2-3 迷宮の魔物たち

 翌日、冒険者協会の支部長室にディーオの姿があった。

 市場から先触れ役であることを記した書状を持っていたこともあるが、先日の一件以来支部長がディーオとの交流関係を隠さなくなったので、本来であれば買取り部局の長か、町との調整役が担当するはずが、急きょ支部長が対応する――と本人が言い出した――ことになったのだった。


 ちなみに、菓子の件については昨日の晩飯時――その頃には多少復活していた――にブリックスたちから聞かされていたので、無事に差し入れることができている。

 そのこともあって、目の前に座るハーフエルフドワーフの男性はとても上機嫌となっていた。


「支部長、そろそろ本題に入りたいんだけど」

「うん?ああ、いいよ。確か市場からの先触れだったね。……何が起きたのかな?」


 真面目な話であることは分かっているので、支部長も居住まいを正した。この辺りの切り替えがしっかりできるのが、ただの冒険者で終わることのなかった彼の底の深さの一端を表している。


「モンスターハウスの罠対策に低階層を中心に動いていることで、中階層以降の品が品薄になっています。そのため客、特に高額の買い付けを行っていく商会の来訪頻度が下がって来ているそうです」

「貴族や王族共の御用商人たちか。機を見るに敏といえば聞こえはいいけど、実際は金のある所に寄り付いてきては骨の欠片一つすら残さず貪っていく連中だね」

「……大商会に何か嫌な思い出でもあるんですか?」

「聞きたいかい?」

「遠慮しておきます」


 辛辣な例えに思わず尋ねてしまっただけで、特段興味があった訳ではないので即答しておく。


「賢明だね。……話を戻そうか。近隣の町や村の分も含めて食材は安定的に提供できているのだから気にするなと言いたいところだけど、そうもいかないよねえ」

「金額が違いますからね」


 金持ち連中が買い求める珍品や奇品一つで低階層での収益数日分になることもよくある話だ。そうした品を見つけ出すことは迷宮に挑む冒険者にとっての目標の一つとなっていた。

 そのため、冒険者たちのやる気を維持するためにも高級品を買い取る大商会は手離すことのできない相手なのである。


「不足し始めている品目は分かるかな?」

「詳しくは今リストアップを進めている最中らしいのではっきりとは……。正式な使いの人が目録を持ってくることになっていますから。その時に確認をお願いします。……ああ、ただ甘味系はいつでも品薄だっていう話は聞いたことがあります」

「甘味系……。となると一番簡単なのは、銀蜜シルバーハニー甘玉大根シュガーラディッシュか……」


 シルバーハニーは十六階層から十八階層に生息する白蜜蜂ホワイトビーという魔物が作り出すハチミツで、味が良いだけでなく疲労回復効果もあるため普通のハチミツよりも高値で売買されている。

 稀に輝くような色合いのものが取れることがあり、そちらは白金蜜プラチナハニーと呼ばれさらに希少価値が高い最高級品としても知られている。

 しかし、先にも述べたようにホワイトビーは魔物であるため、シルバーハニーの確保は非常に難しいものとなっていた。


 もう一つのシュガーラディッシュの方はといえば、一応は植物なので生息場所に辿り着くことさえできれば確保はそう難しいものではない。

 ただしその場所が問題で、なんと地下二十階層という深い階層にのみ生息しているのであった。


 ちなみに、植物の前に一応と付くのはシュガーラディッシュが採取されるがままになっている訳ではないからだ。うかつに近寄ると葉や茎から発生させた霧により魅了状態にされてしまい、衰弱死させられることになる。そして新たなシュガーラディッシュの苗床にされてしまうのだ。

 しかしその対策さえしっかりとできていれば二十階層にまで到達できる冒険者にとっては楽に倒すことができる相手であるとも言えた。


「五階層にいるキラーホーネットが蜜を作っていてくれれば楽だったんですけどね」


 キラーホーネットは体長がドワーフの背丈ほどもある巨大なスズメバチに似た肉食の魔物だ。

 その大きさの割に羽音が小さく、いつの間にか背後から襲われるという被害が後を絶たない。マウズでも年に数名の迷宮初心者がキラーホーネットの餌食となり命を落としている。

 ただし特別隠れるのが上手いという訳ではないので、注意深く周りの警戒をしていれば不意打ちを受けることはまずない。


 また、意外にも戦闘能力は低く、毒針にさえ気を付けていれば九等級の冒険者――口の悪い言い方だと「初心者に毛が生えた程度」となる――でも一人で倒すことは十分に可能である。

 実は、周囲への警戒の重要性を認識させることができ、さらには空を飛ぶ相手への戦闘経験が積めるとして、教官たちには人気の――キラーホーネットにとっては全く嬉しくないことだろうが――魔物でもあった。


「ホワイトビーもあれくらい弱ければねえ。シルバーハニーの確保も楽だっただろうに」


 と、支部長が愚痴をもらす程度にはシルバーハニーの採取は難しい仕事なのである。


「どちらを取りに行くとしても腕利きが必要になるかな。ディーオ、あの四人組はどのくらい使い物になりそうだい?」


 支部長が話題に上げたのは、ディーオたちを兄貴と慕っている例の四人だった。


「本気で中階層から下に向かうつもりならパーティーのバランスが悪過ぎです。斥候系の技能を持つ者と、武器での攻撃が効かない魔物に対処するための魔法使いが各一人ずつは欲しいところですね」

「ふむ。低階層の場合なら?」

「油断さえしなければ八階層までは問題ないと思います。九階層からは放浪霊ゴーストが現れますから、さっき言った理由でアウトになるでしょう」


 ゴーストは武器での攻撃は全てすり抜けてしまうため、魔法でなければダメージが与えられない魔物の代表格の一つとしてよく例に挙げられる。


 「ゴーストを殴り倒した」といえば見え透いた嘘を指す言葉で、「魔法使いを前にしたゴースト」といえば絶体絶命の危機的状況のことである。

 このように慣用句にも使われるくらい、ゴーストの武器攻撃を無効化する性質と、魔法が弱点であるということは一般にも広く知られているのだった。


「有望そうな人材の募集をしつつ、これまで通り低階層の見回りをしてもらうしかないか」

「その人材募集も本人たちにやらせた方がいいと思いますけど」


 顔を合わせてすぐに相性が悪いことが分かったとしても、仲介をした冒険者協会を立てるために断ることができないということもあり得るからだ。

 もちろん共に行動していくことで徐々に噛み合っていくという部分も多いのではあるが。


「少なくともあいつらからの相談があってから動いた方がいいでしょうね」


 パーティーバランスの悪さについては四人とも多少は理解をし始めている。が、まだ決定的ではなく「今はダメでも鍛えれば将来的には何とかなる」と考えている節がある。

 向上心があると言えば聞こえがいいが、未だ現実を知らないお子ちゃまだともいえるのだ。


「しかし、都合よくそんな心境になってくれるものかな?」


 と、支部長は含みのある言い方をしてディーオへと視線を向ける。


「……近い内に九階層まで連れて行って、ゴーストと戦わせておきます」

「おお!それは助かるよ!パーティーメンバーの募集にもつながるし、何よりあのどんなに武器で攻撃しても一向に効果がないという一種の絶望感は早めに体験しておいた方がいいからね!」


 取って付けたような理由に白々しさを感じつつも、その通りであったので文句を言うことは控えることにする。

 それに、そろそろ彼らにも本格的に魔法の有用性というものを教えるべきだろうと、ブリックスや教官と相談していたということもある。

 恐らく支部長はそのことも知った上で誘導してきたのだろう。全くもって油断も隙もない相手だ。


「ところでディーオ、百のシュガーラディッシュを採ってくるのに最短でどれくらいかかる?」

「……十四階層のバイコーンと十九階層のトライコーン次第ですかね」


 バイコーンは二本、トライコーンは三本の角が頭部にある馬型の魔物だ。しかし馬に似ているのは外見だけで、体格は大きく好戦的な性格で雑食な上に大食のため、目に付いたものには必ず襲いかかっていくという厄介な性質を持っている。

 また、獲物を見定めた状態になると階層を超えて追いかけて来ることもあるため、襲われた場合には必ず倒しきらなくてはならない。十四階層と十九階層が中階層踏破のための『関門』と呼ばれる所以である。


 ちなみに十一階層が『中階層最初の壁』、十二階層が『難所』、十五階層が『障害』、ホワイトビーが生息する十六から十八階層は『暗礁地帯』という異名を持っていたりする。

 要するに中階層になるとどの階層であっても踏破は一筋縄ではいかないのだ。


「それじゃあ、バイコーンには六体、トライコーンには四体遭遇したと仮定してみて」


 支部長が提示した数は『冒険者協会』が保有している迷宮探索時の平均遭遇数よりも少し多いものだった。


「それは片道で?」

「うん。片道で」


 さて困った。基本的にディーオは一人で行動しているので、行ける時に行ける階層までしか行かない。今回の仮定の場合でいうと、バイコーンに六体遭遇した時点で帰ることを選択してしまうのである。


「やったことがないので、はっきりとしたことは言えませんけど……。多分、五日はかかるかなと」


 二十階層までの往路、復路共に二日、シュガーラディッシュの採取に一日だ。単独行動で『空間魔法』は〈地図〉と〈警戒〉、そして安全に休息するための場を作る〈結界〉という三種類の使用を前提としている。


 時間を短縮するならば〈跳躍〉などの移動系も用いるべきなのだろうが、それをしてしまうと前人未到のタイムアタックになってしまう。

 ディーオがアイテムボックスを持っていることは周知の事実なので、余りに早過ぎると「既に確保していて、高値で売れる機会をうかがっていたのではないか?」と邪推される恐れが出てくる。常に持てる能力を全て使うことが最善の結果になるとは限らないのだ。


「ふむ。それはとあるパーティーと一緒であっても変わらないかな?」

「人数が四人以上で、二十階層までの行き来に問題がないパーティーであれば恐らくは。もしかしてどこかのパーティーと組んで行ってこいと?」

「今の段階だとその可能性があるという程度かな。十日くらいは毎日こちらへ顔を出すようにして欲しいね。新人君たちのゴースト研修もその間によろしく頼むよ」


 いつの間にやら強制的にスケジュールが決められてしまったディーオなのであった。

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