第3話 わんぱく猫と新米訓練
みんなとの出会いがあった翌日。ロイは静かなガレージのキャットハウスで目を覚ました。新居の居心地は最高だった。ガレージの中は温度の変化がないため、元々涼しいが、少しだけひんやりとしたキャットハウスが快適だった。爽やかな初夏の陽気と快適なキャットハウスには少しだけ感動させるものがあった。
すぐに自動給餌器で食事を済ませると、早速ひざかり公園へと向かうことにした。今日もみんなはいるだろうか。
猫の足でもひざかり公園は5分とかからない位置にあった。公園には既に先客がいたようで、のんびりとくつろいでいるようだ。よく見ると肉まんとウニだった。
「よう」
「こんにちは」
3匹は軽く挨拶を交わした。
「みんなはまだ来ないみたいだから、早速偵察に行くぞ」
その言葉に、早速ロイは嫌な予感を感じた。昨日のように喧嘩になったらたまったものではない。そんな思考が頭をよぎったせいか、気後れしてしまった。
「どうした? 怖いのか?」
「いや、そうじゃないけど」
少しだけロイは強がってしまった。本当は少し怖い。
「いいか、俺が逃げろと言ったら、さっさと逃げろよ。今回は逃げることに集中しろ」
「わかった」
3匹は簡単に指針を合わせると、テチハの出現するこもれび公園へと向かった。
この日も麗かな初夏の陽気を感じることができる良い天気で、偵察に向かうような緊張感は感じられなかった。先導する肉まんとウニについていくが、2匹とも何も言うことはなかった。
5分とかからずにこもれび公園が視界に入ってくる。この時間は人間たちが公園に現れることはなかった。この公園には滑り台が1つといくつかのベンチが設置されているだけの小さな公園だった。
こもれび公園の周辺には少しだけ茂みがある箇所がある。とは言ったものの綺麗に姿を隠せるほどの茂みは少ない。偵察隊の3匹は公園から距離をとりながら、茂みのあるスペースへと歩を進めた。姿を隠しながら、そっと顔だけで公園の中を見た。
テチハの3匹が公園で何から毛繕いをしながら、話し合っているようだ。
「テツ、どうしてひざかり公園の奴らを攻撃する必要があるんだ?」
体の大きなラガマフィンのように見えるチルが言った。
「俺たちの公園に勝手に踏み込んでくるからだ。アイツらは許せないんだよ」
テツが簡単に答えた。
「違うだろ。俺は理由をなんとなく知ってるぜ」
同じく大柄のラガマフィン、ハスが少しだけ笑みを浮かべている。
「なんだよ、それ。俺にも教えろよ」
チルは一人だけのけ者に扱われている気がして不機嫌になった。
「言ってもいいのか?」
「好きにしろ」
了承されたので、ハスは言いたかった言葉を口にした。
「実はこいつ、あのグループにいるレミのことが好きなんだよ」
「本当に?」
チルが驚いた顔でテツを見た。
「……悪かったな。できれば、レミにはこっちに移ってもらいたいんだ」
チルとハスはかなり呆れているようでため息をついた。
「「逆効果だよ……本当に」」
その頃、公園の淵沿いに植えられていた茂みからのぞいていた3匹はショックを受けていた。
「十分だ。そろそろ引き上げるぞ」
ウニが小声で指示を出した。
引き上げようとした、その瞬間。肉まんは枯れ葉を踏んでしまった。乾いた葉がパリと音を鳴らしてしまった。3匹の間に、一瞬、緊張が走った。公園の真ん中に陣取るテチハがこちらに気づいたようで、腰を上げている。
「逃げるぞ。走れ!」
ウニが命令するなり、3匹は勢いよく、その場から逃げ出した。
公園にいたテチハは追いかけようとはしなかった。距離があったため、追いつくのは難しいと考えていた。罠にも見えたようだ。
今度は一分とかからずにロイたちはひざかり公園へと到着していた。ウニは息を弾ませながら、後方を確認して、テチハの三匹が追跡していないことを確認すると、緊張を解いた。
「おい、アイツら追いかけてこなかったぞ」
「ええ、ここからは歩いて行きましょう」
ウニの言葉に納得した肉まんも少し疲れているようだ。
ブランコとベンチがひっそりと並んでいるひざかり公園には、レミとルルが待っていた。
2匹は息を弾ませているロイたちに気づくと、ゆっくりと近づいてきた。
「どうしたの?」
ルルはその様子に疑問を持ったのか、説明を求めた。
「俺たちでテチハを偵察してきたんだ。そしたら、少しヤバいことがわかった」
「何?」
ウニは興奮したような表情で言った。レミは嫌な予感がしたようだ。
「アイツらのリーダー、テツはレミのことが好きで俺たちに喧嘩をふっかけているそうだ」
「……そう」
ウニの言葉に、レミはあまり驚かなかった。
「どうするの? レミ」
肉まんはレミを伺うように尋ねた。
「……論外ね。私はテツのことは嫌いよ」
そう答えたレミの顔は少し苛立たしいようで、少しだけしかめた表情だった。
表情はそのままに、レミは思い出を語り始めた。
「私がいつもこの公園に通る道にいつもテツは座っていたの。あんなところで何をしているのかしら? とは思っていたのだけれど、いつもいるもんだから、話しかけてみたのよ。そしたら、舞い上がったように喜んで、私のことが好きでここに座っていたんだ……とか、言われて、私は正直気持ち悪いと思ったのよ。そしたら、俺たちの公園に来ないか? って言い始めてね」
「それで、どうしたんだ?」
ウニは思い出話に興味を抱いたようだ。前のめりで真剣な顔で話を聞いている。
「しょうがないから、ついて行ったら、チルとハスが待っていたのよ。それでしばらく話したんだけど、つまらない自慢話が続いたわ。そこに、他の猫が公園に入ってきたの。そしたら、あの3匹ったら、邪魔するなって怒鳴りながら、いきなり襲い掛かったのよ。私はもう驚いてしまって、最悪な奴らにしか見えなくなったの。それで、『あんたたち最低だ!』って言い残して帰ったんだけど……」
「うん」
ウニだけでなく、他の3匹も真剣に話を聞いていた。
「そしたら、その後は酷かったわ。あの公園はヤバいって噂が流れ始めて、他の猫に聞いてみたら、テツがフラレてから襲撃が酷くなったって話を聞いたのよ」
「お前が原因で、アイツら酷い行動をとるようになったのか?」
ウニが尋ねた疑問を皆も少なからず抱いていた。
「ええ、多分そうね」
「それで、アイツらのことは嫌いになったの?」
肉まんは念の為の確認として聞いた。
「当たり前でしょ? どうしたらあんな奴ら好きになれるわけ?」
「そいつは良かった! アイツらマジで酷い奴らだからな!」
レミの言葉にウニは一人で踊り出しそうなほど喜んでいた。
「まぁ、いいわ。それより今日は他の猫は現れそうにないから、肉まんの家にいきましょうか」
レミはテツの話を切り捨てた。
「私たちの家に? おじいちゃんに会うの?」
「ええ、ロイを長老に会わせたいのよ」
「わかったわ。ついてきて」
すると、肉まんは先導する様に公園から出ていく。遅れまいとロイたちはその後に続いた。
暖かな風を切りながらロイは肉まんの後ろについていく。みんなは行く先がわかっているようで落ち着いた様子だ。周囲を見ても相変わらず住宅街の中を歩いているだけだ。特に目新しい建築物があるわけでもなかった。このあたりの風景で印象に残っているのは、昨日見た巨大な建物と、その隣の大きな公園くらいのものだった。できるだけ風景を覚えておきたいのだが、印象的な建物がほとんど見当たらない。
幸いにも肉まんとウニの家は、それほど遠くにあるわけではなかった。と言うよりも近くの家だった。敷地が広い家のようで、背の高い塀で囲われている。ロイが住んでいる姉ちゃんの家よりも大きいようだ。
肉まんとウニはガレージの柵から身を滑り込ませるように中へと入っていく。他の猫たちも後に続いていた。最後にロイが敷地内へと入っていく。
敷地内には大きな家が一軒ある。庭も広いようで何やら木で作られた何かが並んでいた。何に使うのだろうか?
大きな庭に全員が集まると、開けっ放しのガラス戸に向かって肉まんが声をかけた。
「おじいちゃん! いるの!?」
すると、中で少しだけゴソゴソと何かが蠢く音が響いた。続いて何かが静かに歩いてくる。
「なんじゃ?」
随分とおじいさんの猫だ。肉まんとウニと同じくジャパニーズボブテイルだった。白と黒のマダラ模様が特徴的に見える。少しだけ後ろ足が震えている。
「今日は随分とお客さんを連れてきたようじゃのう」
おじいさん猫は1匹ずつに目を送りながら言った。
「爺さん、新しい猫だ。お前、ちょっとこっちこいよ。ロイ」
「うん」
ウニに呼びつけられたロイが隣に歩いていく。おじいさん猫はロイを凝視しているようだ。
「ふむ、立派な猫じゃのう。純血種か?」
「わかりません」
「……ふむ、そうか。しかし、仮に雑種だとしても、良い血筋のようじゃ。無駄のないシェイプをしておるし、身のこなしも軽やかじゃ」
おじいさん猫はロイに興味を抱いたようで、縁側から軽やかに降りるとロイの周りを回るように確認していく。ロイは少しだけ居心地悪く感じていた。
「爺さん! ロイは強いのか?」
ウニが気になっていたことを堪えきれない様子で尋ねた。
「うむ、そこそこ強いから結構強いくらいのあたりじゃ。トレーニングを積めば、このあたりでは最強クラスになるんじゃないかのう」
「そんなに!?」
おじいさん猫の言葉に一同は驚いた様子だ。特にルルはそういう風に見えていなかったようで、驚きを隠せていない。口を半開きにしていた。
「やはり……顎も立派じゃ。お主、名はなんと言うんじゃ?」
「ロイです」
「ロイか……ワシは老い先短い身じゃが、肉まんとウニのことをよろしく頼む。知っておるとは思うが、喧嘩っ早いところがワシの子供に似たようでのう」
「爺さん!」
おじいさん猫の長くなりそうな話を、ウニが途中で区切るように声をかけた。
「実は最近……」
ウニはテチハの襲撃について説明した。おじいさん猫は落ち着いた様子で、大げさに話すウニの言葉を聞いている。
「ふむ、厄介な猫が現れたもんじゃのう……どうするか……」
「俺たちは無視するべきだって意見と、徹底的に戦うべきって意見に分かれているんだ」
相変わらずウニは懸命に説明している。
「一つ言えることがあるのう。そいつらは間違いなく上下関係がハッキリするまで襲撃を続けるはずじゃ」
「なら、戦うしかないってことか?」
「普通の猫はそういうもんじゃよ。要は戦うしかないじゃろうな」
すると、ルルが声をあげた。
「待ってください。戦うって言ってもどうしたらいいんですか?」
「それは簡単じゃ、喧嘩して勝てばいいんじゃよ。お主たちのうちの1匹でも良いから、あいつらに勝てばよい。勝てば、そいつらは格下じゃ。二度と喧嘩をふっかけてくることはないじゃろうな」
その言葉に言葉が途切れた。おじいさん猫の意見は重いようで、全員が戦いを覚悟しなければならないことを察していた。
「負けたらどうなるんですか?」
スコテッシュフォールドのレミが尋ねた。
「その場合には、お主たちがひざかり公園を失うじゃろう。少なくともそいつらが現れたらあけ渡すしかないのう」
「それは……ひどいわ」
レミは少しだけ目を伏せながら息をついた。
「爺さん! あそこだけは譲れないんだよ! 確実に勝つ方法を教えてくれ!」
相変わらずウニは懸命に訴えた。本当に興奮しやすい猫だ。鎮静剤を飲み忘れたのだろうか。
「ワシができることはほとんどないのう。例えば、トレーニングをするのはどうじゃ? 最近はしておらんからちょうど良いじゃろう」
そう言われて、ウニと肉まんは少しだけ顔をしかめた。
「ちょっと勘弁してくれよ! 爺さんのトレーニングは結構キツいんだよ!」
「でも、勝ちたいのなら、戦力の底上げが必要じゃ。新米のロイも鍛えた方が良いしのう」
「ロイだけにしてくれ!」
「そうか? お主たちも鍛えた方が良いと思うんじゃが、ワシも老いた身じゃから、きついトレーニングなんてできんよ」
おじいさん猫はロイの方を向いた。ロイもおじいさん猫に顔を向けた。
「自己紹介が遅れておったのう。ワシの名前はギョウザじゃ。このあたりでは長老と呼ばれておる。以前は、長老会に参加しておったが、今はこの家で隠居生活じゃよ」
「よろしくお願いします」
ロイは少しだけ会釈して、ギョウザに敬意を示した。
「ふむ、お主たちの中では妙に行儀良い猫じゃのう。ウニと肉まんも見習って欲しいもんじゃ」
「爺さん! あんまり俺たちを変なふうに言うなよ!」
「はっはっはっ、ロイがワシの子供じゃったら、少しは安心できたんじゃがのう」
すると、おじいさん猫ギョウザが鋭い視線をロイに向けた。
「新米のお主には悪いが、少しだけトレーニングをする。洗礼だと思って元気よく従うんじゃ」
「はい」
そう答えながら、ロイは何が始まるんだろう、と少しだけ不安になった。
「それじゃあ、ダメじゃ。もっと腹の底から大声で答えるんじゃ。ちょっと大声で返事をしてみろ」
「はい!」
「そんな感じじゃ。ワシも似たような感じで行くからのう。それと訓練中はワシのことは隊長と呼ぶんじゃよ」
「はい!」
すると、ギョウザは庭の中央へと向かってのっそりと歩いていく。振り返るとロイに言った。
「ちょっとこっちに来い。このあたりに立つんじゃ」
ギョウザは同じく庭の中央を前足で示した。
ロイは黙ってその位置に立った。他の猫は洗礼を黙って見守ることにしたようだ。ルルとレミが少しだけ気の毒そうな顔を向けていた。
「それじゃあ、始めるからのう」
続いて、おじいさん猫のギョウザは大きく息を吸い込んだ。
「まず初めに、お主に問う!」
「は、はいっ!」
老齢と思えないほどの大声にロイは少しだけ驚いてしまった。
「お主が一緒に暮らしている奴ら……人間は我々にとってなんだと思う?!」
「アイツらはでかい猫です!」
「違う! アイツらは我々のペットだ!」
「どういうことでしょうか?!」
「なぜならば、アイツらはなんの報酬もなしに我々、猫に食べ物を与え、掃除をして、遊ぶ相手をしているからだ!」
「僕たちがペットではないのでしょうか?!」
「絶対に違う! アイツらは猫の奴隷だ! 猫の下僕だ! 猫の! ペットだ!」
ギョウザは膨らんだ血管が見えそうなほど大声で怒鳴り続けている。
「なら、どうして捨て猫や野良猫がいるのでしょうか?!」
「単純だ! 不幸にもペットを見つけられない奴らもいる! 残念だが、それが現実だ! 捨て猫は落ちぶれた貴族! 野良猫はペットを選り好みしているだけだ!」
「捨て猫や野良猫はホームレスではないでしょうか?!」
「卑屈な考えに固執するな! 猫は生まれながらの貴族であり、ペットがいれば、その家の主人となる存在だ!」
「その割にペットに媚びている猫が多いように思えます!」
「逆だ! 少し媚びるだけでペットたちは褒美を出す! 美味い食事にありつけるんだ! 媚びて何が悪い!」
「猫の品位が疑われます!」
「品位で飯は食えない! 細かいことは気にするな!」
「食事に飽きて、変えてほしい時にはどうすればいいのでしょうか?!」
「食事をボイコットしろ! 高貴な猫様に上等な食事を出すよう仕向けるんだ!」
「体調が悪い時はどうすればいいのでしょうか?!」
「病気を覚悟しろ! 全てはペット次第だ!」
「結局、ペットたちは猫をどうしたいのですか!」
「アイツらはお互いがあまり好きではないらしい! 結果としてストレスが溜まる! それで、我々の世話をすることで精神が安定する奇妙な生物だ!」
「最近はペットたちがスマホを向けてくることが多くて困っています!」
「アイツらは動画共有サイトで猫の動画を流して小遣いを稼いでやがる! しかし、存分に撮らせてやれ! ペットを儲けさせるともっと美味い飯が食べられるようになるからな! 馬鹿なフリをすると和むようだ! 騙されていることに気づいていないとは、まさに劣等生物だな!」
「隊長は策士すぎます!」
「気にするな! 私くらいの老兵ともなると、世の中の真理がよくわかっているだけだ!」
「ありがとうございます!」
「新米のお前には、NNN(猫猫ネットワーク)の正規会員になるよう勧めさせてもらう! もし、捨て猫になっても、偶然を装って新しいペットを見つけることができるからな!」
「ぜひ、加入したいです!」
「そのうち、NNNからコンタクトがあるはずだ! 期待しておけ!」
「はい!」
「質問がなければ、いよいよ訓練に入るぞ!」
「よろしくお願いします!」
ギョウザはのっそりと歩き出すと、庭に設置されていた杭や平均台、小さな吊り橋の前へと歩み寄った。
「うちの飼い主は庭に猫用の遊び用具を設置するのが趣味じゃったようじゃ」
どうやら、ギョウザは怒鳴るのが疲れたらしい。普通の話し方に戻ると、庭に設置された物を指した。ロイも釣られるようにそちらを眺めた。
庭に設置されている遊具には、他にも木製のキャットタワーと、その柱には爪研ぎがついている。いずれも立派な木製でできており、ニスでしっかりとコーティングされているようだ。
「ワシらは、この杭と平均台の上を渡り、吊り橋を通ってから、キャットタワーに登って降りる速度を競っておった」
ロイからすると、結構楽しそうに見えた。ギョウザの家族が少しだけ羨ましい。
「ウニ、お手本を見せるんじゃ」
「わかった!」
ウニは杭の近くへと駆け寄った。
「それじゃあ、始めるよ!」
「うむ」
ウニは勢いよく杭に飛び乗ると、一歩ずつ杭の上を走っていく。その後、平均台の上を危なげなく渡りきり、吊り橋を走って渡った。勢いはそのままに、キャットタワーを一気に登っていくと、一番上に設置されているフロアの小さな猫用ハウスにタッチして、今度は素早く降りていった。随分と慣れた動きだ。最後に地面に着地すると、ウニは声をあげた。
「終わり!」
「うむ、良い動きじゃった」
ギョウザはロイの方へ顔を向けた。
「では、お主の番じゃ」
「はい」
一番最初の杭の列の前へとロイは歩み寄った。
「始め!」
ギョウザの一声が響くなり、ロイは杭の上を確実に渡っていく。慣れない動きではあるものの、一歩ずつ足を確実に置いていく。次の平均台も似たようなものだ。吊り橋は揺れてはいるもののアスレチックと言うほどではない。最後にキャットタワーを登っていく。フロアから上のフロアへと飛び乗っていく。思ったよりも難しい動きだ。しかし、ロイはウニとさほど変わらないペースで進んでいった。一番上のキャットハウスにタッチすると、勢いよく降りて行った。
「終わり!」
ロイの声が響いた。注意深く凝視していたギョウザが歩み寄る。
「良い動きじゃった。初めてなのに悪くない」
「ありがとうございます」
すると、見学していた猫たちも口々に声を上げた。
「結構速かったよ」
「うん、良い感じだった」
ロイはその言葉を聞いて、少しだけ安心した。一生懸命に走った甲斐があったと言うものだ。
「まぁ、これはほんのお遊びじゃ。しかし、基本的な身のこなしを訓練するために使っておる」
すると、ギョウザは緑色の芝生へと向かった。それを見て、他の猫もついていく。
「よし、それでは次の訓練に入る。こちらが本番じゃ。ウニ、ワシの代わりに相手をしてやるんじゃ」
「わかった!」
ウニとロイは芝生の中央へと向かい合って立った。
「あんまり緊張する必要はないぞ! 俺は手加減くらいできるからな!」
そう言いつつもウニのような猫が手加減できるのか、ロイは少し不安だった。
「実戦訓練じゃ。爪を立てずに甘噛みするように噛むようにのう。相手の背中を地面につけた状態を維持した方が勝ちじゃ」
要するに猫の柔道だった。
「実際の喧嘩でも上側のポジションを取らんと攻撃が効果的にできんからのう。ロイはできるだけ上のポジションを取るように心がけるんじゃ」
「はい」
「ワシは審判をするからのう。興奮しても無茶はせんようにな。『止め』と言ったら止めるように」
ロイは正面のウニへと視線を動かした。ウニは少しだけ笑みを浮かべながら、自信ありげに立っている。思い返してみると、ロイは兄弟と戯れあったことくらいしかない。見守っている他の猫たちはロイの強さに興味があるようで、黙ったまま様子を伺っていた。
「では、構えて!」
ギョウザの声でロイは姿勢を正した。
「始め!」
声が響くなり、ウニは飛び上がって上方からロイへ飛び乗るように襲い掛かった。すぐにロイは足を踏ん張って衝撃に備えた。ウニの前足が叩きつけられるようにロイの体にのしかかる。その前足をかわすようにロイは右側へと体をくねらせた。ウニは素早くそれに反応するが、前足はロイの重心を捉えることができない。空ぶった前足を立て直すために、再び後ろ足で体を起こしていく。再びロイを上側から抑えようとしているようだ。
ロイはかろうじて前足を避けると、ウニの体を全身で押した。上から飛びかかろうとしていたウニの体勢は不安定そのもので簡単に重心がふらついてしまった。とっさにロイは体をねじらせてウニの攻撃方向へと重心を動かしていく。ウニも重心を動かして堪えようとするが、耐えきれずに倒れ込んでしまった。上側のポジションは入れ替わり、ロイがマウントをかろうじて取っている。
『しまった!』
ウニがそう考えたのも束の間、芝生へと倒れた瞬間、今度はロイが上からマウントを取った。完全に攻守交代していた。すると、ウニは前足でロイの顔面を押して、少しでも体勢を崩そうとした。しかし、それだけでロイの重心が崩れることはなかった。ロイは顔を一瞬だけ横を向いてウニの前足を受け流す。同時にロイは前足でウニの体を押さえつけるように踏みつけた。
だが、ウニの方が経験豊富だった。ロイの前足を避けるように下半身を動かして、再び立ち上がった。
『くそっ!』
ロイは惜しいところまでいったが、まだまだ爪が甘かった。マウントを取っても押さえつける動作に慣れていないようだ。
その後も、ロイとウニの攻防は続いた。結果として、ロイは三回のマウントを取り、ウニは五回のマウントを取ることができた。お互いに押さえつけることはできなかった。
「止め!」
ギョウザの声が上がると試合は終わった。ロイとウニは完全に息が上がっている。
「ロイは初めてにしては良い試合じゃった。才能があるのかもしれん」
ギョウザの言葉にロイは心の中で兄弟猫に少しだけ感謝した。幼い頃のじゃれあいも決して無駄ではなかったようだ。
一方のウニにとっては不本意な試合だった。肉まんと必死にトレーニングを続けたのに、試合が初めてのロイ相手に一本を取ることができなかった。心の中でロイの評価が上がった。ロイが本格的にトレーニングを積めば、じきに勝てなくなる気がしていた。ウニの体格は大きかったが、それでも拮抗した試合に惨めさを少しだけ感じていた。
「じゃが、マウントを完全に取ることができておらん。実際の喧嘩でもマウントを取った状態で相手に噛み付くのが基本になる。じゃから、当分、お主はトレーニングじゃな」
それを聞いてロイは、『えー、こんなの続けるの?』と心の中で思ったが、口には出さなかった。
「なんか嫌そうじゃのう。じゃが、三匹の猫に勝ちたいのなら、まず、お主らはお互いを鍛え上げる必要がある。明日から時間があれば、この家に来るんじゃ」
「わかりました」
「ウニだけじゃなくて、できればドニーも連れてくるんじゃよ」
そう言うとギョウザ長老は「疲れた」と言い残して家の中へと引き上げていった。
「俺たちはどうする?」
「私たちも少しだけトレーニングをしていくわ」
レミの言葉で、芝生の上でのトレーニングが始まった。
ロイは引き続きウニからテクニックを教えてもらっているようだ。なんだかんだウニは面倒見が良いようで、教えることに抵抗はないらしい。
レミとルルも肉まんから手ほどきを受けていた。
ウニから聞いたところによると、レミ、ルル、肉まんも弱くはないらしい。それどころかテクニックのおかげで普通の猫なら簡単にあしらえるようだ。
2時間ほどトレーニングを行ったところで、一同は解散となった。
「ウニと肉まんはギョウザ長老の子供なの?」
帰り道、ルルとロイは仲良く歩いていた。ルルの家はロイの家の近くだ。
「いえ、ウニと肉まんは長老の孫ね。両親は他の家に引き取られたみたい」
「なんで長老って呼ばれているの?」
「ギョウザ長老はこの一帯の長老会に所属していて、そこのリーダーをしていたのよ。だから、みんなギョウザ長老を長老と呼んでいるわ」
「長老会かぁ、そんな組織があるなんてちょっと驚きだなぁ」
「大きな組織ではないわ。この一帯の自治体のようなものよ。当然、テチハの件は既に問題になっていたみたいだけど、縄張り争い自体は珍しいものではないから、今の時点では介入しないみたいね」
「ところで、猫猫ネットワークってなに?」
「恐ろしい組織よ。長老会とは比較にならないわね。連中がどうやって独自のネットワークを構築しているか私には全くわからないわ。でも、悪い組織ではないし、捨て猫になった場合の救済措置を持っているから、所属した方がいいわね。私たち七匹も所属しているわ。あなたも紹介があった時には所属した方がいいわ」
「気になっていたことを教えてくれて、ありがとう」
「気にしなくていいわ。私も新米の時にはレミと肉まんに色々と教えられたのよ」
「他に知っておいた方がいいことってある?」
「そうねぇ、一つだけ言っておくわ。猫猫ネットワークの猫は魔法を使えるらしいのよ。それも他の猫に魔法を与えることもできるみたいね。だから、みんな猫猫ネットワークを少なからず恐れているわ。ただし、あくまでも噂だから本当に使えるのかは知らないわね」
「魔法なんて冗談でしょ?」
「知り合いが、猫猫ネットワークの猫が魔法を授けているところを見たことがあるらしいのよ。それに長老会の猫に噂を尋ねてみると、本当だって」
「どんな魔法が使えるようになるの?」
「基本的に授けられた猫も何が使えるのかを教えないし、使ったとしても周りも広めないからわからないわね。噂だと濡れない体とか、怪我や病気を治したりできるらしいわ。でも、私は見たことがないけどね」
「ふーん、なんかちょっと猫猫ネットワークには興味がわいたなぁ」
「でも、注意した方がいいわ。魔法を使える猫なんて、普通の猫は戦っても勝てないから、喧嘩を売らないようにしなさいね」
「うん」
「まぁ、あなたは喧嘩っ早い猫ではないから大丈夫だと思うけど」
「テチハはどこかの組織に所属しているの?」
「いえ、どこにも所属していない三人組ね。猫猫ネットワークでも長老会のメンバーでもないわ。既に確認したからハッキリとわかっているのよ」
「なら、喧嘩しても大丈夫なんだね」
「そうね。基本的にどこの組織もあのくらいの横暴じゃ介入したりしないから、今回の件は私たちだけで解決する必要があるわ」
「でも、喧嘩なんてしたことないんだけどなぁ」
「別に大丈夫よ。こっちは八匹で、向こうは三匹だから、数では勝っているわ。ただ、オス猫が三匹しかいないから、いざと言う時は不安ね」
「これからはトレーニングを続けるのかな?」
「ええ、テチハに勝てるまでは少しでもトレーニングを積んでおいた方がいいと思う」
話し込んでいると、一件の家の前へたどり着いた。他の家と同様にガレージと家が見える。敷地の大きさはこの一帯ではそれほど違いはないようだ。
「ここが私の家よ。これからは何か用事があったら、この家に来るといいわ。じゃあね」
「うん、また明日」
一言だけ簡単に声をかけると、ロイは自分の家へと帰宅した。明日からのトレーニングに備えて少しだけ多めに食事を取ると、ゆっくりと眠りについた。
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