2-5 ニアへの課題
迷宮の地下六階層へと降りてすぐの場所にある『転移石』の前で、クロニアンナことニアが満面の笑みを浮かべて立っていた。
対して彼女の向かいに立つディーオは、口の中に苦虫をまとめて数十個放り込まれて強制的に噛み潰す作業を繰り返させられた後のようなしかめっ面をしていたのだった。
余談だが、ディーオたちの世界には『苦虫』は実在している。外見が小さくて丸い甲虫に似通っているため虫と呼称されているが、れっきとした木の実である。
そのまま食べるととてつもなく苦いが、天日にあてながら適度に干すと苦みが消えて甘みが増すという性質を持つ。しかし、見た目は変わらないので干した苦虫の中に一つだけ生の苦虫を混ぜておくというのは子どもから酔った大人まで年代を問わない定番の悪戯となっている。
また、完全に乾燥させたものを粉末状にしてから煎じて飲むと整腸作用があり、名前とは裏腹に人気のある木の実なのであった。
話を戻そう。ディーオの後ろには四人組がいたのだが、どう声をかけていいのか分からずに呆然と突っ立っていた。
それというのも、
「どう?あなたの出した『一人で五階層を踏破する』という課題はクリアよね。約束通り私も九階層のゴースト退治に連れて行ってもらうわよ!」
ということになっていたからである。
事の起こりは三刻ほど前に遡る。混み合う時間を避けて仕事始めの鐘が鳴った後で冒険者協会へと顔を出したディーオは、待ち構えていたニアに捕まってしまったのだった。
「昨夜はあやふやのまま物別れに終わってしまったけれど、今日はそうはいかないわよ!」
顔を合わせて早々元気一杯に叫ぶ少女を見て、協会の入り口で崩れるようにしてしゃがみ込んだポーターの姿が目撃されたのだとか。
その後約半刻にも渡る話し合いの末、説得するのは無理だと折れた――女性職員たちを怯えさせてしまってからまだ日が浅く、これ以上のイメージダウンはマウズで冒険者をやっていく上で致命傷になると考えたこともある――ディーオは九階層へと連れて行く条件としてある課題を出すことにした。
それが『五階層までの単独踏破』であったのだが、何とニアはそれをあっさりとやり遂げてしまったのだった。
ちなみにこの課題、決して楽なものではないが、九階層以降に、場合によっては中階層に分類される十一階層へと足を踏み入れる冒険者にとっては必須の能力とされているものである。
それというのも、罠などでパーティーが分断されたとしても、それだけの力があれば別の階層へと逃げのびることができるだろう、と想定されているからだ。
実際に『冒険者協会』も所持している過去の迷宮についての事例や統計データから鑑みて、中階層に臨むのであれば各個人がそのくらいの能力を保持しているべきだと推奨している。
「さあ、どうするの?今日はここまでで解散?それとも一気に九階層まで行ってしまう?」
盛り上がるニアとは対照的にディーオの不機嫌さが増していく。かつてその不機嫌さによってコテンパンにのされた経験のある四人組は、慌てて二人の間に割って入ることになった。
「ニ、ニアさん、課題クリアおめでとうっす。まさかこんなに早くやって来るとは思っていなかったっすよ」
「ふふん!まあ、私にかかればこのくらいは楽勝よ」
「すごいな。でも一緒に九階層に向かう者として心強いぜ」
と、マルフォーにワンダがニアをおだてて持ち上げ、
「兄貴、ここは切り換えてハイレベルな魔法使いの仲間が見つかったと思うべきかと」
「そうそう。能力はあるんだから勝手なことをしないように釘を刺して置けば悪いようにはならないって」
「それはそうなんだが……」
ロスリーとツーイがディーオを宥めていた。
さて、事ここにきてその実力を見せつけられたことで、ディーオとしてもニアのことは認めざるを得ないだろうと考えていた。
研究者としてだが迷宮へと入った経験もあるようだし、ごく一般的なまともな意見であれば反発することなく従ってくれるだろう。
ただ、どうして彼女から標的にされてしまったのか、どうしてこんな面倒なことが起きた時に限って
まあ、いつまでも居ない人間のことを考えていても仕方がない。付き合いだけは一等長い、お人よしの顔を追い出すべく、軽く頭を振る。
「ニア、大体ではいいけど嘘は吐かずに答えてくれ」
「何?」
「自分の力を百として、今はどの程度残っている?」
「……そうね、大まかに言って七十といったところかしら」
なかなかに唐突な質問であったが、特に気にする様子もなくニアは答えた。そして彼女の立ち姿や顔色、声などから総合的に見てもその言葉に嘘はないように感じられた。
「分かった。それじゃあ、これから八階層まで降りて今日のところは上りにして、九階層に向かうのは明日にしよう」
「え?いいの!?」
「こそこそ後を付いて来られるよりはパーティーに受け入れておいた方が、動きが見えるだけ余計な気をもまなくて済むからな」
「またそんな強情なこと言って。私の力が必要なら素直にそういえばいいのに」
「ま、まあまあ!それはともかく兄貴、どういう状態で進めばいい?」
微妙に上から目線のニアの発言に、ディーオが再び苛立ちを募らせ始めたことを敏感に察知した四人が再び二人に割って入る。
ディーオとの勝負の一件で町ではすっかり粗忽者の印象が付いてしまっている四人だが、彼らとて地方の狭い村社会で生まれ育ってきた身だ。実は場の空気を読んだり人を立てたりすることに長けているのである。
あの当時は色々な方面からちやほやされて天狗になってしまっていただけのことだった。
「……俺とニアが真ん中でお前たちは前後に別れろ。俺は基本的に何もしない。普通にポーターを連れているつもりで動け。さすがにぶっつけ本番で魔法を連携に組み込むのは危険過ぎるから、ニアは四人の動きを見ているように。
ただ明日、九階層より下になるとそうは言っていられない可能性が高い。五人でパーティーを組んで動くことを前提にしっかりと頭を働かせておけ」
迷宮探索の先輩として、また幾つものパーティーに参加してきた冒険者としてディーオがニアを含めた五人にアドバイスを送ると、彼らは神妙に頷いていた。
さて、ディーオは元より四人組にとっても、今いる六階層から目的地である八階層までの間は馴染み深い場所である。更にモンスターハウスの罠が発見されてからの二か月間は迷宮に挑む大半の冒険者が低階層にたむろしている状態であった。
そのため出現した魔物は片っ端から倒され、迷宮の力をもってしても補充が間に合わない階層すら現れる始末となっていた。
つまり、
「……危険の欠片すら存在しないわね」
思わずニアがぼやいてしまったように、危険というものが皆無に等しい状況となってしまっていたのである。
今であれば、迷宮を抱える都市の念願の一つである『迷宮内探索ツアー』すら敢行できるのではないかと思わせるほどだった。
事実、迷宮産の希少物資の獲得量が減ったことへの補填として、貴族を相手にツアーを行ってみてはどうかという案が、マウズの冒険者協会内で取り上げられたこともある。
ちなみに、現在この案は「低階層にモンスターハウスの罠が発生するという異常事態によって引き起こされたものだから、将来的にどうなるかは不透明だ」という支部長の意見により凍結されている。
「あまり油断をしていると足元を掬われるぞ」
そんなニアの言葉に、隣を歩くディーオがたしなめる発言をすると、ビクリと前後四人の肩が揺れた。
やはり彼女同様散発的にも満たない程度しか魔物と遭遇していなかったことで気が緩んでいたらしい。それともニアというイレギュラーが発生したせいで余計な気を張ってしまった反動だったのか。
いずれにせよ、ここがふとした拍子に簡単に命を落としてしまいかねない場所であることを再認識したのであれば、それ以上とやかく言うつもりはない。
ディーオは警戒をしつつも、頭の隅では別のことを考えていた。
(本人が冗談めかして口にしている以上に、このニアという女の魔法に対する適性は高い。やたらと使うと『空間魔法』に勘付かれるかもしれないな)
魔法を使う際には、使用者の体内と周囲にある魔力を消費する。一般的に魔法に対する適性といえば、体内に留めて置ける魔力量のことを指し、これが多ければ多いほど高度な魔法を使うことができるとされている。
同時に、こちらはほとんど知られていないがこの体内の魔力量が多い、すなわち魔力の適性が高い人ほど周囲の魔力量の変化に対して敏感になっていく傾向がある――もちろん若干の例外は存在する――のだ。
よって、魔法を発動させる動作等々からは気付かれなくても、周囲の魔力の変化によって魔法を使用したことが察知されるかも知れないのだった。
そしてニアはマウズに来る以前、研究所にいたことを示唆している。研究者の中には様々な魔法における周囲の魔力減少量を把握している者も少なくない。
彼らには魔法適性が高い者が多いので、仲間内で使用し合うことで細かな魔力消費量の違いに熟知していくのである。
彼女がそんな研究者たちとは異なっていると考えるのは、楽観視が過ぎるというものだろう。
一方でディーオの世界において、彼が調べた限りでは『空間魔法』は長らく使用者のいない、ほとんど伝説上の魔法という扱いとなっていた。
そのため、使用してもすぐさま特定されることはないだろうが、未知の魔法を使ったと興味を持たれてしまう可能性は非常に高いといえる。
興奮気味のニアに追いかけ回される自分の姿を幻視してしまい、気が遠くなる思いがするディーオだった。
(今日のところは大丈夫だとしても、明日はそうはいかないよなあ……)
九階層以降となると最低限〈地図〉と〈警戒〉の二つは使っておきたいものがある。パーティーの安全のためでもあるが、何より自分の安全を確保するためには必要であると考えるからだ。
一般人からは時折、利己主義的だと批判されることもあるが、これは冒険者としてはごく普通の考え方である。
常に危険と隣り合わせの彼らにとって、自らの命を守ることはできて当たり前のことであり、そのための行動は何よりも優先される。
そうやって自分の安全が確保できて初めて、他人へと救援の手を差し伸べることができるのである。
中途半端な能力しかない状態で行動したところで、死体を一つ増やすだけなのだ。
結局、これといった妙案が思い浮かぶことなく、ディーオたちは目的地である八階層へと到着してしまい、町へと戻ることになったのであった。
そして、バドーフが一体にシャドウハウンドが二体、ビッグスパイダーが一体と、六人の成果としては赤字間際であったことを追記しておく。
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