008_百合と性的消費についての課題あれこれ 序論

 百合というジャンルの消費ついて、定期的に批判的なコメントが出てくる。

 そのまま引用して検索でもされてしまうと余計に火種を生むかもしれないので少しぼかすが、

「百合は複数の女性を消費したいオタクに使われている言葉だから嫌いだ」

という旨のことを言っていたように思う。

 これについて言及してツイートしようと思ったのだが、私はツイッターの使い方が下手で思考の結果だけをツイートするだけになってしまう。私はものを考えるときに、必要以上に回りくどく考えたり、悩んでいる二つの立場を両方残したまま話を進めたりして読み手or聞き手に過度の負担をかけてしまうことが多いので、とてもツイッター上で表現することはできない。思考の結果をツイートしただけではさらに争いを読んだり、同じ意見同士が固まったりするだけで特に何も状況が進展しないことが多いように感じるので、一度ある程度の文章に書き起こしてみることにした。

 この文章だけでは結論は出せないと思う。続きを書くかもしれないし、思考が熟すまで書かないかもしれないが、出発点だけでも示すことができればいいかなと思う。


以下本文。1700字くらい。


 結局のところ百合は性的消費なのか、それとも主体的な女性を描いたジャンルなのか。百合はどちらの役割を担っているのか。それは常に問われ続けているテーマだと思う。

 百合の論争やジェンダー論などで頻出の言葉として「対象」と「主体」がある。学術的で明確な定義を理解できているわけではないが、使用される文脈を見れば、なんとなくその言葉が担っている意味を取ることは出来るだろう。いわば、ある人間やキャラクターが人格を尊重されないものとして扱われたり解釈されたり消費されたりするとき、そのキャラクターが対象として消費されていると言えるだろう。そしてその逆の場合、つまり人格を尊重されて、勝手に解釈されず、背景や意思を持った人間として扱われるとき、主体として扱われていると言えるだろう。


 さてこの主体─客観の見方は、この批判ツイートをした主にも適用できるであろう。上記の「百合は複数の女性を消費したいオタクに使われている言葉だから嫌いだ」という主張は、現時点で多くの批判にさらされている(ここからはこの主張のことを主張Aとし、この主張をした人を主張者Aとする)。既に百合のジャンルで長い経験を積んできた人やジェンダー的な当事者、そしてその道の研究者などからのものが多いだろう。


・百合はそのような女性を対象と見るジャンルではない

・女性を主体的に描くジャンルである。

・関係性を描くジャンルである

・百合というジャンルの元々の起源は……


 こうした反論は、真剣に考えられた根拠のある反論ではあるのだが、しかし主張者Aからすればそれは外部から突然投げつけられたものに過ぎない。これはいわば、主張者Aを対象として扱っている。

 主張者Aを主体として見るとどうなるだろうか。主張者Aは、このいわゆる「百合を性的に消費するオタク」を実際に見たのだ。そしてこれはおかしいのではないかと思い、どうやらこのオタクたちが言っている「百合」という呼称に侮蔑的なニュアンスが含まれているようだと感じたのだろう。だから主張Aをツイートした。

 しかしそれは同時に研究者やジャンル経験者(いわば専門家)からすれば、本流を外れた解釈であり、間違った言葉の使い方であった。私はここで、本流から外れた意見も受け入れるべきだとか、反論した人たちは冷静になるべきだなどと言いたいわけではない。ただ、役割があるのだと思っている。

 専門家は主流を守り、界隈がおかしな方向に行かないことを防ぐ役割を持っている。だからこそ、主流から外れた意見に対しては正しいとされる解釈で批判するし、いちいちそれらの意見に寄り添うようなことはしない。役割上、相手を対象として見なければ成り立たないのである。

 しかし私のような辺境のアマチュア百合作家、しかも属性的に百合の内部には入っていけないような人間は、目に付いた気になった意見について好きなタイミングでコメントするくらいの役割しか与えられていない。であれば、一度この主張者Aや主張Aを主体として捉えてみたい。そのような余裕が与えられているのだから、「攻め」の姿勢で動いてみてもいいのではないかと思うのだ。

 主張Aを主体として捉え、何を否定したかったのかを読み取っていくことで、百合につてより進んだ考え方を取り出せるのではないかと思っている。

 何を言いたいのかというと、主張Aは実際に「消費するオタク」を見たという経験から直接取り出された純粋な主張であり、ここから出発した上で百合は性的消費をするためのジャンルではないという主張に発展させるという道筋も探してみるべきなのではないかと思っているということである。


 なぜ主張Aのような誤解が生じてしまうのか。主張者Aが見た「消費するオタク」は実在するのか。するとしたらその功罪は何か。「消費するオタク」とはもしかして我々のことではないか。作り手と受け手はそれぞれどのように百合と向き合うべきなのか。実在する当事者を、私たちは蔑ろにしているのか。誠実な態度とはどのようなものか。異性愛者の男性はどのように百合と向き合っていけばいいのか。


 課題は山のようにある。

 少しずつ、噛み砕きながら考えていきたい。

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