2-4 クロニアンナ

 マウズの町の冒険者協会に併設して建てられている『モグラの稼ぎ亭』のマスターの信条は「美味い酒には美味い食べ物が必須」である。

 その立地から冒険者の客が多いが、マスターの料理目当てにその他の客も多い。特に夕刻ともなると、一日の仕事を終えた者たちが酒や食事を求めてやって来るために大混雑することも珍しくないほどだった。


 そんなピークの時間を超えて少々客足が鈍くなってきた『モグラの稼ぎ亭』の隅の方で、数人の男たちが小声で何やら話をしていた。


「それじゃあ、兄貴はその市場からの依頼にかかりきりになるっていう事ですか?」

「まだ本決まりじゃないけど、多分そうなる」


 どうやらディーオが新人四人組に昼間支部長と話した内容について教えているようである。小声であったのは先ほどディーオ本人が言っていたように、まだ正式に決定したことではないからだった。


 余談だが、四人組は経験という点においては、この二か月の間に一般的な迷宮冒険者を自称できる――迷宮を活動の中心にしている冒険者のうち、約半数は低階層のみで活動しているのだ――ほどにはなっている。

 にもかかわらず、未だに彼らが初心者や新人と言われてしまうのは、マウズに来てからの日が浅いということと、彼らより後に冒険者となった者がいないから、なのであった。


「二十階層かあ……。やっぱり出てくる魔物は強いっすか?」

「まあ、弱くはない。だけど十一階層以下の中階層に入ると、ただ強いというよりは面倒だったり厄介だったり鬱陶しかったりする魔物が増えてくるな」


 低階層だとただぶん殴っていても何とかなるという魔物がほとんどだったのだが、中階層になるとそれでは通用しなくなる。

 きっちりと弱点を突く、魔物の行動を阻害するといった行為が必要となるのである。そのため個々人の練度だけではなく、パーティー全体の練度も求められる。


「俺たちではまだ届かないですか?」


 四人組のまとめ役でもある短槍使いのマルフォーが真剣な顔で尋ねる。


「最初に比べてお前たちの連携はかなり良くなっているから、十一階層の魔物であれば渡り合えるかもしれないな」

「おおっ!」


 否定的な回答を予想していたのか、ディーオの言葉に四人は驚きながらも歓喜の声を上げる。

 しかし、まだディーオは全てを言いきった訳ではなかった。


「だが、それ以前にパーティー編成が悪過ぎて辿り着くことができないけどな」


 途端に顔をしかめる四人。


「あー、兄貴たちの言う事を疑うようで何だけど、ゴーストってそれほど怖いものなのか?だって駆け出しの魔法使いでも倒すことができるんだろう」


 リーダーを務める大剣使い、ワンダが疑問の声を上げる。

 確かにゴーストは魔法が使えるようになったばかりの魔法使いであっても倒すことができる。しかしそれは、魔法が使えるから可能なことなのである。


 四人はディーオたちの言いつけを守って八階層までしか進んではいない。そのため先輩冒険者や協会の職員から話は聞いていても、武器による攻撃が効かない、魔法でのみ倒すことができるというゴーストの特性の恐ろしさを理解しきれてはいなかった。


「そう言うだろうと思ったよ。明日九階層に連れて行ってやるから実際にゴーストと戦ってみるといい」

「マジで!?」

「兄貴、いいのか!?」


 予想外の提案に四人の息が荒くなる。恐らくテーブルに身を乗り出してしまっていることにも気が付いていないだろう。


「そうでもしないと納得できないんだろ」


 苦笑しながら返すと勢い良く首を縦に振っていた。


「もしもゴーストを倒せたなら、そうだな……、そのまま十一階層まで連れて行ってやるよ」

「おおおおっ!?」

「約束っすよ!」


 更にご褒美まで提示されて盛り上がりは最高潮へ。しかし四人とも魔法への適性はないと言っていたので、残念ながらこの約束が果たされることはないはずだった。


 この瞬間までは。


「あら、随分と面白そうな話をしているわね」


 突如割って入って来たのは若い女性の、しかも聞き覚えのない声だった。五対十個の目が声の主を捉えると、その人物は楽しそうに、それでいて見る者に若干の不安を抱かせるような笑みを浮かべていた。

 ぞわりと背筋が泡立つのを感じながら、ディーオはざっと記憶を読み返してみたが目の前の彼女に該当しそうな人物に行き当たることはなかった。


「おいおい、いきなり話に入って来るなよ」

「そんな怖い顔をしないでよ」


 長槍を扱い、連携の指示を出すパーティー戦闘の要でもあるロスリーが牽制の一言を発するが、その女性は意に介さず近くの空いた卓から椅子を一脚拝借すると、ディーオたちの卓へと居座ったのだった。


 どうするべきかと目で訴えてくる四人に、ディーオは軽く頭を横に振ることで返す。


「それで、君は誰だ?まずはそこからだ」

「あら、人に名前を尋ねる時には自分から名乗るものじゃない?」

「それは普通の状況、もしくは互いが対等だと思われるときだ。今は当てはまらない」


 ギン!と睨み合うような二人の視線が交錯する。

 一拍……、二拍……。


「……そうね。ここは割り込んだ私から名乗るわ」


 永遠と続くのではないかと思われたそれは、女性が引いたことで呆気ない最期を遂げた。

 更にそれだけでは終わらずに今度は勢いよく立ち上がった!


「私はクロニアンナ。天才にして奇才の持ち主、世界を超える美少女魔導士よ!」


 くるりと回りながらまるで舞台での口上のような名乗りを上げた瞬間、それまで彼女が纏っていたミステリアスだとか底知れない不気味さといった雰囲気は見事に爆散し消え失せてしまったのだった。


 残された微妙な空気の中、ディーオは自分の頬が引きつっているのを感じていた。

 四人組はというと彼女の勢いに飲まれたのか「お、おおー」といういまいち歓声になり切れない声を出しながらぱちぱちと手を叩いていた。

 それに気を良くしたのかクロニアンナと名乗った女性は微妙な空気には気付くことなく、やり切った表情で再び追加された席へと着くのだった。


 改めて彼女を見てみると、まだまだ少女の面影が強く残っているように思える。恐らくは自分たちと同年代、成人してからまだそれほど経っていない十代後半だと推測された。


「ふふん。あなたたち、なかなか見込みがありそうだから、特別に私のことをニアと呼ぶことを許してあげるわ」


 ふんすと鼻息荒く告げるクロニアンナことニア。

 そんな彼女を見てディーオはどうしたものかと頭を抱えたくなったのだった。




 名乗られたため名乗り返さない訳にはいかず、ディーオたちもそれぞれ軽く自己紹介をすることになった。

「俺はディーオ。職業はポーターだ。基本的には一人で迷宮に入っていることが多い」

「町で色々と聞いたわ。アイテムボックス持ちなんですってね?」


 アイテムボックスを持っていることは別に隠している訳でもないので、ニアの言葉にも「まあな」とだけ答えた。


「で、そっちの四人はワンダ、ツーイ、ロスリー、マルフォーだ。町で情報収集をしたようだし、こいつらのことも知ってはいるんだろう?」

「ええ。粋がっていたところをどこかのポーターに叩き潰されたお陰で、最近は少しマシになってきたって評判ね」


 概ね事実ではあるだけに、その何とも言えない評価に四人は微妙な顔になっていた。そしてそれ以上に渋い顔になっているのがディーオである。

 というのもあの時、怒りの感情をまき散らせてしまったために今でも協会職員の女性の一部が彼のことを怖がってしまっているのである。

 菓子の差し入れなどで地道に好感度アップを狙っていたりするのだが、元通り、もしくはそれ以上になるためにはまだまだ時間も費用もかかりそうだった。


「まあ、知っているなら話は早い。ニア、だったか?どうして俺たちの話に割り込んできた?」

「最初に言ったはずよ、面白そうな話をしているわねって。魔法も使えないのにゴーストと戦うなんて無茶を言っているから興味が湧いたのよ」


 ニアの言葉に四人はムッとしていたが、揶揄からかわれなかったりバカにされなかっただけマシというものである。

 魔法なしにゴーストと相見えるということは、それほどまでに無謀であり愚かなことだと一般的にも・・・・・認識されていることなのであった。


 ディーオに敗れたことで鼻っ柱をへし折られた四人だが、負けたのは知性あるヒトだったからだと思い込んでいる節があった。

 それは一種の自己防衛でもあったのだが、なまじ冒険者となるきっかけにもなったファングサーベルを倒すという大金星を挙げたことがあるせいで、魔物全体を弱く見てしまう癖がついてしまっているのである。

 今回のゴーストとの戦闘ツアー計画は、四人のそうした認識をぶち壊すためのものでもあった。


「そこで相談なんだけど、そのゴーストとの戦いに私も連れて行って欲しいの」

「はあ?」

「分かってる分かってる。私みたいに可憐で可愛くて美しい美少女をゴーストなんて野蛮で醜い未練の塊に合わせたくないという気持ちはとっても理解できるわ。でもね、大丈夫。魔法にはちょっとどころじゃないほどの自信がある。それこそゴーストなんて何百体現れようが物の数じゃないの」


 言いながら手にしていた杖の先端にある宝玉に微かな光を灯す。

 考えていたことと全く違った答えを押し付けられそうになり、口を挟もうとしたところでそのともしびを目にしたディーオはほとんど反射的に口を閉じてしまっていた。


「兄貴?」

「お前たち、あの杖の先端にどれくらいの魔力が込められているか分かるか?」

「え?いやまあ、それなりに……?」


 ワンダの答えに他の三人も多少は悩むそぶりを見せながらも同調する。本人たちの申告通り、やはり魔法に関係する才能は全くないようだ。


「ここと隣の協会の建物を瓦礫にできる以上の魔力だ」

「!!!?」


 正確には、発動する魔法によってはそれ以上の被害をもたらすことが可能だろう。


「ふふーん!」

「そして周りを見てみろ。それほど強力な魔力を集めているのに、誰も気にしていない」


 自慢げに胸を張るニアを放置して、酒場内をぐるりと見回すと、幾分少なくなったとはいえ大勢の客たちが酒を飲み交わしては騒いでいた。


「つまり認識を阻害する何らかの魔法を同時に使っていることになる」

「それじゃあその、ニア、さんは…………」

「本人の言う通り、相当な魔法の使い手だ。……しかもこれまで話題にならなかったのがおかしいくらいの、な」


 わずか四半刻ほど前の緊迫した空気へと戻り始める。


「あ、冒険者として登録したのは昨日のことだから」


 が、それよりも前にニアが明るい声で告げたことで、その空気は再び霧散していったのだった。

 この世界において、どこかの国や研究所の秘蔵っ子や元秘蔵っ子が見分を高めるために市井に出向くという事例はそれなりにある。

 ディーオたちは、彼女もまたそうした人間なのだろうと解釈することにした。


「せっかく冒険者になったんだから迷宮に潜ってみたのだけど、一人だと思ったよりも大変だったのよね」


 索敵に戦闘、罠の発見や時に解除と迷宮内ではやるべきことは多い。一人で全ての役をこなすのは経験豊富な熟練者であっても難しく、いくら膨大な魔力を持っていても役に立たないことも多いのである。


「悪いことは言わない、冒険者協会で迷宮での基礎的な立ち回り方を教えてもらった上で、適切な仲間を探せ。それだけの魔力を持っているんだから、一か月もあれば七等級にまで上がれるだろう。そうすれば中階層程度まで行ける実力を持つパーティーから引く手あまたになるはずだ」

「せっかくの忠告だけど、一か月ものんびりしている暇はないの。私はすぐにでも迷宮の奥へと向かいたい」

「基礎ができていない人間を連れ歩く趣味はない。『新兵一人、敵十人』だ」


 俗に、味方に何の経験も知識もない兵士が一人増えると、敵が十人増えたのと同じくらい手間と危険が増加すると言われている。

 ディーオが言ったのは、単純に人数や形ばかりを揃えようとしがちな相手に向かって、現場の者たちが揶揄する時に使う例えの一つである。


「私が役立たず?言ってくれるじゃない!」


 今度こそ二人を中心に緊迫した空気が広がり始めた。


「研究者としてなら何度も迷宮へと足を運んだことはあるわ!」

「どうせ大勢の冒険者に守られていたんだろう。ちやほやされていただけの人間なんて使い物にならない」

「あ、あなた今、世界中の研究者を敵に回したわよ!?」

「縁もゆかりもない連中に嫌われたところで何の問題もないな」

「それこそ無知な証よ。今まで研究者によってどれだけ多くのマジックアイテムや魔法が解明されて使用されるようになったかも知らないのね」

「あいにく、マジックアイテムなんて高価な代物を持つ機会なんてないんでね。それに解析できたものでも多くは再現不可能なためにお蔵入りになっているじゃないか」

「ムッキー!!ああ言えばこう言って!何よ!こんなに可愛い娘がお願いしているんだから、少しは譲歩してくれたっていいじゃない!」

「俺はそういう何でも思い通りになると考えているようなやつが大っ嫌いなんだよ!」


 二人の口論は徐々にヒートアップしていき、周囲の人々の目を集め始める。

 そして、


「やかましい!そこの二人、出入り禁止にするぞ!!」

「すんませんでした!」

「ごめんなさい!」


 結局、マスターの雷が落ちてしまい、ディーオとニアは罰として深夜遅くまで並んで皿洗いをする羽目になったのだった。

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