2 魔法使いと
シンデレラをドレスアップして、カボチャとネズミを馬車に変えたとか。
パーティに呼ばれなかった腹いせに、糸車に眠りの呪いを仕込んだとか。
昔からおとぎ話に登場する“魔女”たち。
(魔法使いか……)
それらが現実のものと
でも詳細は不明。一切が不透明。魔法使いは神秘主義で、秘匿するのを好んでいるからね。僕らからしてみれば、お隣に住む異邦人、って感じだ。差別的に見る一般人もいないことはないけれど、魔法使い自体が極端に少数な上に、あまり関わりを持つこともないから、それが表面化することはめったにない――っていうのは最近の話だけどね。二十世紀の百年間は、一般人と魔法使いの間でさまざまないざこざがあって、かなりおおっぴらに敵対していたらしい(歴史の授業、ほとんど寝ていてごめんなさい。特に近現代史は好きじゃないんだ)。二十年前だったかな、それくらいに最後の“魔女狩り”――つまり一般人による魔法使いの虐殺事件があって、それっきりだ。
(別に、そこまで怖いとは思わないんだよな)
魔法庁の長官はたまにテレビで見かける。がたいがよくて、元々スポーツマンだったんだろうなと思わせる、爽やかな感じのおじさんだ。きっと魔法使いの中でも特に見栄えのいい人が長官に選ばれているんだろう、というのが僕の見解。
そんな風に思えるほどには、僕も人並みに彼らのことを恐れていなかった。僕が人並み以上に恐れるのは、理解不能で計測不能のもの、幽霊とか悪魔とか、顔を合わせても対話が不可能っぽい連中なわけで。
(対話さえできれば怖くない。……はず)
まぁどちらにせよ関わりはしないだろう。まったく興味がないと言ったら嘘になるけれど、分別は勇気の大半って言うし。なんてのんきに思いながら、ひょいと立ち上がって上着を椅子の背に掛けた。
扉が叩かれたのはそのときだった。
「あ、はい! どうぞ!」
ルームメイトが来た! うわずった声で返事をすると、ひらり、扉が開いて――
――目の前が真っ赤になった。
そう思ってしまったほど、彼の着ていたロングコートは鮮やかな赤色をしていた。
「こんにちは」
「やぁ、どうも」
彼はするりと入ってきて、特に何も言わず左側にスーツケースを置いた。かなり使い込まれていそうなのに、きっと大切に扱っているのだろう、とても綺麗な銀色のスーツケース。
それから彼はクローゼットに頭を突っ込んで、「うん、うん」と何やら頷くと、コートをハンガーに掛けた。くるり、踊るように軽やかなターンで大きな五歩、それで彼は窓際に着くといきなり開け放った。
レースのカーテンが翻った。彼の紺色のジャケットの裾も。首の後ろでくくられていた長い黒髪も。
夏の終わりを告げる風。
あるいは、秋の始まりを運ぶ風。
彼は背伸びをして窓の外に上半身を突き出し、また「うん、うん」と頷いてから窓を閉めると、振り返って僕を見た。そこで僕は初めて、彼が黒縁の眼鏡をしていることや、俳優のように端整な顔立ちをしていることや、驚くほど美しい黒い瞳を持っていることに気が付いたのだった。吸い込むように深く煌めく黒。身長は僕より
「はじめまして。これからどうぞよろしく」
明瞭な発音と一分の隙もない微笑み。やや遠目に保たれた距離感は、そりゃ初対面なんだから当然だろう。いきなり馴れ馴れしいよりはずっと好印象だ。
「こちらこそよろしく。呼び方を教えてもらっても?」
「ウルフです。アーチボルト・ウルフ。こちらも、同じことを聞いていいですか?」
彼が名字のほうを言ったから、僕もそれに倣うことにした。
「ロドニー。ヘンリー・ロドニーだよ」
僕らは軽く握手をした。彼の手のひらは堅くて冷たかった。
彼は少しだけ切り出しにくそうに僕を窺った。
「あの、先に言っておきたいのですが」
「うん、何? 何でも言ってよ」
共同生活になるのだ、何かあるなら先に言ってもらったほうが都合が良い。宗教のことだろうか、スポーツのことだろうか。特にこれと言ってこだわりを持っていない僕は、愛想よく先を促して、
「私は
さらりと続けられた言葉に絶句した。ぱちぱちぱち、瞬きをn回。そして飲み込むのに失敗した彼の言葉を、そのままオウム返しにする。
「……え? 魔法使い?」
「はい。この通り」
ウルフははっきりと頷いて、胸ポケットから黒い革の手帳を取り出した。金色の六芒星が描かれた――ああ、常識として知っている、あれは――国家に認定された魔法使いの証。
「アンブローズ・カレッジ――魔法専門学校を卒業して、正規の資格を取得しています」
「え、君が、魔法使いって……魔法使いって、あの?」
「何と比べて“あの”といっているのかは知りませんが、そうです」
「あの……ほんの数パーセントしかいない……」
「魔法使いの人口は全体の約〇・〇〇四パーセントです」
頭の中で半自動的に数字が飛び交った。
「二万五千人に一人ってこと?」
「計算上はそうなりますね」
彼はひょいとベッドに腰掛けた。それから折り目正しい口調で続ける。
「日常生活で魔法を使うつもりはありませんが、少なからず癖になってしまっている部分があると思います。できるだけ気をつけますが、もし気になるようでしたら部屋を変えてもらってください。今ならまだ間に合うかと思いますが」
「ああ、いや……うん……」
僕は曖昧な返事をして、スーツケースの中を開け始めた彼をぼんやりと見やった。魔法使い――魔法使いだって? 彼が? このすらりとした優しげな、同い年にしてはかなり礼儀正しい奴が、魔法使い?
それは僕が勝手に抱いていた“普通の魔法使いのイメージ”とかけ離れていた。テレビに映るような政治家の魔法使いではなく、いわゆる魔法使いといったら、もっと浮世離れした――どちらかというと、汚くて気難しくて近寄りがたくて
ふいにパチッと目が合って、彼をまじまじと見つめていたことに気が付いた。気まずいのを誤魔化すように笑って、ベッドに腰を下ろす。
「部屋、変えてもらうなら早いほうがいいですよ。寮はすぐに埋まってしまうでしょうから」
彼の言い方は淡々としていた。そうされることを当然だと受け止めているようだった――異質だから、という理由で、疎外され捨てられることを。
そう思ったときにはすでに言葉が出ていた。
「君って煙草吸う?」
その聞き方があまりに唐突だったせいか、彼は一瞬戸惑ったような間を開けてから「いいえ、吸いません」と答えた。
「よかった。僕、煙草のにおいって苦手なんだよね。助かった」
わざとらしくそらしてしまっていた目線を戻すと、再び彼と目が合った。宇宙のような底知れなさをたたえた暗い瞳。すべてを吸い込もうとする、それはまるでブラックホールだ。小さな恐れが背筋を走る。
でも、少なくとも幽霊でないことだけは確かだった。ちゃんと実体があって、透けていなくて、対話ができる相手だった――今のところ、僕と“違う”って感じはまったくない。
僕はスーツケースを引き上げて、中身を開ける片手間に言った。
「北の食堂が開くのは明日からなんだって。だから、後で外を探索してみない? 夕飯の場所を探しながらさ」
返事までに少し間があったのは、きっと飲み込むのに時間がかかったからだろう。なんて言ったって僕らは初対面なんだからね。そんなのは当たり前だ。
それから紳士的な声が返ってきた。さっきまでよりも柔らかさが増している、とは僕がそう思いたかっただけだろう。
「ここへ来る途中、よい雰囲気のパブをいくつか見かけました。もしよければ」
「いいね、行ってみよう。北東の坂道のほう?」
「そちらは少し敷居が高そうでしたね。それよりは南のほうが私たちには向いているかと思うのですが、どうでしょう?」
「素晴らしい意見だ。飲むのは好き?」
「紅茶の話ですか? それともお酒?」
「どっちだって同じだろ。なくちゃ生きていけないんだから」
おどけて言うと、彼は「その通りですね」と軽く笑い声を上げた。その慎ましやかな笑い方は、彼の第一印象をよりよいものに仕立て上げた。(僕はわざとらしく大声で笑う奴がそんなに好きじゃないんだ。)
こうして、僕の新生活は――校舎が怖い、という大問題だけを残して、それ以外はなかなか好調に――滑り出したのだった。
暗転するのはもうしばらく後のことになる。
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