11 そうしてどうにか勝ち切りたい
「私たちの勝利条件は、アンドリューズとホール教授の転落がなぜ、誰によって、あるいは
彼の口調は、丁寧だけど棘のない感じに戻っていた。それが嬉しくて、必要以上に力強く「うん」と頷いてしまう。
「それで――」
メモ帳をぱらりと開いたウルフは、すぐにそれを閉じて立ち上がり、僕に返しながら言った。
「調べてきたことを教えてもらえますか?」
「読めないほど悪筆だった?」
「法則を教えていただければ読めると思うのですが」
「ああ、そっか」
素早く書くために省略しまくったんだった。自分にだけ分かる法則で書けば、それはもはや暗号も同然。
僕は椅子に後ろ前に座って、背もたれに顎を乗せながらメモ帳をめくった。
「エイト・ブリッジに行って、いろいろと聞いてきたんだ。まず、先週――十月七日土曜日に階段から転落した、マックス・アンドリューズについて。これが学生証」
「なぜこれを?」
「彼がここへ来たときに落としていったんだよ。返してあげようと思ってたんだけど、タイミングを逃しちゃってさ」
「なるほど」
「転落した時刻は午前十一時二十分頃。二十五分までには救急車が来て運び出されてるね。彼の部屋は三階にあって、その三階から二階に行く階段で落ちたらしい。彼は悪名がかなり高くてさ。借金しまくってるとか、借りた物を返さないとか、そういう話ばっかりだったよ」
おかげで“自業自得だ”って雰囲気が漂っていたから、いろいろと聞き出すのは簡単だった。
「ここからはトップ・シークレットなんだけど、ほら、エイト・ブリッジって男子寮で、女子の立ち入りは禁止されているだろ?」
「ええ、そうでしたね」
「ところが、裏門には防犯カメラがないから、そっちから女の子を連れ込む連中が結構いるんだって」
ウルフが呆れたように笑った。
「ばれたらお目玉どころではすまないでしょうね」
「だろうね。だから絶対に言うなって脅されたよ。で、アンドリューズはその筆頭だった。週に何回も、しかも取っ替え引っ替えしながら連れ込んでばっかりいたんだって」
だから“神罰だ”とかって言う奴もちらほらいた。
「問題は目撃証言かな。アンドリューズが落ちる瞬間を見ていたのが二人いたんだけど、そのうち片方が、赤い服を着た人物が突き落とすのを見た、ってはっきり言ったんだ。間違いない、ってさ」
「もう一人は?」
「見えなかったって。たぶん角度の問題だね。エイト・ブリッジの階段は半分下りたところで、こう、百八十度折れ曲がるタイプのやつなんだ」
「なるほど。彼が主張していた呪いの件は聞いてきましたか?」
「ああ、聞いた聞いた。呪いだとは言ってなかったけど、不幸続きだったのは確かみたいだね。財布をなくしたとか、携帯が壊れたとか、そういう愚痴を吐きまくってて、ここのところずっとイライラしてたって」
「うん、許容内ですね」
「ん? 何が?」
「それらの不幸はすべて、小さなお隣さん――つまり
その単語はあまりにもなじみのないものだったから、当然僕が聞き間違えたのだと思った。けれどウルフは当然のように話を続けていく。
「覚えていますか? 先週、彼がこの部屋に来た後、私は君を追い出したでしょう」
「あー、うん、そうだったね。覚えてるよ」
すべて鮮明に思い出せた。誰もいないはずの部屋に向かって話しかけるウルフの声。
「あのとき部屋の中には、アンドリューズにくっついてきた“小さな隣人”が二人いたんです」
「……つまり、妖精が?」
「ええ。すみません、呼ばれたと思って寄ってくることがあるので、あまり直接的な呼び方はしないのが習わしなんです」
へぇ、と僕は頷いた。さっきちらりと覗いた魔法法に規定されていたさまざまな条項――ナナカマドの下でジンジャードリズルケーキとカモミールティーを同時に食べてはいけない、とか、そり残した髭を三日以上放置してはいけない、とか――に比べたら、まだまともな習わしだ。
「小さな隣人は人間にちょっかいを出すのが大好きなんです。置いてある物の位置をずらしたり、本の同じ行を読むように視線を誘導したり、基本的にはその程度の、たいして害にならない悪戯をします。で、混乱する人間を見てくすくす笑って去っていくのですが」
「わりとイメージ通りだな」
「フィクションはよくできていますよ。たぶんアドバイザーがいるんでしょうね」
「しかし本当にいるんだね。現実は小説よりも奇なり、ってわけか」
「ロード・バイロン」
「誰それ」
「その言葉を言った詩人ですよ。知らないで言っていたんですか?」
信じられない、って感じの目をされたけれど、誰もが君のように好奇心の塊ではないんだよ。それにまさかこの言葉に出典があるとは思っていなかったからね。
「そんなことよりさ」
「ええ、話を戻しましょう。彼らは基本飽きっぽい性質なので、すぐ去ってしまうのですが、条件がそろうと長くまとわりつくことがあります」
「条件?」
「ええ。彼らは人間同士の諍いが大好物なんです。恋愛が絡むとなお良いですね」
「喧嘩中のカップルとかがいると、その人の傍に居続ける、ってこと?」
「そういうことになります。そのうえ、彼らは人間の影響を受けて性質を変える、という特性を持っています。つまり、善意を受け取れば善意を、悪意を受け取れば悪意を身につけ、それに合わせて悪戯の性質も変えるということです」
「ということは、バッチバチの喧嘩をしている人の傍にいると妖精――じゃないや、小さな隣人さんも、つられて凶暴になっていくってことかな」
「完璧です。そして、悪戯もエスカレートしていくというわけです。アンドリューズについてきた小さな隣人は、明らかに悪意を受信していました。あのときに扉を開けたのも彼らでしょうね」
私が困ると分かっててやったんです、とウルフは眉をひそめた。
「その悪戯が命に関わるほどになった場合、魔法庁による取り締まりの範囲に入ります」
「ああ、それで“許容内”か」
「ええ。器物損壊はセーフですので」
「セーフなんだ……」
けっこう緩い規定だな、と思ったとき、ふと邪悪な想像が脳裏によぎった。
「じゃあさ、凶暴性を得た小さな隣人さんが、人を突き落とす、ってことは……?」
「ないとは言えません。“突き落とす”という表現はいささか不正確ですが」
「というと?」
「もし小さな隣人が手を出していた場合、それこそただの事故として処理されます。彼らにできることは、せいぜい致命的なタイミングで足を滑らせるようにいじるくらいですから。目撃証言と食い違います。それに、アンドリューズにくっついていた二人は、あのときに彼らの生息圏へ送り返しましたから」
「なるほど」
それで“帰ってください”とか“今更羽が濡れることを気にするなんて”とか言ってたのか。解答が腑に落ちて、その体積の分だけ腹の底にわだかまっていたモヤモヤが押し流される。
「それじゃあ、やっぱりアンドリューズは誰かに突き落とされたのか」
ウルフは軽く頷いた。
「小さな隣人に悪意を受信させた人物、つまりアンドリューズともめていた人物がいるはずです。その人を探るのが一番の近道かと思いますが、候補は?」
「ええと、関係がありそうなのは、恋人のフィービー・クームズかな。金髪でグラマラスな美人だって。最近、アンドリューズが浮気してたのが彼女にばれて、大喧嘩してたらしい。あとは、彼と一番仲が悪いって評判のジョナサン・ジュール。部屋が隣同士で、よく女性の連れ込みについて言い争っていたらしい」
「なるほど」
ブラックホールは情報を飲み込んで、いったんまぶたの向こうに沈んだ。それが再びパタリと開く。
「その二人とホール教授に関連はありそうですか?」
「どうだろうね。クームズはグランリッドの子じゃないみたいだから、関連はなさそうだよ。ジュールは教授に習ってたと思うけれど、残念ながら部屋にいなくて話を聞けなかったんだ」
ウルフはあまり気にしてなさそうに「それは残念ですね」と肩をすくめた。
「やっぱこの二件って関連があると思う?」
「さぁ、どうでしょう」
曖昧に首を傾げる。
「関連があれば絞るのが簡単になる、というだけで、必ず関連していなければならない、というわけではありませんから。推理小説じゃあるまいし、偶然重なったということもありえます」
「確かにね」
「ホール教授に関することは聞いてこなかったんですか?」
「まさか、ちゃんと聞いてきたよ。ろくなことは分からなかったけどね。すごく厳しい、ってことで有名だったくらい。規則に細かくて融通が利かない、ってわりと嫌われてたけど、でも、なんていうの? 普通の嫌われ方――厳しい先生に対してみんなが思う普通の感じだったかな」
「憎まれている様子はなかった、ということですね」
「ああ、そうそう、それだ。怖がられていただけで、憎まれてはいなかった。それだけだね。教授のことは他の先生たちに聞いたほうがいいかも」
「そうですね。サマーヘイズ刑事のお話では、十時半頃に散歩から帰ってきた教授の姿が確認できているとのことでしたから――と、そうだった、先に確認しておきましょう。サマーヘイズ刑事の情報、つまり遺体の痣の件から、ホール教授は殺害されたものと仮定して話を進めようと思うのですが、いいですか?」
「うん、大丈夫」
「では、犯行の時刻は十時半ごろでしょう」
「どうして?」
「サマーヘイズ刑事が言っていたでしょう? ホール教授が散歩から戻ってきたのは十時半頃で、雨で足を滑らせたんじゃないか、と」
「そっか、死亡推定時刻がその辺りだったから、そういう事故だろうって思えたのか」
ウルフは深く頷いて、足を組み替えた。
「では、現状を整理しましょう」
「了解」
「君の情報のおかげで、どちらの事件も
「うん」
「とすると、最初に確認した勝利条件を達成するためには、実行者を見つけ出すのが一番でしょう」
「そうだね」
「より分かりやすそうなのは、アンドリューズのほうだと思います。すでに候補が二人挙がっていますから。なので、アンドリューズ転落事件から探っていきたいと思うのですが、どうでしょう」
僕は二つ返事で「賛成」と言った。
「では、まずアンドリューズ本人に話を聞いてみたいと思うのですが……」
「入院先は分かるよ。病室までは分からなかったけど」
「病院さえ分かればあとはどうとでもなります。さっそく、明日にでも行ってみませんか?」
「オーケー、そうしよう」
彼の目はご機嫌な猫のように細まった。
その夜は一週間ぶりによく眠れた。やっぱり心配事はさくさく解決に乗り出すに限るね。
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