第8話 わんぱく猫と襲撃の時

 翌日、ロイ、ドニー、ウニの三匹は襲撃を開始するためにこもれび公園へと向かった。対象となるのは、こもれび公園から最初に散歩に出かける猫だ。テツとハスが対象だった。


「じゃあ、俺はちょっと散歩に行ってくるな」

「あぁ、わかった。気をつけろよ」


 この日は先にテツが散歩に出かけた。ハスは心配げにその後ろ姿を見送っていた。


 茂みの影にはロイたち三匹が身を潜めていた。すぐに忍足で、テツの後ろ姿を追い始めた。だが、この時、ハスとチルは、テツが尾行されていることに気づいていた。ハスはロイたちの姿が見えなくなると、ハスは言った。


「おい、俺は先回りしているからな。チルはこの公園で待っていろ」


 ハスは急足で、テツの散歩コースを先回りした。


 しばらく時間が経ったところで、テツは正面を向いたまま散歩を続けていた。住宅街の曲がり角に来たところで、尾行していたロイたちは視線を合わせた。襲撃の時だ。


 今回もドニーが先行して全力で走り始めた。ロイとウニも遅れまいと必死にかけていく。曲がり角を曲がると、テツの後ろ姿が見えた。全力で走り始めたところだった。


『くそっ! 気づかれたか!』


 ドニーは心の中で悪態をつきつつも、全力疾走でテツの追跡を続けた。その背後に、ロイ、ウニがついてきている。


 その時、先回りしていたハスが、全力で猫たちが駆け抜ける音を聞いて立ち上がった。すると、テツ、ドニー、ロイが目の前を疾走していく。影に隠れていたハスは気づかれていない。


『今だ!』


 最後尾のウニが目の前に現れた瞬間、ハスは横からウニを襲撃した。


『しまった! 罠か!』


 突然現れたハスに驚いたウニだったが、反応が遅れて、ハスに噛みつかれてしまった。二匹はもつれ合いながら、うめき声を撒き散らして暴れ回った。だが、ハスの牙は離れそうにない。


 一方のロイたちは必死に追いかけていたせいか、気づかずに消えて行った。


 ハスとウニの戦いが始まった。


「離せ! クソッタレが!」


 ウニは大声でハスを怒鳴りつけるが、効果はない。ハスからの先制攻撃をまともに喰らってしまって、ガッチリとお腹に噛みつかれている。ウニは必死に体を動かして抵抗を続けたが、ハスも一生懸命に噛み付いているせいか、一向に離れそうにない。


『卑怯だが、仕方ねぇ!』


 ウニは禁じ手でもある、キンタマ蹴りをかました。すると、驚いたハスが咄嗟に顎を離してしまった。だが、キンタマ蹴りは、当たらなかったようだ。どうやらハスは驚いて顎を離しただけだった。


 ウニは素早く立ち上がり、体勢を整える。周囲を見て確認するが、どうやら敵はハスだけのようだ。


「うぅぅぅぅ!」


 すると、二匹は正面から向かい合った状態で、睨み合いながら唸り声を上げ始めた。甲高い声を上げて、声でお互いを威嚇している。


 この時、ウニは完全にカウンターを狙っていた。ウニはカウンターが得意だったため、今回も敵をカウンターへ誘い込もうとしている。そのため、自分からは攻め込まなかった。


 ハスはいつ攻めるべきなのかを見定めていたが、ウニの構えは一流の猫ファイターのように見えた。おそらく、弱い猫ではないのだろう。ハスは改めて覚悟を決めた。


 ウニは猫ファイターとしての適性はバランス型だったものの、どちらかと言うとカウンターが得意な猫だった。相手の攻撃を誘発させて、下から噛み付くのがいつもの流れた。特に上から襲いかかってくる相手には効果が高い戦略だ。


 一方のハスは先制攻撃型の猫ファイターだった。かつて、テツやチルとともにトレーニングに明け暮れた頃からの習慣だ。テチハは三匹ともひたすら先制攻撃を極めようとしており、お互いの技を競いあっていた。その結果、実はウニは相性の悪い相手と言えた。


 待てなくなったハスが少しだけ上体を浮かせて上から襲い掛かった。ウニからすると好都合の攻撃だ。ウニは条件反射だけで、ハスの状態に下からお腹に噛み付いた。


 やられたことに気づいたハスは、お腹を噛みつかれたまま、必死に体を揺らして、顎が離れるようにもがき始めた。しかし、一向にウニが離れそうにない。


 ハスは必死にもがいて離そうと試みた。ウニの牙にはハスの毛が挟まっており、ゆっくりと顎が離れてしまった。完全に離れたところで、ウニは素早くハスと距離を取った。


 完全に二匹の息は上がっているものの、一度始まった戦いは、この程度では終わりそうにない。


 しばらくの間、束の間の休憩を挟んだのち、再びウニとハスの睨み合いが始まった。


 すぐに唸り声を二匹が上げ始めた。


 同じ手は有効ではないだろうと、ウニは頭の中で考え始める。それに、ウニは自分の方が強いと手応えを感じ始めていた。


 ウニはギョウザ長老の元でトレーニングに明け暮れたため、得意技をいくつも持っていた。一つは先ほど見せたカウンターだった。


 ウニは冷静にもう一つの技を仕掛ける決心をした。


 ウニは素早く前足を前に出した。その瞬間、ハスは上体を浮かせて食らいつこうとする。しかし、ウニの前足はフェイントだった。すぐにウニは上体をそらせてハスの攻撃をかわしつつ、ハスの上体へと食らいついた。


 再び、ウニが攻撃を成功させた。


『くそっ! やられた! こいつ強いじゃねぇか!』


 実はハスは、ウニをドニーのおまけ程度にしか見ていなかった。何度かひざかり公園を偵察した時も、ウニはアホな会話をしているお調子者程度にしか見ていなかったためだ。しかし、それが普段から周囲に脅威を与えないための演技だったのかもしれないと考えを改めつつあった。


 ハスはそんな考えを巡らせながらも、体をねじらせて、ウニの顎を離そうとした。しかし、今回もガッチリと噛みつかれており、離れそうにない。


 ハスは次第に負けがチラついているのか、鳴き声が悲痛なものに変わり始めていた。


 しばらくの間、ウニは必死に噛み付いたままの状態を維持していたが、顎が疲れてきて、牙を離してしまった。


 必死に抵抗を続けたハスと、攻撃を続けたウニの息は完全に上がっていた。


 再び二匹は睨み合いを続けたまま、休憩を取った。


 呼吸がおさまると、再び鳴き声での牽制が始まった。ハスは負ける気はなかった。意気込みを回復させるために、必死で鳴き声で威嚇する。一方のウニは落ち着いており、鳴き声を普通に返す程度だった。


 ハスの頭の中では、ウニの次の攻撃がなんなのかを必死に考えていた。一度目はカウンター、二度目はフェイントだった。次は……なんだろうか? ハスは再び、フェイントを仕掛けてくるだろうと頭の中で計算した。


 すぐにウニの攻撃が始まった。ウニの頭の中では、このままの勢いで徹底的に叩き潰すべきだと考えていた。


 ウニの前足が動いた瞬間、ハスは上体を動かしてフェイントを無視した体勢を取った。しかし、ウニはそのままの動きで襲い掛かってきた。それも、ハスの首めがけて。


 ウニが選んだ攻撃は単純な先制攻撃だった。ハスの予想が再び外れて、ウニが首元に食らいついた。猫の世界では、首元に食らいつかれたら、基本的には負けに近い。そもそもまともにもがくこともできなくなるからだ。


 しばらくの間、ハスは懸命にもがきつづけたが、噛みつかれた場所が噛みつかれた場所だけにウニの牙は外れそうにない。


「わかった! 降参だ! 降参だ!」


 ハスの嘆きもウニの頭にはなかなか届かなかった。戦いで完全にハイになっていたのかもしれない。


「やめてくれ! 俺はもう、お前を攻撃しない!」


 必死の鳴き声がウニの耳に届いた。すると、ウニは顎を外して聞いた。


「本当に攻撃をしないんだな?」

「ああ! 俺はお前を攻撃しない!」


 その言葉にウニは少しだけ考え込んだ。


「……いや、それではダメだ。お前はひざかり公園の猫を攻撃するのをやめろ」


 ウニの言葉にハスは焦った様子で言い返した。


「ちょっと待てよ! 俺はお前に負けたんだ。なら、お前には攻撃しない。でも、負けてもいない奴らに従うようなことはできない!」


「……そうか、それは残念だ」


 再びウニの牙がハスの首元に食らいついた。痛みからハスが鳴き声にも似た声で声を上げ始めた。


「うわああぁぁ! もう止めろ! わかった! わかったから! 俺はひざかり公園の猫には攻撃しない! 攻撃を止める! だから、もう噛み付くな!」


 ハスの鳴き声をウニは聞き入れて噛み付くのをやめた。


「いいか? 猫の契約を破ったら、ひざかり公園の猫全員で報復を行う。長老会と猫猫ネットワークにも報告するからな。よく覚えておけよ」


 ウニはそう言い放つと、ロイとドニーの向かった先を追い始めた。幸いにもまだ少しだけ匂いが残っているようで、追いつくこともできるかもしれない。




 時間は少しだけ前に戻る。ウニとハスが戦っていた頃、テツ、ロイ、ドニーは全力で疾走を続けていた。


『くそっ! 追いつけないな!』


 ドニーは悪態をつきながらも必死に追跡を続けたが、距離が縮まるようなことはなかった。住宅を全力で走り抜けているためか、交通事故にでもあわないか不安だったが、幸いにも車が現れるようなことはなかった。


 そんな状況でも、ドニーは時折、テツが後方を確認して追われているのかをしっかりと見ていたことにも気づいていた。


『この方向は、こもれび公園に戻っているのか!』


 チルは猫の契約からひざかり公園の猫を襲撃できなかったから、攻撃に加わることはないだろう。


『いい根性してるな! このまま襲撃してやるよ!』


 ドニーは腹を決めて追跡を続けることにした。しかし、テツがこもれび公園に戻るルートではなく他の道へとかけていく。予想外の行動だ。ロイとドニーはテツの行動に戸惑いながらも追跡を続けた。


 三匹が完全に息が上がり始めた、その時、駆け抜けている方向に一匹の猫が現れた。虎模様が勇ましいベンガルの猫だった。テツの姿に驚いたベンガルだったが、すぐに逃げようとした。


「動くな!」


 テツの声が響き渡った。その声に驚いたベンガルは動きを止めてテツの方を向いた。テツはその猫に寄ってくるなり、小声で一言言った。


「いいか? 俺とお前は味方同士のふりをしろ。そうすれば襲撃はしない」


 テツの脅すような声にベンガルは必死に頷いて答えた。少しだけベンガルは震えていた。


 テツが後方を振り返ると、ドニーとロイが追いついてきた。


「お前らついてないな! これで公平な戦いができるってもんだ!」


 テツがベンガルに親しげな態度を見せながら、ロイとドニーに言い放った。


『くそっ! コイツに味方がいたなんて知らないぞ』


 ドニーは心の中で悪態をつきながら、テツとベンガルを睨みつけた。


「お前ら、俺が一人で逃げていたと思っていただろう! 仲間と合流しただけなんだよ!」


 テツのこの言葉はハッタリだったが、全てではなかった。テツはあらかじめ他の猫がいつ頃散歩に出るのかをおおよそ把握していた。そのため、この時間に散歩に出ている猫がいる場所まで走り抜けていただけだった。


 しかし、このベンガルはあまり強そうには見えない。


「おい! お前! この襲撃に加わるならお前も敵だ! 意味はわかっているんだろうな!」


 ドニーはベンガルを脅して、あわよくば逃げ出してくれないかと思い、少しだけ脅した。しかし、すぐにテツが小声でベンガルに吹き込んだ。


「今、逃げたら、毎日お前を襲撃してやる」


 この言葉でベンガルはブルブルと震え始めた。完全に怯えていることがロイたちにも見てとれるほどだ。


「どうやら、お仲間は嫌がっているようだな」


 ドニーは少し強気にテツへと言葉を振った。


「だからどうした? コイツはいざ戦いが始まったら誰よりも強く戦うタイプだ。ただ、少しだけ小心者なだけなんだよ」


 テツは強気の態度を一切崩そうとはしなかった。その様子を見て、ドニーは必死に考えを巡らせていく。


『これは明らかにハッタリにしか思えない。ハッタリの場合には、おそらくベンガルは逃げ出すだろう。しかし、ハッタリでない場合には俺たちが危険だ。有利に戦えなくなる』


 ドニーはベンガルを睨みつけた。ベンガルはブルブルと震えながらドニーたちの様子を伺っているようだ。


『どう見てもハッタリだ!』


 ドニーは確信すると、ロイに声をかけた。


「いいか? ロイ! ウニ! テツだけを攻撃しろ! 俺もテツだけを攻撃する!」

「わかった!」


 ドニーが見抜いたことをテツは確信すると、再び一匹で全力疾走するように逃げ出していった。今回はロイとドニーは追跡をしなかった。遠くに全力で疾走するテツが住宅街へと消えていった。


「おい、あんた大丈夫か? もうテツは完全に逃げたぞ」


 ドニーとロイは、ベンガルの保護を優先したようだ。今もまだベンガルは震えていた。


「すみません。逃げるなって脅されていたんですよ。それに私はテツの味方ではありません」


 ベンガルはそう答えると大きくため息をついた。「今日は最悪な日だ……」とつぶやいている。


「ついてなかったな。とりあえず、今日は家に戻るんだ。ゆっくり過ごして落ち着いたほうがいい」

「わかりました。お二人も気をつけてくださいね」

「ああ」


 ドニーの返事を聞くと、ベンガルを来た道を引き返して一軒の家へと入っていった。


 そこでようやくドニーが気づいた。


「二人? おい……ウニはどこだ?」


 しばらく歩きながら来た道を引き返したところで、ロイたちはウニと合流することができた。いつものウニなら、勝利したことを自慢げに語るだろうに、今日のウニは元気がないのか、落ち着いた様子で、ハスとの戦いを歩きながら語っただけだった。しかし、幸いにもハスとの猫の契約によって、いよいよテツだけが残されたことになる。あとはテツを襲撃して猫の契約を勝ち取るだけだ。




 その頃、大空公園では、三匹のサイベリアンが会議を続けていた。


「まず、状況の確認をするために、ひざかり公園へ行って、話を聞いた方がいいな」


 大空公園のボス猫、サイベリアンのソラが言った。


「ああ」


 同じくサイベリアンのマロンとルイは頷いて答えた。


「では、さっさと向かうぞ」



 三匹のオス猫たちは短い会話でお互いの意思を決定すると、ひざかり公園へと向かった。おおよそ、どの時間に猫たちが集まっているかはウニから聞いていたので、今も何匹かはいるはずだ。


 大空公園とひざかり公園はそれほど離れていないため、すぐに到着した。


 ひざかり公園にはどうやら全ての猫が揃っているようだ。


「俺たちはハスからひざかり公園の猫を襲撃しないように猫の契約を交わすことができたんだ」


 落ち着いた様子のウニは、いつものようにふざけた態度で大袈裟に語ることはなかった。むしろ静かに事実のみを説明していた。


「おっす、ウニ」


 サイベリアンのソラはひざかり公園に入るなり、あいさつした。


「おっ! ソラじゃねぇか。それにマロンとルイもいるのか」


 ウニは少しだけ顔を綻ばせた。


 ソラはロイたちに近づくと軽く声を掛け合った。


「どうしたの? 今日は色々あって忙しいんだけど……」


 レミは少し心配気な様子で答えた。


「俺たちはテチハのことで話を聞きにきたんだ」


 ソラは簡単に答えた。


「今日は襲撃してきたところだ。俺たちを襲わないようにハスと猫の契約を勝ち取ることができた」


 ウニが真剣な顔で答えた。いつものウニらしくふざけた態度は見られなかった。


「それならハスとチルからは猫の契約を取ることができた訳だな?」


 ソラが確認を取る。


「あぁ、あとはテツだけだな」


 ウニは頷いた。


「そうか……思ったより進展が早いな……それで、チルとハスは強かったのか?」


 ソラがウニに尋ねた。


「あぁ、舐めない方がいい。ハスは一対一で戦ったんだが、決して弱い猫ではなかった」


 ウニは厳しい戦いだったかのように表情でも語っていた。


「大変だったな。それで、俺たちは協力をしたくて今日は来たんだが」


 ソラもウニの態度に当てられたのか、真剣な様子になり始めた。


「それなら、最後のテツに猫の契約を勝ち取りたい」


 ドニーが答えた。


「今までの猫の契約はどういう内容なんですか?」


 サイベリアンのマロンが尋ねた。


「今までの内容は、テチハはひざかり公園に入れない。と、チルとハスがひざかり公園の猫を襲撃できない……と言う内容だ」


 ドニーが思い出すように答えた。


「……それでは困ったな……」


 少しだけソラはため息をついた。


「えぇ、確かに困りましたね」


 ルイとマロンは顔を見合わせてため息をついた。


「何か問題があるのか?」


 ドニーは少しだけ焦った様子で聞いた。


「テチハの問題は、この住宅街一帯の問題でな。要するに、ひざかり公園だけでなく、襲撃自体を完全にやめてほしいんだ」


 ソラが説明した。


「でも、ひざかり公園の猫を守るが優先だったと思うので仕方ありません。ただし、最後のテツからは、襲撃を完全に止めるように猫の契約を交わす必要があります」


 マロンが説明を補足した。


「……そんなことできるのかな?」


 ドニーは完全に困り顔だ。


「できなくてもやる必要があります。最後のテツは徹底的に負けさせる必要があります」


 マロンは冷静な顔で意見を述べた。


「待て、俺たちは残念だが、ひざかり公園を守るので精一杯だ。これ以上の猫の契約は厳しいだろうな」


 ドニーは反論した。


「あぁ、それは仕方ない。代わりに俺たちが猫の契約を勝ち取ってきたいんだ。大空公園でも不安を感じている猫や避難してきた猫がいるからな。だから、これから乱取りをして、勝てるかを見てほしいんだが、頼めるか?」


 ソラは真剣な面持ちでウニへ提案した。


「あ……あぁ、それは構わないが、ハスですら、俺は少しだけやばかった。おそらくテツはボス猫をしているだけあって、それより強いんだろうから注意が必要だ」


 ウニは提案に少しだけ驚いていたようだ。


「それはわかっているが、早速頼めるか?」


 ソラが答えた。


「わかった。それなら俺の家に行こうか」


 ウニは真剣な顔で答えた。


 猫たちは全員でウニの家へと向かった。もしかしたらギョウザ長老がアドバイスをくれるかもしれない。メス猫たちは特にそう願っていた。




 その頃、こもれび公園では三匹のテチハが揉めていた。


「お前まで猫の契約を交わしたのか?!」


 テツは完全に冷静さを失っていた。


「……あぁ……すまないな。テツ……」


 ハスはしょぼくれた様子で答えた。


「落ち着け! テツ! 負けたんだからしょうがねぇだろ!」


 チルが大声でテツが激昂しないように警告した。


「落ち着いていられるか! 完全に負けてるじゃねぇか! どうするんだよ!」


 テツの口からは泡が吹き出しそうなほど、激しい怒りを示していた。


「いいから、落ち着け! いいか、こうなったら、他の猫たちも黙っていないぞ。俺たちが実は弱いなんて嘘の噂が流れたら、襲撃が一気に増えるかもしれない」


 チルが冷静に状況を予測した。


「チルは嵌められたから仕方ない。でも、俺は一対一でウニに負けちまったからな。俺は特に狙われるかもしれないな」


 ハスはため息をついた。


 猫たちの耳は比較的早い方で、犬たちよりも噂話には敏感だった。定期的に様々な場所で集会が開かれているので、数日もしないうちにハスの敗北は広まるだろう。


「あぁ……最悪だ。どうしたら俺はレミちゃんと付き合えるんだよ……」


 テツが今度は元気を失い始めた。どうやらテツの妄想ビジョンが暗くなり始めているようだ。


「そうだな。お前はそれだけが目標だったな。俺たちからしたらいい迷惑だが、今は仕方ない。だが、状況をどうにかしてひっくり返さないと、俺たちまでモテない猫になり下っちまう」


 チルがため息をつきながら言った。


「他の猫たちが襲撃にくる可能性はあるのか?」


 テツが冷静さを取り戻して尋ねた。


「あぁ、喧嘩に負けていることが噂として流れれば、当然のことながら、今までに襲撃した猫たちが復讐に動くかもしれないな」


 ハスが真剣な顔で答えた。


「俺たちは喧嘩した時に猫の契約は一切交わさなかったから、復讐を止めさせる手も打っていない」


 チルが捕捉した。


「くそっ! なんで猫の契約をしてないんだよ!」


 テツが苦い顔でこぼした。


「お前が『負け猫と対等な契約などしない』とか言って、猫の契約を一切しなかったんだろ!」


 ハスは黙っていた過去の怒りをはらすかのように叫んだ。


「くそっ! まさか、こんなことになるなんて思ってもいなかったんだよ。実際、この住宅街は弱い猫ばかりだと思っていたからな」


 テツは言い訳を苦い顔で述べた。


「そうだな。確かにこもれび公園の周囲は弱い猫ばっかりだったかもしれないが、ドニーとウニは強い猫かもしれない」


 ハスが言った。


「畜生! たった三匹のオス猫にやられるほど、俺たちは弱い猫だったのか!?」


 テツは自分達が実は強くはなかったのではないかと疑念を持ち始めていた。


「猫の契約を無視するのは……やはり危険だよな?」


 チルが真剣な顔で尋ねた。


「やめた方がいいだろうな。猫猫ネットワークの猫から一度だけ警告されただろう?」


 ハスが思い出すように答えた。


「あぁ、やめた方が良さそうだ。猫の契約に背くと集中攻撃されるんだったな。それなら、やはり無視することはできない。俺は一生をあの家の中で過ごしたくはないからな」


 テツはため息をついた。


「それよりも、どうにかしてこの状況を打開する必要がある」


 ハスが話を戻した。


「なら、仲間を増やせばいい! 仲間を増やして、そいつらにひざかり公園を攻撃させればいいんだよ!」


 テツが閃いたように叫んだ。


「それは無理だな。既に勧誘はしたけど、それ以前に俺たちはこの一帯の猫たちを攻撃しすぎた。仲間になる猫なんていねぇよ」


 ハスが困り顔で否定した。


「仲間になってくれても、言うことなんて聞かねぇだろうな。襲撃してくれるような猫もいねぇよ」


 チルも同じ顔で否定した。


「……くそっ!」


 テツは苛立ちを吐き出した。


「まずは、他の猫が襲撃してきた場合だ。どうする?」


 ハスが尋ねた。


「他の猫は、猫の契約がないから徹底抗戦だ!」


 テツが叫ぶように答えた。


「……オーケー、なら次だ。ひざかり公園の猫が襲撃してきたらどうする? これは可能性が高そうだ」


 ハスが更に尋ねた。


「もしかして、俺一匹だけで戦わなければならないのか?」


 テツが焦った顔で聞き返した。


「あぁ、そうだよ。俺たち二匹は戦えないと猫の契約で決まっているからな」


 チルが落ち着いた顔で返した。


「もしかして、反撃ならできるのか? 襲撃はダメなんだよな?」


 ハスは言葉の穴を探しているようだ。


「やめておけ、俺たち猫の世界では厳密さはむしろダメだ。反撃したと知れ渡れば、猫の契約を破ったと誤解されるかもしれない。だから、俺たちはもう、ひざかり公園の猫と喧嘩はできないんだよ」


 チルは自身の見解を述べた。


「……まずいな……」


 テツが苦悶の表情で言葉をこぼした。


「あぁ、ひざかり公園の猫が襲撃してくるのが一番まずい。向こうはテツから猫の契約を勝ち取ればいいだけだ。多分、今までの流れから考えると、一匹で散歩しているところを狙われるだろうから、しばらく散歩はしない方がいいだろうな」


 ハスは真剣な表情で言った。


「……散歩もできないのかよ」


 テツは苦い顔で答えた。


「だから、ひざかり公園の猫が襲撃してきた時に備える必要がある」


 ハスは再度問い直した。


「……知らねぇよ」


 テツは既にやる気が全くない顔で答えた。状況を受け入れられないようだ。


「わかった。でも、できるだけ早く決めておいた方がいいからな。よく考えておけよ」


 ハスは最後に警告をはっきりと伝えた。




 一方のロイたちは、ウニの家に到着するとギョウザ長老に面会した。


「こんにちは、ギョウザ長老」


 ルルを始めとした猫たちが声をかけた。


「うむ、今日は随分と人数が多いのう」


 ギョウザ長老は十一匹も連なって現れたロイたちに少しだけ驚いたようだ。


「爺さん、ちょっとだけ説明するよ」


 ウニが解説を始めた。


 解説すると言っても、今日の流れとソラたちについて軽く話しただけだ。すぐにギョウザ長老は納得したようで、早速乱取りを始めることにしたようだ。


「この芝生の上がリングですか?」


 ソラは少しだけ緊張しているようだ。


「あぁ、猫の喧嘩にリングはないから外まで出たら、リングの真ん中に戻って、同じ体勢で取り直すんだよ」


 ドニーが説明した。


「ふむ、いつもと一緒ですな」


 ソラは経験済みだった。


「じゃあ、俺が最初に相手するよ。俺は一対一でハスに勝っているから、ベンチマークとしてはちょうどいいはずだ。目標としては俺に勝つことだな」


 ウニはそういうと、リングの真ん中に腰を下ろした。


「では、俺からお願いします」


 リーダーのソラが立候補した。マロンとルイは反対しなかったので、そのまま試合が始まる流れとなった。


「それではワシが審判をつとめるでのう。お互いにきんたま蹴りや、過度な噛みつきは止めるんじゃよ。相手を三十秒間押さえ込んだ方が勝ちじゃ」


 ギョウザ長老が、リングの真ん中にいたウニとソラに軽く説明すると、その二匹の間あたりに立った。


「準備はよいか?」


「あぁ」「はい、大丈夫です」


「それでは、始め!」


 両者が真剣な顔で睨み合っていた。時折、ウニが牽制なのか、唸り声を響かせる。ソラはそれには乗らなかった。


 すると、ウニが唐突に仕掛けた。フェイントだ。ソラはフェイントに釣られて、防御姿勢を取ってしまった。ウニが素早くフェイントの前足を戻してから、ソラの隙をついて、ガラ空きの胴体へ噛み付いていく。同時に少しだけソラの体が浮いた。


 ソラは浮いた体を押さえ込もうとして必死に後ろ足でバランスを取ろうともがくが、片方の右足が宙を空ぶった。


 『くそっ! 相変わらず強いな!』


 ソラは心の中でこぼした。


 実は、ソラとウニは何度か乱取りをしたことがあった。しかし、おおよそウニの勝ちで終わっている。ソラはそれに負けないように大空公園のオス猫たちとトレーニングを重ねていたのだが、技に長けたギョウザ長老がいる方といない方では差があった。ソラは今度からギョウザ長老の元でトレーニングをした方がいいかもしれないと内心で考えていた。


 ところで、この猫柔道は普通の猫の喧嘩とは異なり、あくまでも柔道なので、相手の体を抑え込むか、審判の判定で、試合を優勢に支配した方が勝ちとなる。そのため、できれば積極的に攻めたほうが、試合を支配しているように見えるため、審判の判定勝ちを取りやすかった。


 ソラは片足をばたつかせたが、結局バランスを崩して、そのままウニに倒されてしまった。


「技アリ!」


 ギョウザ長老の声が響いた。ソラの体が、横倒しに近くなっており、ギリギリで一本をさけた形となった。


 『技アリ』は3段階存在する判定のポイントだ。『有効』『技アリ』『一本』の3段階が存在する。『有効』二回で『技アリ』一回に、『技アリ』二回で『一本』一回に相当する。『一本』先取で勝利となる。あくまでもこの猫柔道でのルールだ。実際の柔道とは異なる。


 ソラは起き上がって、ウニと対峙すると、今度は自分から仕掛けることに決めた。ウニの方が技に長けているため、仕掛けさせるとまずいと感じたためだ。


「始め!」


 ギョウザ長老が試合再開の声を上げた。


 すぐにソラが仕掛けていく。先制攻撃を仕掛けて試合の支配権を取り戻そうとしているようだ。ウニは反応が僅かに遅れて、肩に噛みつかれてしまった。ソラは甘噛みに抑えながら必死にギョウザの体勢を崩そうと試みた。しかし、ウニが反撃に出た。


『くそっ!』


 どうやら、ウニはソラの体勢を崩して、寝技に持ち込もうとしているようだ。ウニは肩が少し痛んだが、構わずに足技を繰り出してきた。人間風に言うのなら『体落』だった。ウニは体をくねらせて、右足でソラを投げ飛ばそうとする。

 そこで、ソラは噛みつきをやめた。体勢を崩しそうになったからだ。あと一回の『技アリ』で負けてしまうため、ここで引いておいた。


 再び、二匹が距離を取って、睨み合いが始まった。


『やはり、強い。技に長けているだけあって、攻めも守りも強いですな……』


 ソラは内心でこぼすと、必死に戦略を考え直す。攻めも守りも強い相手だ。いつもの傾向を思い出すに、特にカウンターが強い猫であったことを思い出した。どちらかと言うと守りが強いのかもしれない。


 ソラは再び戦略を考えようと必死に頭を回していく。


 先制攻撃はカウンターの餌食になりやすい。


 フェイントは上手くやらないと乗らないだろう。逆にカウンターを仕掛けられたら、厄介だ。

 では、カウンターを仕掛けるのか……。


 ソラの腹が決まった。カウンターが得意な相手にカウンターを仕掛けるわけだが、上手くいくかはわからない。


 実は、この猫の世界では、普通の猫はひたすら先制攻撃に長けている傾向にあった。それは、虫などを狩る時には先制攻撃以外は単純に効果がないためだ。そのため、猫同士の喧嘩ではカウンターに強いことは有利に働きやすかった。


『なら、徹底的に煽ってみましょうか』


 ソラは両方の前足で、ジャブを繰り出すように牽制をしていく。ウニは何度もそれを無視していくが、しつこいくらいに煽っていることに気づいた。


『なるほど、お前が仕掛けてこいってことだな』


 ウニはすぐに意味を理解した。ソラがカウンターが得意だとは聞いていなかった。だが、今は明らかにウニを煽っている。


 ウニは頭の中で瞬時に計算を行った。カウンター狙いで来るなら、こっちは徹底的に素早い先制攻撃を一気に仕掛ける必要がある。いけるだろうか? 結果はコイントスに近い。


 腹を決めたウニは、可能な限り素早く上半身を移動させてソラの腹へ噛みつこうとした。一方のソラは、反射的な動きでウニの顎をかわしていく。


『くっ!』


 ウニはかわされたことに気づいたが、体勢を立て直す暇はなかった。瞬きほどの時間差でソラがウニの前のめりになった上半身に噛み付いてきた。そのままウニの上半身を崩していく。最終的にウニは上半身の体勢を崩して体が倒れてしまった。


「有効!」


 倒れる瞬間、ウニは最後の反射神経で技アリをかわしてみせた。有効の声にソラは反射的に顎を外してしまった。本来であれば寝業が始まるところで、一旦試合は途切れてしまった。


「……やるな」


 ウニはかろうじて、そうつぶやいた。


「お前ほどではないがな」


 ソラも軽く返事を返した。


「二人とも、早くリングの真ん中に戻れ。休憩など取らんからな」


 ギョウザ長老が試合の先を急がせた。二匹の猫はリングの真ん中へと戻った。


 この時、すでにウニの頭の中では、ソラが思ったよりカウンターに長けていることに確信を持っていた。ウニはカウンターが得意なバランス型だったが、ソラのカウンターも決して引けを取らないようだ。ならば、次は先制攻撃ではまずい。


 一方のソラは、カウンターに成功していたため、次もカウンター狙いで行こうと考えていた。最も、ウニは同じ攻めでは効果が薄いのだが、気づいていなかったようだ。


 「始め!」


 開始の声が上がるなり、今度は二匹が牽制のジャブを始めた。ソラはウニを煽っている。ウニは一手を打つタイミングをはかっているようだ。


『流石に、同じ手を二度も食らわないか?』


 ソラは自分の手法に疑問を感じつつも煽りを続けていた。どちらにせよ相手は技に長けた猫だ。簡単には勝てないかもしれない。


 すると、ウニが深めのジャブを繰り出してきた。そのジャブはウニのフェイントだったが、愚かにもソラは反応してしまった。ジャブを止めて体勢をカウンターをとるような動きをしてしまった。その瞬間にウニは反応して、ガラ空きの上半身に食らいついた。


『フェイントか!』


 ソラがそう気づいた時には遅かった。完全にウニはソラの上半身を抑えており、すぐにウニは空を投げようと体を動かした。


『畜生!』


 仲間の前で無様な負け試合を見せるわけにはいかなかった。必死にソラは上半身を揺さぶって、同時に投げ技を回避しようと試みる。


『くっ! 随分と暴れるな!』


 一方のウニも必死だった。仲間に負け試合など見せられないのはウニも同じだったからだ。

 ソラの必死の抵抗も空しく、体勢が崩れていく。ウニはそのまま寝技へと持ち込んだ。ソラの上半身に噛み付いたまま、起き上がれないように上から押さえ込んでいく。ソラは懸命にもがくが、ウニの押さえ込みが上手く固まっているために、ウニの体勢を崩すことができない。


「五!」


 周りの猫たちがカウントを始めた。二十秒で『有効』を取られてしまう。それは流石にソラも知っていたルールだった。しかし、懸命にもがいてもウニの体勢は一切崩れそうにない。


「十!」


 ソラは必死の抵抗を続けていた。上半身と下半身をバタつかせて、せめてウニの体勢を崩したい。一方のウニは懸命に押さえ込みを続けていた。


「十五!」


 ソラは頭の中で『このままでは負けられない!』と必死に考えていくが、疲れから頭の中がぼやけていく。同時にウニも疲れから集中力を押さえ込みだけに注いでいた。


「二十!」

「有効!」


 ギョウザ長老の判定が下った。ソラとウニは少しだけ疲労している様子を見せたが、上がっている息のままリングの中央へと戻った。


 その後は、お互いの牽制が続いたところで、試合は終了した。

 結果は、ウニが有効一、技アリ一で、ソラが有効一となった。ウニの勝利だ。


「いい試合だった」


 試合が終わるなり、ソラはウニに一言言った。


「あぁ、俺もやられそうで危なかったな」


 ウニも本気だったことを暗に伝えた。


 みんなでソラとウニの戦いを讃えあうと、試合は次へと進んだ。

 第二試合は、ロイ対マロンの試合だ。


 ロイとマロンが芝生リングの上に向かい合って立った。


 幸いにも何度か乱取りはしているので、ロイにもルールはわかっている。今日の相手は未知数の相手、マロンだ。


「それでは、始め!」


 ギョウザ長老の声が響き渡った。すぐに牽制が始まる。すると、ロイが早速仕掛けた。


『早い!』


 一瞬の隙を突かれて、マロンは懐までロイの攻撃を許してしまった。すでに首元に噛みつかれている。


『ロイ……やるじゃねぇか』


 ドニーとウニはロイの攻撃に感心しているようだ。それほどまでに素早く適切な攻撃だった。


 ロイの初手からの攻撃は続き、マロンに反撃の隙を与えなかった。というのも……。


「一本!」


 あっという間にロイは勝利してしまった。マロンは背中から地面に倒れている。


 どうやら、ロイとマロンでは技量に大幅な差があったようだ。あまりにもあっさりと負けてしまったため、当のマロンは苦笑しながらリングを降りた。


「マロンさん、お疲れ様。ロイはかなり強い方ですから気にしない方がいいぞ」


 少しだけ落ち込んでいる様子のマロンに、ドニーが一言フォローを送った。


「ロイさんが一番強いんですか?」


 ソラの口からこぼれた言葉は、素直な感想だった。


「いや、実はあいつは強いようだ、とはわかっているんだが、どの程度強いのか俺たちもわからないんだ。実際、ここ数日で仲間になった猫だからな」


 そう言っているドニーは既に何度も乱取りで負けていた。最初は当然ショックだったが、よくよく考えてみると仲間である限り、とても頼もしい猫だ。今回のテチハ戦でも重要な役割を果たすかもしれない。


「あいつは強いよ。俺も何度か負けてるからな。それでいて、実はトレーニングを始めたばかりなんだ。伸び代もすごいかもしれない。多分、ひざかり公園では最強だろうな」


 ウニも感想を述べた。ウニはトレーニングを小さい頃から繰り返しているのに、ロイに何度も負けている。


「次はルイの予定だが……」


 ソラが言った。ルイもロイと試合をする予定だった。この分では、ルイにとってはトレーニングにならないだろう。


「ルイさんは俺と試合をしよう。多分、ロイでは強すぎるかもしれないからな」


 ドニーは頭の中でロイならテツにも勝てるような予感を感じていた。


「早速始めようか」


 ウニの言葉に、ルイとドニーは頷いた。


 芝生リングの中央にルイとドニーが向かい合って立つ。同時にギョウザ長老が審判の位置に立った。


「始め!」


 試合はドニーが優勢のまま進んだ。どうやら、ルイもマロンも本格的なトレーニングを積んだことがないらしく、素人目にもドニーが試合を支配していることがわかった。


「ソラさんたちは、トレーニングはあまりしたことがないのか?」


 試合中にウニが質問した。この試合の流れでおおよそ察してはついていた。


「トレーニング自体は週に何度かしているな。ただし、戯れあっている感じに近いかもしれない。ここまでしっかりと判定をしながら試合をしたことはないな」


 ソラの返答にウニは納得した。つまり、経験はないわけだ。


 大空公園は、平和な公園で喧嘩もほとんど発生していない。猫同士の関係も良く、積極的に喧嘩に強くなる必要がない環境だった。


 それでも、さっきの言葉が本当なら、ひざかり公園に加勢したいようだ。しかし、ウニは少しだけ不安を感じていた。


「実はな、テチハは俺たちと変わらないくらい強いんだよ。テツは未知数だが、ボス猫をしているだけあって、チルとハスよりも強いだろうな」


 ウニは少しだけチルとハスを思い出した。チルは集団でボコボコにしたが、ハスは少なくとも弱くはなかったように思える。あの時のウニは完全に本気で相手にしていたが、それは当然だ。油断すれば負けていたように思えた。


「それは……まずいですな。どうやって猫の契約に持ち込めばいいのやら」


 ソラはため息混じりに言葉を漏らした。どう考えても強さが足りていない。


「三匹で一匹を襲撃するしかないな。かなり卑怯だが、それ以外に思いつかない。少なくとも一対一は避けるべきだ」


 ウニもチルにやったことだ。褒められたやり方ではなかったが、テチハと同じことをやり返しているだけ……と言う論理で、ウニは納得していた。


「……わかりましたぞ。俺たちは猫の契約さえ取れれば問題はない。ですので、今回は多少手を汚すくらいは、むしろ仕方ありませんな」


 ソラは手を汚す覚悟をした。ウニの言葉からするに、正々堂々では勝てないことを完全に確信したからだ。


「技あり! 一本!」


 そんな話し合いをしているうちにドニーとルイの試合が終わった。ドニーが技ありを2回取ったようだ。ルイは有効を一回取って終わった。その後、ドニーはルイにいくつか注意をしているようだ。基本となる立ち回りについて話しているようで、本人たち以外は退屈な話だった。


「ウニ、三対一のトレーニングはないのか?」


 ソラが唐突に思いついたように言った。


「三対一? そういうトレーニングをする道場もあるらしいが、うちではあまりやらないな。一対一が強ければ別に問題ないからな」


 ウニは少しだけ考えるような様子で答えた。


「なら、乱取りを四匹で取っていただくことはできるか?」


 ソラが改めて提案した。


「別に構わないが、ソラたちが三匹の方だよな。なら、ロイに頼んでみるか」


 ウニは相変わらずロイの強さが気になっているようだ。


 ウニが声をかけると、ロイは了承したようだ。すぐに四匹が芝生リングの上に並んだ。


「今回は三対一での乱取りじゃ。ロイは勝てとは言わん。守りきれれば勝利じゃ」


 ギョウザ長老が簡単なルールを説明した。

 三匹と一匹が向かい合う。


「始め!」


 意気揚々とソラたちが攻撃を開始しようとすると、すぐにロイは後ろを向いて逃げ出した。その姿にソラやウニたちは少し呆気に取られてしまった。芝生リングから出たところで、ロイが振り向いて答えた。


「守れば勝ちなんでしょ? なら、逃げればいいよね」


 ロイの言葉にギョウザ長老たちは納得した。


「確かにテチハも逃げるに決まっておるな」


 ギョウザ長老は少しため息をついた。


「やり直しだ。まず、ソラたちはロイを囲む必要があるな」


 ドニーが意見を述べた。


「あぁ、ロイを中心に囲むように、正三角形を描く位置にソラたちが立たないとだめだ」


 ウニが陣形について軽く言った。


「ちょっと待ってくれ。どうやって、そんな位置につけばいいんだ?」


 ソラからすると、難しい提案だ。


「テチハを襲撃するには散歩コースで予め待ち伏せするしかないな」


 ドニーが思案するような仕草で答えた。


「待ち伏せか……とことん卑怯ですな」


 ソラは気が進まない顔をしている。


「だが、そうしないと猫の契約は厳しいだろうな」


 ドニーも難しい表情で答えた。


「仕方ありませんな。多少は目を瞑りますぞ」


 ソラは苦い表情で腹を決めたようだ。


 再び、四匹が芝生リングに立った。


「今回は、ソラたちがしっかりとロイを囲んだ前提で試合を行う。三匹はロイを囲む位置につけるんじゃ。ロイはリングの外に逃げるか、守り切れば勝ちじゃ」


 ギョウザ長老が設定を簡単に説明した。


 三匹がロイを囲むように立った。正面にはソラが、斜め後方にマロンとルイが立ち塞がっている。ロイは必死に活路を見出そうとするが、一目散に逃げる方法しか思いつかない。三匹の隙間から逃げるしかないだろう。


「始め!」


 ギョウザ長老の声が上がるなり、ロイは正面のソラにフェイントを仕掛けた。ソラは油断からか、フェイントに釣られて重心をそちらに移動させてしまった。それでソラの移動と反対側に隙間が生まれた。ロイは素早く立て直すと、その隙間から一目散に逃げ出していく。


 残念ながらマロンとルイは反応できず、ロイをそのまま逃してしまった。


 結局、ロイを芝生リングの外まで逃してしまった。


「やめ!」


 ギョウザ長老たちは、ロイがよく逃げ出したものだと感心したが、一方でソラたちに少し不安を感じ始めていた。どうやら、事前に計画をしっかりと練る必要がありそうだ。


「いいか? まず正面のソラはフェイントもカウンターも考えずに、とにかく食らいつけ。それと、後方のマロンとルイも始まったらすぐに食らいつけばいい」


 ドニーが声を上げた。


「そうだ。反撃を恐れずに攻撃しろ。そもそも、この陣形の場合、圧倒的に有利なのはソラたちの方だ」


 ウニも声を上げた。


「……面目ない」


 ソラはしょげた態度で声を漏らした。


「気にするな。次に勝てば問題ない」


 ギョウザ長老は落ち着いた態度で答えた。


 四匹が芝生リングの上で、再び同じ位置に立った。もう一度テストをするようだ。今回は三匹とも試合開始と共に攻撃を仕掛ける意志を固めていた。


「始め!」


 試合開始と同時に、ソラ、マロン、ルイは攻撃を仕掛けた。流石のロイもこれには打つ手は思いつかなかったのか、三匹に食いつかれてしまった。しかし、ロイは反撃しようとしているのか、噛みつかれたままもがいている。


 四匹はもつれ合いながら、もがくロイを中心として、必死に食らいつき続けた。


 三十秒ほどだろうか、必死にロイはもがいていたが、諦めたようにソラにダブルタップして敗北を宣言した。


「やめ!」


 ギョウザ長老の試合終了の合図が響いた。すぐにソラたち三匹がロイから口を離した。


『こんなの勝てるわけないよ!』


 ロイは内心で少しだけ愚痴っていた。


「これなら行けそうかな?」


 ドニーがウニに尋ねた。


「正面を二匹、後方を一匹でもいいかもしれないが、マロンさんとルイさんは明らかに戦いに慣れていないようだったから、この陣形でいいのかもしれないな」


 ウニは納得したように答えた。


「よし、なら、次は襲撃のポイントだな」


 ドニーはウニの賛成を得るなり、ソラたちに近づいていく。


 その後、ソラたちはドニー、ウニと一緒に襲撃地点について話し合いを続けた。

 一方のロイやルルたちはギョウザ長老からマタタビを振る舞ってもらったようだ。


「ロイは知らないかもしれないけどね。実はギョウザ長老はマタタビ禁止連盟の会長をしているのよ」


 ルルは少しだけハイになっているのか喜んでいる様子でロイに言った。マタタビが効いているらしい。


「えっ? でもマタタビ食べてるけど」


 ロイの視線の先でギョウザ長老はマタタビ酔いしているのか、芝生リングの上でゴロゴロと体を転がしていた。


「昔、家族からマタタビ依存症を指摘されてから、自分で発足させたらしいわ」


「そうなんだ……」


 ロイは少しだけ呆れていた。


 その後もロイたちの宴は少しだけ続いた。

 ソラたちは早速、翌日に仕掛けることを決めたようだ。ドニーとウニは心配だったが、結果を伝えてくれるようにと頼んでいた。

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