第5章 石動夕夜

「着きました、ここです」

 吉野の運転する軽ワゴンに乗って、二人は例の道祖神が破壊されたという場所を訪れた。そこは山間の道で、近くに民家も無ければ人気も無い。

「ここですか……」

 玲は辺りの風景を眺めて呟いた。あたりは殆ど森に覆われていて、蝉の鳴く声が大音量で響いていた。

「はい。そしてその破壊された道祖神はこちらです」

 吉野が指差した先に、それはあった。

 そこに鎮座していたのは夫婦を模した石像であった。大きさは一メートルくらいだろうか。表面は苔で覆われており、長い年月を経たものだというのが一目で分かった。その石像は摩耗しているが、確かに人の顔が細かく彫塑されたものであると分かる。そして、その石像は真ん中から真っ二つに割れていた。

「確かにこれは呪詛によるものですね」

 玲は夫婦の石像を観察しながら言う。

「えっ? どうしてわかるの玲ちゃん」

 真輝は不思議そうに尋ねる。

「見て下さい、自然に割れたように綺麗すぎる断面です。物理的な力が働いたものでは考えられません」

「確かにそうだね。それに、なんか変な感じもするし……」

「お姉ちゃんにも分かりますか。この辺り周辺に呪詛による残穢が大量に残されています」

「そうなんだ……。それで、これからどうしよう?」

「残穢の気配を追っていきましょうか。気配はこの山道を奥の方へ進んでいます」

 玲はそう言って歩き出すと、真輝もそのあとについていく。

「ちょっと……玲ちゃん。本当にここいくの?」

 玲は山道の脇の、人が歩いた形跡もないような獣道に向かって行こうとしている。

「はい。行きますよ」

 玲は振り返らずに答えると、そのままずんずんと進んでいく。

「玲ちゃん、ちょっと待って、置いていかないで!」

 真輝は慌てて後を追う。


 それから15分ほども二人は道のない道を登り続けた。すると突然、目の前が開けて小さな広場に出た。そこには廃屋と広場があり、古いペンションが放置された場所であるようだった。

 真輝は息を切らしながら玲に声をかける。

「玲ちゃん、疲れた……。少し休もう?」

 玲はそんな真輝の弱音には耳もかさずに廃屋を睨みつけていた。

「お姉ちゃん……分かりますか、これ?」

 真輝はそんな玲の様子を不審に思いながらも視線の先を見た。そこには確かにおどろおどろしい様な、禍々しい気配を真輝も感じた。

「何か……いるね」

 真輝の言葉に、玲はうなずく。

「どうするの玲ちゃん! やっぱり戻って吉野さんに頼んで人を呼んだ方が……」

 玲はその言葉に無表情で答える。

「いえ、これは私たちだけで解決します。ここまで来たのですから。とりあえず中に入りましょう」

 真輝は何も言わずに玲の後を追った。

 二人が玄関前まで行くと、玲はドアノブに手をかける。

「鍵がかかってますか……」

 玲がそう言った時、真輝が口を開く。

「玲ちゃん、私に任せて」

「お姉ちゃん?」

 玲が不思議に思っている間に真輝は鍵が掛かったドアに手を翳した。

「えい!!」

 不可視の力が真輝の掌から放たれると、轟音を立ててドアが吹き飛んだ。

 玲は真輝のその行いを驚いた様に見ている。

「貴方、その力をまだ使うことができたんですか」

「あの時と比べると全然力は弱いんだけどねー」

 玲は真輝のその力を見たことがある。玲と真輝が出会った日に、真輝は地縛霊としての怨念で、殺した相手を念力で殺そうとした。今、真輝が発揮した力はその時のスケールと比べると小さなものであるが、念動力をまだ使える様である。

「まぁいいです、中に入りましょうか」

 玲がそう言うと、二人は建物の中に入っていく。

 建物の中に入ると、そこは埃っぽく薄暗い空間であった。長い間、人の手が入っていない事がすぐに分かった。二人は慎重に歩を進める。

「誰もいないみたいだね」

「うん」

 建物の中には特に変わったものはなく、ただ朽ち果てた家具や食器類が転がっていただけであった。そして、その奥の方に階段を見つけた。

「二階があるのかな」

真輝が呟くように言いながら、その階段を上っていく。玲もそれに続き、二人は二階へと上がっていった。

 二人は一つの扉の前で立ち止まった。

「……居ますね」

「居るねぇ……」

 その扉の奥からは、建物の外から感じたのと同質な禍々しい気配を感じ取ることができた。

「ここも私がやるよ。玲ちゃんは下がってて!」

 玲が傍に寄ると、真輝は手を扉に翳した。しかし、真輝が扉を吹き飛ばすより先に向こうから何かが飛び出してきた。

「え!!」

 それは巨大な犬であった。しかしその体は全身真っ黒であり、瞳だけが爛々と紅く輝いている。そして、その口からは鋭い牙が伸びていた。

「危ない!!」

 玲は咄嵯に真輝を突き飛ばした。真輝は突き飛ばされ、床に転がる。

「痛っ……玲ちゃん!?」

 真輝は玲の姿を確認すると、自分の代わりに黒い犬に襲われているのを見た。

「玲ちゃん!!?」

 真輝は急いで起き上がると、そのまま玲の方へ駆け寄ろうとする。

 玲は首元へ食いつこうとしている狂犬の口元を押さえ、なんとか押し返そうとしていた。

「お姉ちゃん!!」

 真輝はその犬へ掌を向けて衝撃波を放つ。すると、犬は壁まで吹き飛び、叩きつけられた。

「玲ちゃん大丈夫!!?」

「私は平気です。それよりもあれ、生きてますよ」

 玲の言葉通り、壁に激突したはずの犬はゆっくりと立ち上がり、再び襲い掛かろうとしている。

 玲と真輝は再び身構えて、狂犬の襲撃に備えている。すると突然、扉の向こうの部屋から声が掛けられた。

「おい。待て」

 振り返り部屋の中を見ると、そこには一人の少年がたたずんでいた。逆光の中で立ち尽くしている少年の出立ちは異様であった。雪のように真っ白な髪に狂気をたたえた真っ赤な瞳。顔は能面のように無表情で感情は窺えない。狂犬は少年言うことを聞いているようで、その場に座って待機をしている。

「お前ら……何しに来た?」

 真輝は玲に小声で耳打ちした。

「玲ちゃん。日下さんたちが言ってた白い子供って……」

「恐らく彼でしょう」

 二人は少年を警戒しつつ、会話を続ける。

「貴方は何者ですか? ここは私有地で立ち入り禁止ですよ」

 玲がそう言うと、少年は無表情のまま答える。

「俺のねぐらに勝手に不法侵入してきたやつに言われたくないな」

 背後で狂犬が唸りを上げる。玲は背後を気にしつつも少年に話しかける。

「貴方は、何者ですか?」

「人に名乗りを聞く前に、まずは自分達から名乗ったらどうだ?」

 少年はそう言い放ったが、玲と真輝は何も言わず少年を睨み付けたまま対峙していた。

 じれた様に少年は口を開いた。

「俺の名前は石動夕夜いするぎゆうやだ」

 少年はそう言った後、真輝たちを見据えて言葉を続けた。

「それでお前らは誰なんだ」

 玲は少し考えるそぶりを見せると口を開いた。

「私は根神玲と言います。こちらが姉の根神真輝です。貴方は道祖神を破壊して四国の地の転覆を図ってるのですよね? 私たちはその解決に来ました」

 玲の話を聞いた夕夜の顔がギラギラと狂気じみた笑みに包まれる。夕夜は顔を押さえながら話す。

「餌を撒いていたらちゃんと食いついてきたか! じゃあお前らを殺したらもっと強い、もっと俺を楽しませてくれる奴が出てくるんだな!?」

 玲と真輝がそんな夕夜の様子に気圧された様に立ち尽くしていると、背後から声が聞こえた。

「夕夜、獲物を前にして舌舐めずりというのは感心しないな。この女どももよく分からない力を使うぞ」

 二人が慌てて振り返ると、黒い狂犬が人間の言葉を話していた。

「黙ってろよ、ギン。俺はこの時をずっと楽しみにしてたんだ。邪魔すんな」

 その光景を見て、真輝が驚きの声を上げた。

「犬が喋った!?」

 玲はそんな様子をつまらなそうに見ながら話す。

「……どうやらあの犬も貴方と同じように霊的な存在が具象化した存在の様ですね。それをあの少年が呪力でコントロールしています」

「えぇ!! 私、全然分かんないよ!!」

 玲は真輝に説明する。

「簡単に言えば、あれは実体を持った怨念のようなものです。そして、なんの術式を使ったのかは分からないですが犬の姿で表れてるようです」

「玲ちゃんが何を言ってるのかさっぱり分からないよ……」

 真輝は頭を抱えて混乱していた。

「話は済んだか?」

 夕夜は余裕の表情で二人を見つめてる。ギンと呼ばれた黒い犬は唸りながら低く身構えていた。

「状況が悪いですね。こんな狭い通路では逃げ道もないし道具もありません」

 玲は小さく舌打ちする。ギンはジリジリと二人に距離を詰めて来ていた。一方、真輝は廊下の奥にある割れたガラスがはまった窓を見ていた。

「玲ちゃん……向こうの窓から逃げ出せるかもしれない」

「ここは2階ですよ。どうするつもりですか?」

「いいから私について来て!!」

 真輝は玲の手を掴むと、そのまま走り出した。

「ギン!」

 夕夜が指示を出すと、ギンは勢いよく飛び出して玲たちに襲い掛かる。二人はそれを辛くも避けた。

 二人は腕で頭を守って、二階の窓を突き破って外へ飛び出した。

 当然のごとく重力に引かれて二人は落下してゆく、あたりにはガラスの破片がキラキラと舞っておりスローモーションに見えた。真輝は玲の体を抱きかかえて激突寸前の地面を見た。

「私の力を使えば!!」

 真輝は不可視の力を使って落下の衝撃を和らげた。二人はゆっくりと地面に着地する。

「お姉ちゃん、無理をしすぎです!」

「あー、死ぬかと思ったよ!! ぶっつけ本番でうまくいくとは思わなかった!」

 真輝は冷や汗をかきながらも笑って見せた。玲は今飛び出してきた2階の窓を見上げた。

 夕夜が二人を見下ろしている。逃げ出されたというのに悔しがるでもなく、どこか楽しそうに笑っている。

 玲は真輝の手を引いて走り始めた。

「逃げましょう。今の私たちではかなう相手ではありません。情報を集めて立て直しましょう!」

 二人は後ろも見ずに廃屋のある場所から逃げ去った。

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