006_哲学の棚卸 番外編:右翼と左翼の間で引き裂かれ続ける

<はじめに>

 思想について悩んでいることをつらつらと書きます。

 思想というのは、この思想を持っているから良い・悪い、といった話ができるほど単純なものではない。心から納得できるかどうかは、説得やバッシングだけで変えられるものではないのだから。


 自分の思想の変遷について語っている初回で、私は「右翼思想に限界を感じてやめようとした」という説明をした。そこでは、詳しいことはまた別の機会に話しますと言ったのだが、ある程度自分の悩みが明確になってきたのと、表明する勇気が少し出てきたので自分と右翼思想との関わりについて書いてみることにする。

 ツイッターでもよく、自虐的に自らを「元ネトウヨ」とか「どす黒い愛国心」を持っているとか言ったりするが、その理由となる話をしようと思う。


 今の私の政治的思想は、普段のツイートや発表している作品・読書会での発言の通りです。しかしここでは、かなり偏った思想を開陳したり紹介したりすることになると思うので、不快に感じたら読むのをやめてくださって構いません。


<思想の軸を決められなくてずっと悩んでいるという話>

 私はいつも右と左の狭間で引き裂かれるような思いをしている。

 何の話か? 思想の話だ。経済の話でもあるし、政治の話でもある。

 注意しておきたいのが(これは自分自身に対しての注意でもある)、右と左の狭間にいるというのは、右でも左でもない中立の場所に立っているということではない。むしろかなり偏っている。他人に堂々と表明できそうにない思想を心の底に飼ってすらいる。

 自分のことを指して右でも左でもないと言っている人たちは、新興宗教の教説を科学で説明しようとしている人たちと同じくらい危険で怪しいと思ったほうがいいだろう。

 自分で中道を名乗るものと、自分で「科学的」を名乗るものは、総じて何か後ろめたいものを隠している。

 それはさておき、私はいつも、この社会にある様々な問題に対して左巻きになったり右巻きになったりして一カ所に落ち着くことができない。例えば夫婦別姓や女系天皇などの話については、ドシドシやればいいという立場だ。そういう意味では右翼からはかなり嫌われそうな思想を持っているし、非国民だとか言われてしまう立場だ。しかし、アークナイツというゲームで靖国神社に参拝した声優が降板させられたときは心の中がもやもやした。私の中の右翼の部分がこんなことが許されるのかと叫んでいたが、左翼の部分がなんとか落ち着かせてくれた。被害を受けた側の国としてはこのような処置が妥当だろう。日本人がどのような祖先信仰をしようと、歴史的な加害者-被害者の関係を変えることはできないのだから。

 なぜこんな話をしているのかというと、これは私だけの悩みではないのではないかということだ。新しい、先進的な思想を常に取り入れてアップデートしていきたいという望みを持ちながら、それと相反する愛国的・全体主義的な思想も同時に持ってしまうジレンマ。

 戦後に生まれた人たちは多かれ少なかれこの揺らぎの中で生きているのではないだろか。

 私は太平洋戦争※についての歴史認識を何度も転換させてきた。その転換の経緯について振り返って、現状の悩みについての解像度を上げたいと思う。


※この呼称にすら重大な政治的立場が張り付いている。これを大東亜戦争と呼ぶことはまた別の政治的立場の表明になるだろう。


<小学生時代:最も純粋な戦後の史観>

 最初は小学生の頃だ。どの科目として学んだのかは分からないが、日本とアメリカが戦争して大変なことになったことがあるということを知った。また、ドラえもんに時々出てくる戦争回を読んだり、当時見ていたテレビ番組の特集を観たりと知識を無意識に集合させていく中で、なるほど日本が暴走して戦争になったのか、という漠然とした歴史観を育んだ。


<中学生時代:「自虐史観」と大東亜共栄圏の思想に挟まれる>

 次に中学に入って、うちの学校の歴史の先生の中に特に平和について熱心に研究・教育されている方がいて、その先生の授業を受けていた。その先生の授業では、ドイツがユダヤ人に対して行った行為や、日本が韓国や中国で行った行為について、資料も混じえながら詳しく解説された。

 日本の韓国併合や植民地政策、満州国という傀儡国家の樹立。朝鮮半島・中国大陸での、戦争行為を越えた非人道的行為。その内容は今の右翼に言わせればそれこそ「自虐史観※」とでも呼ばれるようなものだった。


 ※軽率に人様の歴史認識を自虐史観などと呼んで負のレッテルを貼って批判する風潮がある。こうしたレッテル貼りは、言論を硬直させてしまうと同時に、自分の思想の成長を止めてしまう呪いでもあるのでやめたほうが身のためではないかと思う。右翼だけの話ではない。「唯物史観でないもの」を攻撃しつづけたソ連だって、それで壊れてしまった。(それだけが原因かはわからないが、この排斥癖は明らかに共産主義国家を蝕んでいたと思う)


 私はその先生の授業を聞いてなるほど大変なことを先祖はしてしまったんだと思ってあまり疑問を持つこともなく納得していたのだが、私の親がどちらかというと右翼的な思想の持ち主で、習ったことを話したときに何を言っているんだと驚かれた。その先生の言うことをあまり信用してはいけないと言われた。

 韓国の併合は韓国に頼まれてしたことなのだし、植民地政策だってちゃんと土地の開発してインフラを整備したり大学を建てたりした。韓国にはもう謝ってお金を払っているし、中国での虐殺は向こうが主張する死者数があまりも現実離れしているから嘘だ。

 といった話をされたのだと思う。思い出しながら書いたというよりは、一般的な右翼思想者の定説と合わせながら書いた感じだが、大体このようなことを言われたはずだ。いわゆる「アジアを西洋の魔の手から解放して大東亜共栄圏を作ろうとした正義の日本」を肯定する立場である。

 私はまだ未熟な中学生だ。先生と親のどちらが正しいかなど分かるわけがなかった。今思えば「情報」などの授業で図書館の使い方や本の資料の読み方について習っていたのだから、その知識を活かすなり図書室の司書の先生に疑問を率直にぶつけて資料を探してもらうなどして調べればよかったのだが、そこまで頭の回る学童ではなかった。

 そうして混乱したまま、歴史認識についてどちらの立場も取ることができないまま高校生になり、私はインターネットと『艦これ』に出会う。


<高校生時代:艦これとの出会い、そしてネトウヨへ>

 中学生の頃からスマホを持ち始めたが、特にスマホでのネットサーフィンに依存し始めたのが高校1年の頃だった。同時に『艦これ』という第二次世界大戦期の艦艇を「艦娘」という女性に擬人化したゲームと出会って、一気にのめり込まれた。『艦これ』はストーリーなどはなく、ただゲームのシステムや世界観(人類を脅かす深海棲艦という敵を艦娘たちが沈めたり沈められたりする)、そしてキャラクターの元ネタとなった艦艇の史実があるだけだ。すると何が起こるかというと、史実に絡めた二次創作があちこちで制作される。さらには、自分でもその艦艇について、太平洋戦争の中で何があったのかを調べるようになる。

 そういったコンテンツに触れている中で、明確に自分の中で何かが変わり始めていた。戦争の中で死んでいった日本の兵士達を、改めて「その時代を生きた人」として認識するようになった。

 これまでは良くも悪くも「日本が暴走して戦争して、日本人も含めてみんな大変だった」というかなり純粋な歴史認識だったのが、自分と同じアイデンティティを持った人間たちが、列強国同士の衝突という力場の中で生きていたということに対してかなりナショナリズムを刺激された。大東亜共栄圏という言葉もそのタイミングで知り、あの世界情勢の中で日本にしかできなかったはずのことを本当にやろうとした人がいたのだと、信じるようになった。

 そこからは2chの保守系まとめサイトなどにも手を出してしまい、転げ落ちるようにネトウヨとなった。

 家のテレビでは『そこまで言って委員会』を観て、ニコニコでKAZUYA Channelを観て、YouTubeではチャンネル桜を観て、百田尚樹氏の『海賊と呼ばれた男』を読んで感動し、井上和彦氏の話を聞いて強兵政策を支持し、青山繁治氏の活動を全力で応援していた。

 見慣れない単語が複数出てきて戸惑った人もいるのではないだろうか。分からない人はこれ以上知る必要はありません。ドン引きした人、その反応で正しいと思います。

 これらは知的水準もバラバラで並記するべきではないのでは? と思った人、あなたもその通りなのだと思います。

 ただ、私はまだ思想が固まっておらず、自分がネトウヨとして生きた過去をひとまとめに否定することしか出来ないから、上記がそれぞれどの程度に危険なのか、あるいは危険ではないのか、それを判断することができないのだ、と正直に書かせていただく。


<大学時代:共産主義への傾倒 そしてフィリピンでの衝撃>

 同じく高校時代からはまっていたミリタリー作品に『ガールズ&パンツァー』がある。それを期に、ソ連軍歌の魅力の虜になった。その後は軍歌全般を、国に関わらず文化として好むようになった。ここから少し日本や枢軸国一辺倒の思想から足を引き始めることになる。

 大東亜共栄圏の幻想についても、たくさんいた兵士の中には、本当にそれを信じて頑張ろうとした人がいたのではないのか、その思いを無下にはしたくないなあ、といった少し妥協した意見になっていた。

 私は大学時代にNGOが主催している社会見学でフィリピンに行った。その時に戦争体験者の話を聞くことがあった。太平洋戦争の史跡や歴史博物館、モニュメントを見たり、実際に戦争を経験した人の話を聞いた。現地の人やNGOの人に解説してもらったが、フィリピンの歴史観の中で、日本人が良い印象を持たれているとはどうしても感じられなかった。また、戦争体験者は、日本兵士にホースで水を飲まされる拷問を受けたことを話してくださった。

 これらの経験は後から自分の中で衝撃が大きくなっていった。

 いくら本当に理想を持った人がいたとしても、こんなことで大東亜共栄圏など作れるわけがない。そもそも建前なのだが、建前を建前として運用することすらできていない。 ある意味、ネトウヨにとっては「台湾や東南アジアの親日感情」は最後の命綱なのだ。そしてそんなものは初めから存在しないのだと知らされてしまった私は、もはや右翼として生きていくことはできなくなった。

 どれだけ理想があったとしても、かろうじて正の側面があったとしても、その裏で自国の利益のために多くの人を不幸にしてしまっているなら、それはまったく褒められることではない。

 もしかしたら台湾、ベトナム、インドネシア、パラオなどで社会勉強をしていれば違ったものを見ることができたのかもしれないが、私が見たのはフィリピンの現実だ。

 そして「あの国は感謝してくれているはず、あの国なら……!」と過去を肯定してくれる国を探し続けることは、とても虚しいことなのだと気づいた。今の日本を誇れるものにしていくしか道はない。


<右翼思想から脱出と、右翼思想からの重力>

 私は右翼思想から脱却しなければならないと思った。しかし、思想というのは思うだけでできるものではない。少しずつ新しい思想を自分の中に取り入れていった。その結果が今の自分なのだが、どう見えているのかは正直わからない。

 ただ、自分の中にずっと残っている右翼的な思想を常に感じている。やはり私は、日本人が歴史の中で「担うべきだったもの」に今でも心を惹かれている。と同時に、それを遂行せずに西洋列強の一部に成り果て、一緒に帝国主義的な植民地の奪い合いに参加てしまった過去の日本を恥じている。

 よく、日本の植民地政策の擁護として「当時はこれが普通だった」とか「イギリスやフランスはもっと酷かった」などという右翼がいるが、イギリスやフランスと同程度(あるいは慣れていないのだからもっと酷いかもしれない)のことしかできなかった日本を情けなく思わないのかと思ってしまう。

 これはこれで保守的というか、右翼的というか、むしろこじらせた愛国心かもしれない。冒頭で「どす黒い愛国心」と言ったのはこれのことである。

 結局、祖先や自分のアイデンティティが誇れるものであってほしいという、非常に「右翼的なもの」をずっと持ったままになっている。これを捨てることは、どれだけ理性で考えてもできなかった。だから私は常に右側へと引きずり込まれている。

 そんな重力と、私はいつも格闘している。

 同じ悩みを抱えている人、いますかね……?

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