄えさせようとする邪法です」

「ひっ……! そんな怖い話だったの!?」

「狗神を祀る家は富貴が訪れるとされています。しかし、狗神持ちの一族というのは末代に祟るのです。狗神は、それまで富み栄えさせて来た分を最後は奪い返しに来るのですよ。狗神持ちの末代は全ての財産を失い、住むところも食べるものも全部無くし、万病でズタボロになりながら狗神になった犬と同じように飢えて死ぬとされています」

「ひえぇ……!」

 真輝はすっかり怖じ気づいたようで声にならない悲鳴を上げた。

「さて、問題はこの狗神持ちの少年がなんで四国の弘法大師の封印を破ろうとしているのかということなんですよ。あの石動夕夜という少年も術者として高い能力を持っていたようですが、目的までははっきりしません」

 その時、日下はふと気がついたように呟いた。

「石動夕夜……、いするぎ……、その名前を寺に残る古い文献で読んだことがあるかもしれません」

「本当ですか?」

「えぇ、ちょっと待っていてください。すぐに持ってきます!」

 日下は急いで書庫へと向かっていった。

 玲たちはしばらくそこで待つことになった。

 しばらくして戻ってきた日下の手には、古びた書物が握られていた。

「これです、これが石動村の伝承に関する書物です」

 日下はそう言って、その古ぼけた表紙の本を玲に差し出した。

 玲はそれを受け取ってパラリとページを開いた。真輝も横からそれを覗き込んでいる。そこには墨で書かれた文字や絵が所狭しと並んでいて、とても読みづらかった。

 玲はその文章を読もうと試みた。

「……読めませんね。なんて書いてあるんですか日下さん?」

 日下は答える。

「石動村という隠れ里になってしまった場所の史書です。この付近にかつて石動村という栄えてる村落があったのですが、ある時、天変地異でその姿が幻のように消えてしまったと言います」

 玲は頷いて話を促す。

「それで?」

「石動村には独自の俗信、というか迷信のようなものがありましてね。その村の出身者は必ずと言っていいほど短命で、しかも病気にかかりやすい体質だという言い伝えがあるのです。そのため石動村は、ありとあらゆる呪術や呪いの類を集めて独自の信仰を作っていました。そのため石動村は栄えていても、その村から来るものは差別されていたと言います」

「つまり、狗神持ちの一族だったということですね」

 日下は玲の言葉に静かにうなずいた。

「その通りです。石動村には狗神使いがたくさん存在していたらしいです。ですが、ある時、プッツリと石動村からの伝達が途絶えてしまって、不審に思った他の村のものが石動村のある場所に行っても最初から何もないような荒れ果てた山地しか残ってなかったということです。今ではこの文書の中にしか石動村の存在は残されてません」

 玲は黙ってその古文書を読んでいる。真輝はその様子を不思議に思って訊ねる。

「ねぇ玲ちゃん、どうしたの? 何か分かったの?」

「……いえ、まだ何とも言えません。とりあえずはこの本を借りていきましょう」

 玲はそう言うと、本を閉じて懐にしまった。

 日下が玲に言った。

「まぁ、また困ったことがあったら来てください。私もできる限り協力しますから」

 玲は礼を言うと、真輝を連れて本堂を出た。



 その夜、玲と真輝は夕食を終えて宿坊の和室でくつろいでいた。

「なんか今日は疲れちゃったよ~……」

 真輝はそう言いながら畳の上に寝転がっている。玲は机に向かい日下から借りた古文書を読み耽っていた。

「明日は何をするの?」

 ゴロゴロしながら真輝が訊いてきた。

「石動村に行ってあの子の情報を集めます」

「えっ!? どうやって!?」

 真輝は思わず驚いて飛び起きた。

 玲は読んでいる古文書を指差した。

「この古文書、呪術で隠されている文章があります。一般人には読めないですけど、私のように視える人間には分かるように暗号が隠されてます」

 真輝は目をまんまるくして尋ねる。

「な、何が書いてあるの?」

「石動村への行き方です。どうやら石動村は狗神の因果によって常世の世界へ落ちてしまったらしく、一定の手順を辿って境界を越えないとと行くことができない場所になってるようです」

「じゃあ今すぐ行こうよ玲ちゃん!」

 真輝は興奮気味に身を乗り出して言った。玲はそれにめんどくさそうに応じる。

「今は夜じゃないですか。それに常世の国に生きた人間が入るというのはとても危険な行為なんですよ。禁忌を犯すと現世に戻ってこれなくなります」

 真輝はごくりと唾を飲む。

「き……禁忌って?」

「細かいものもたくさんありますが、例えば黄泉竈食よもつへぐいの禁があります。常世の世界の食べ物を生きた人間が口にしてしまうと、その者は常世の世界の住人になって二度と現世には戻れません」

「ひぇ……!」

 そこまでいうと玲は難しそうな顔をした。

「お姉ちゃんの場合、もう死んでしまってるのですが……、大丈夫でしょうか? お姉ちゃんのお守りを見せてもらっても良いですか?」

「これ?」

 真輝は自分の首から下げていた小さな袋を外し、玲に手渡した。玲はそれを受け取ると中身を確認した。中には水晶で作られた勾玉が入っている。

 玲はその勾玉を握りしめると握り拳を眉間につけてしばらく目を瞑っていた。

「何か分かるの? 玲ちゃん?」

 やがて、玲はゆっくりと目を開けた。

「……おばあちゃんも面倒なことをするもんですね。私たちがなんでもありの霊導士だと言ってもこれはまともな方法じゃないじゃないですか……」

「どうしたの玲ちゃん?」

「……独り言ですよ。おそらく石動村の常世の住人にもお姉ちゃんが死んでいることは気が付かれないと思います。向こうによっぽど呪力や霊力が強くて、勘が鋭い術者でもいない限りお姉ちゃんのことは生きた人間にしか見えないはずです」

「そうなの?」

 真輝は不思議そうに玲の顔を見つめてる。

 玲はふと気がついたように真輝の腕を指差した。

「それ、昼間にできた傷ですよね。ちょっと出してみてください」

「なんなの?」

 玲は真輝の腕にできた傷をじっと見た。そして、傷口に被せるように手を当てて、しばらくして離した。すると真輝の肌にあったはずの擦り傷が無くなっていたのだ。

「え!? 玲ちゃん! 何をしたの!?」

 玲はちょっと考えるようにして答える。

「お姉ちゃんの魂は、今、私の魂と完全にリンクした状態で存在してます。お姉ちゃんの肉体というのは私の記憶の中のイメージと連動しています」

「え? え?」

 真輝は混乱している。

「つまり、私がイメージする限り、その体は実体を持つことができるということなんです」

「ええええー!!」

 真輝は驚きの声をあげた。

「そ……、それって何か副作用があったりするのかな?」

 玲は首を横に振った。

「いえ、特に何もありません。私がお姉ちゃんをイメージすることができる限り、貴方は消えません」

 玲の言葉を聞いて真輝はほっと胸を撫で下ろした。

「さて、もう寝ましょうか。明日も早いです」

 玲は立ち上がり、さっきからつきっぱなしだったTVを消した。

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