10 賭けるに足りる価値が欲しい

 傍証になり得る情報は信憑性の低いゴシップ記事ばかりだった。エイブラハム・ウルフは家族に関する情報が流出することをひどく嫌っていたらしい。それでも、第二子が生まれたみたいだとか、子どもが魔法学校に入ったようだ、なんていう噂は拾えた。ちょっと僕の仮説にとって有利な証拠ばかり拾ってしまっているような気がするけれど、時間がないから精査は後回し。

 魔法使いに関しては基礎的なことだけを調べて、図書館を出た。

 次に目指すのはエイト・ブリッジ。さっき駆け下りたキャンデラ・ストリートを今度は駆け上がる。

 もろもろの調べ物を終えて自分の寮に戻ってきたときには、辺りはもう真っ暗だった。


(あとは確認をとるだけ!)


 それが一番きついんだけどね。なんて言ったってあのブラックホールと真正面から向き合わなくてはいけないんだから。

 でも、


(違いに目を瞑ることと、違いを受け入れることとは、別のこと)


 マダム・バルコニーの言葉が胸の奥でお守りのように光っていた。その光を頼りにして、逃げ出したい衝動を抑え込みながら寮へ入る。

 と、応接室の扉の脇に、数人の男子が固まってへばりついていた。


「え、みんな何やって――」

「しぃっ!」


 素早く振り返ったリトルが僕に向けて“声を落とせ”“しゃがめ”とジェスチャーをした。


「何してんの?」

「魔法庁の人間だってよ、ほら」

「え?」


 扉はガラス製で、中が見えるようになっている。ちらりと覗くと、テーブルを挟んだ一方のソファにウルフが、もう一方には三十代くらいの男女が座っているのが見えた。

 息を潜めて耳を澄ませば、かろうじて会話が聞き取れる。鋭い女性の声。


「――から、ここをやめて魔法界に戻れ、ウルフ。これ以上魔法使いの評判を落とすつもりなら、魔法法に則って君を資格審議にかけることも辞さない」

「言い過ぎだ、ミス・ドゥルイット」


 穏やかな男性の声がいさめた。


「でもね、ウルフ。僕も、どちらかといえば、君は戻るべきだと思うよ。何よりも君のことが心配なんだ。ここにいたって、君は苦しむだけだからね。これ以上余計な苦しみを背負う必要はないだろう」

「プレイステッド。君は甘すぎる。はっきりと言え、魔法使いは魔法界で生きていくべきだと」

「僕はあまり直接的な言葉を好まないものでね。さあ、ウルフ。子どものように意地を張るのはもうやめなさい。君は賢いのだから、分かるだろう? 自分がどれだけ分別のない振る舞いをしているのか」

「嫌です」


 記憶しているよりずっと弱々しげな声がNOを告げた。その拍子にふと思う。もしかして騎士の鎧の内側は、血まみれのボロボロだったんじゃないか? なんて。


「私は、そちらには戻りたくない」

「駄々っ子のような真似はよそでやれ」

「だいたい、どうして戻らなくてはいけないんですか? 私は何もしていないのに」

「何もしていなくとも、悪評が立った時点で君の負けだ。君のわがままは魔法界全体の損失を招く。君個人の損失などどうでもいいのだ。分かれ」

「そんな言い方はないよ、ドゥルイット。彼が可哀想だ」


 聞いている内に、僕の胸の奥がしくしく痛み出した。魔法界にもウルフの味方はいないのだ――ただの一人だっていないということがよく分かった。厳しく告げる女性も、優しげなふりをしている男性も、どちらもウルフのことを厄介に思っているのが丸分かりだった。


「一般人の世界がどういう場所か、これでよく分かっただろう? 何もしなくたって迫害されるのが魔法使いだ。歴史通り、何も変わっていないんだよ」


 痛みはだんだん熱を帯びてきた。魔法界にこそ――サマーヘイズ刑事のような――味方がいてほしかった。いるべきだろう。彼の無実を信じ、決断を尊重し、静かに支えてくれる人が。

 僕は拳を握りしめた。

 調べて初めて知ったけれど、魔法法には大学に関する条項がない。一般の大学へ進むことを否定する法律はないのに、彼が史上初・・・になったということは、そこに不文律があることを示している。


「君の居場所はこちら側だ。戻っておいで、ウルフ」


 不文律を破った人間に、戻る場所などあるのだろうか? 不文律を破ってまでここへ来た彼が、その場所を捨てるような行為をするだろうか?


『良い友達に会えて良かったわね、本物の魔法使いさん』

『ええ――』


 ――そうだ、僕は“幸運”なのだ。本物の魔法使いと友達になれたラッキーボーイなのだから。

 熱が炎に変わる。もう悠長に確かめている暇なんかない、実験あるのみだ。

 ノックをしてから返事を待たずに中へ飛び込む。


「お話し中にたいへん申し訳ありません」


 三対の目が僕一人に集中した。

 女性は素晴らしく綺麗な緑色の瞳を持っていた。男性は深いオリーブ色。どちらの目も僕をまったく歓迎していなかった。圧に一瞬だけ負けそうになって、けれどすぐに持ち直す。


「僕は彼のルームメイトです。盗み聞きしていたことは深くお詫び申し上げます。すぐに出ていきますので、少しだけ彼と話すことをお許しください」


 形式的に許しを請うてから、僕は大きく見開かれたブラックホールを見つめた。


「ウルフ、君はここにいるべきだ。なぜなら、このタイミングで君がいなくなることは、君が犯人だという証明になってしまうからだ。真実がどうとか関係なく、君は逃げた・・・と誰もが口を揃えて言うだろう。犯人だったから逃げた・・・・・・・・・・んだ・・、って!」


 呆けていたウルフの目が、急に鋭い光を取り戻した。男性が溜め息をついてそっぽを向く。女性が僕に向けて何か言おうとした。それよりも早く、僕はウルフの横まで行くと叩きつけるように(でも後ろの連中には聞こえないように)言った。


「二年前のことを調べてきた」


 言った瞬間、ウルフの顔色がさっと変わった。それでいよいよ確信する。どうやら僕の立てた仮説は間違っていないらしい、と。


「それから、魔法使いと魔法のことも少しだけ。あとはこれ」


 僕はウルフの目の前にメモ帳を突きつけた。ウルフは戸惑った表情で、メモ帳と僕の顔とを見比べるようにした。


「……これは?」

「“測れるものは測れ、測れないものは測れるようにしろ”」

「ガリレオ・ガリレイ」

「君はクイズ番組に出たほうがいいかもしれないね」


 思った通り、ウルフはあっさり言葉の由来を看破してみせた。話が早くて助かるね。


「事故だか事件だか知らないけれど、呪いじゃないなら測れるはずだ。そして、測れるものは測るべきだし、測れないなら測る方法を考えるべきだ。ここはグランリッドの物理学部なんだから。――で、そのために必要な情報を、できる限り集めてきた」


 ウルフは徐々に話を理解してきているようだった。でもまだ不可解そうに眉をひそめている。“君の言っていることは分かるけれど、なぜそんなことを言うのか分からない”って感じかな。彼の目は本当に雄弁だ。


「君のおかげで僕まで悪評に巻き込まれてるんだ」

「それは――」

「僕は平穏な生活を取り戻したい」


 申し訳なさそうに顔を歪めたウルフを遮って続ける。


「一週間前くらいの生活に戻りたいんだ。そのためなら多少は頑張るよ。でも、僕さ、情報を集めるのは得意なんだけど、推理は苦手なんだよね。だから、推理パートを君に任せたいんだ。やってくれる?」


 ちょっとパブに誘っただけです、ってぐらいの軽い調子を全力で作った。ウルフは頑固でプライドが高い奴だから、同情されているのだなんて間違っても思わせないように。実際、同情などほんの少ししかしていないから。

 真っ直ぐ僕を見る宇宙の瞳。やっぱり怖い。怖いけど、でも、人間っていうのは恐怖を抱いたまま宇宙へ飛び出せる愚かな生き物だ。結局誰だって、恐怖の向こう側にあるものを求めてやまないのだろう。

 それに、知ってしまえばもう怖くない。

 沈黙が三秒。その間にブラックホールは驚くほど豊かに表情を変えた。冷たく凝固していた闇が、急速に膨張し、しかし破裂することはなく穏やかに解けて、その奥に星のような輝きが瞬いた。

 そして、


「分かりました。請け負いましょう」


 ウルフがメモ帳を掴んだ。

 僕はほっと息を吐いた。ここで断られていたら詰みだった。メモ帳を離して踵を返す。


「オーケー、決まりだね。そっちの話が済んだら部屋で細かい打ち合わせをしよう。それじゃあ」

「話ならもう済みました」


 彼は有無を言わせない調子で立ち上がった。男性のほうがそれを見とがめる。


「ウルフ」

「お気遣いくださりありがとうございました。ですが、何を言われようと私は戻りません。逃げ出すのは主義に反しますので。それに、魔法界の損失を考えるなら、悪評を覆すよう私に命じるべきなのでは?」

「その賭けは分が悪すぎる」


 女性が冷淡に言いながら、腰を上げてコートを手に抱えた。溜め息。


「先ほどまでは一ペニーたりとも賭ける気にならなかったが、わずかにオッズが下がった今なら賭けてやってもいいだろう。こちらに損をさせたら相応の報いがあると覚悟の上で進むように。いいな。見送りは結構。失礼する」


 言うが早いか、彼女は部屋を出ていってしまった。男性が慌てて荷物をまとめ、去り際にウルフの肩を掴む。


「いいかウルフ、冷静になって考え直すんだ。今ならまだ間に合う。大事になる前に、賢明な判断をするんだよ」


 彼はちらりと僕を見ると――その目つきの妙な冷たさに一瞬背筋が粟立った――ウルフの肩を叩き、さっと背を向けた。

 扉が閉まる。

 ゆったりとした二秒を数えて、ウルフが口を開く。


「君が何も言わなくても、私に逃げるつもりはありませんでした」

「そうだった?」

「ええ。当然です。おかげでオッズが下がって、配当金が減ってしまいました」

「じゃ、余計な口出しだったね」


 彼はちらりとこちらを見て、軽く首を振った。それからいつもの完璧な微笑――に、少しだけ恥ずかしさのようなものを滲ませて、完璧でなくなった代わりに人間らしくなった微笑み――を口元に浮かべた。


「ありがとうございます、ロドニー」


 ごくごく小さな声を、僕は聞こえなかったふりをした。


「勝たないとね」

「もちろん。勝負となれば勝ちますよ、必ず」


 彼は獰猛な感じで――なのに不思議と、今までで一番しっくりくる感じで――にやりとした。


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